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2004年09月06日

●「霊魂はあるのかないのか」は戯論?

「霊魂は存在するのか」という問題には毒矢の喩えを出すのが 模範解答なんでしょう
しかし このごろ私は それで終わっていいのかしらとも思うんですよ この問題は哲学というよりも もっと心の奥底からきています 思い通りにならない人生に知覚では捉えられない何かが作用をしているのではないかという漠然とした恐れというものは 理性、論理では対処しようがないのではないか 頭では分かっているつもりでも なにか怯えてしまうことってあるでしょ
小さな子供に言うことをきかせるのに「おばけがくるよ」と脅しているのを先日見かけました そういう擦り込みのようなこともあるんじゃないかな 

浄土が死後に実在するという教化がなされてきて このごろはそれは間違いであるということも言われるのですが 経典にも死後に実在するという書き方も実際あります

浄土を設けた経緯について 人びとを救うための「方便」という捉え方を諸師は積極的に展開してきました が浄土は死後の恐れというものに応じて説かれたということもあるのではないでしょうか 

怨霊とかタタルとか前世の報いとか いまでも様々な世代の文化のなかで展開されていますが そういうことに取り込まれてしまいそうになるとき 北陸では蓮如さんの御文から「平生業成(いまが大切)じゃから大丈夫 阿弥陀さんにおまかせじゃ」という台詞で対抗してきました

いつでも どこでも だれにでも 開かれている世界がある あるいはそういう世界を仮に設けてみようということでもいいんですが 理論とはべつに、実践的に人びとを救う働きをしてくれるんじゃないかな 浄土は

先日のゴーストの話のとき こういうごちゃごちゃしたことを話したわけです
でも この辺りはごちゃごちゃとしか話しようがないとも思うんですがネ

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