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2004年11月27日

●ごまんさん

連日の「ほんこさん」でくたくたになっています。左の膝の痛みが、ますますきつくなってきました。

明日は親鸞さんのご命日。玉永寺では午前に「ごまんさん」、午後に毎月の同朋会を開催します。痺れた頭で明日の同朋会資料を作っています。

このごろ思うのは 親鸞さんの生涯をもっとじっくり学びなおしたいということです。現代の我々のように、悪、罪を排除し、忌み嫌うのではなく、悪人、罪人をも、というより、悪人、罪人をこそ救う念仏という発想が生まれてきたのは、奇跡だと思うんですこのごろ。それは、いったいどういう生涯からこんな発想が出てきたのかじっくり考え直してみたいと。

明日の同朋会資料

第三十一首
無碍光仏のみことには 未来の有情利せんとて
大勢至菩薩に     智慧の念仏さずけしむ

○無碍光仏
さまたげられることない光のほとけ 阿弥陀仏のこと

○大勢至菩薩
阿弥陀三尊の右の脇士。左は観音菩薩。
略して勢至菩薩とも言う。
「大勢至」とは、智慧の大きな勢力が一切の衆生に至りとどくことを言う。
「首楞厳経」という経典に、はるか昔、大勢至菩薩は阿弥陀仏から、智慧の念仏を広めて未来の衆生を利益せよという教えを受けたとある。

第三十二首
濁世の有情をあわれみて 勢至念仏すすめしむ
信心のひとを摂取して  浄土に帰入せしめけり

○濁世
五濁の世

第三十三首
釈迦弥陀の慈悲よりぞ
願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ


○釈迦弥陀
お釈迦さまと阿弥陀如来

東の岸にたちまちに人(釈迦)の勧むる声を聞く。「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。もし住まらばすなわち死せん」と。また西の岸の上に人(弥陀)ありて喚うて言わく、「汝一心に正念して直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。
善導「二河譬」

○願作仏心
自分が仏になりたいという心

○信心の智慧
「弥陀のちかひは智慧にてましますゆえに、信ずるこころの出でくるは智慧のおこるとしるべし」(左訓)


第三十四首
智慧の念仏うることは
法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば
いかでか涅槃をさとらまし

○智慧の念仏
「弥陀のちかひをもってほとけになるゆえに、智慧の念仏ともうすなり」(左訓)

○願力
本願の力

「念仏するこころは私が起こすこころではなく、私におこってくるこころである。・・・本願の念仏の中に私が呼ばれていることに気づくことである」安田理深

○さとらまし
さとることができようか。おそらくできないだろう。

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