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2005年07月31日
2005年07月30日
●小林よしのり
新ゴーマニズム宣言SPECIAL沖縄論
2005年07月28日
●高橋哲哉「靖国問題」
この言葉が、戦前の諸宗教を呑みこみ、戦後も、靖国は宗教ではなくすべての日本人が尊重すべき「道」であるといった主張がおこなわれる根拠とされている。
あらゆる宗教、宗派を超えて、分かり合える道があるという考え方に、魔力のようなものを感じる。水平者宣言の起草者、西光万吉が取り込まれていったのも、このあたりなのかもしれないな。
ただ、現行の靖国神社がそれだとは、まったく思えない。
これは現状においては極論だと思うのだ。なにかうまい手はないものだろうか。。
2005年07月27日
●エネミー・ライン
エネミー・ライン〈特別編〉
2005年07月25日
●半落ち(ネタバレ)
映画をみたら、これも自殺幇助、嘱託殺人のお話なんで、びっくりしました。
話の流れが納得いかないところがあって、図書館で確認してみました。
アルツハイマーの妻を殺害した主人公に対して、裁判官が酌量の余地のない厳しい判決を下す場面があります。その判決を下す展開が、原作と映画でかなり違っていました。
映画は、「魂があるないによって命を裁くことが、人にできるはずがない」と判決の場で裁判官が叫ぶという、ドラマチックではあるけど、ちょっとありえない展開。
キリスト教では、神によって与えられた命の裁決を、人が行うことは罪とされるそうです。なので、映画の方はその文脈に沿っていますね。(同じく自殺幇助を描いた「ミリオンダラー・ベイビー」がアカデミー作品賞をとったというのは、アメリカ社会が変化している、その背景にあるキリスト教の内容が変化していることを示しているような気がしてなりません。)
原作は、アルツハイマーの義理の父を介護する妻に、裁判官が主人公の犯罪をどう思うのか聞いてみるんです。妻は、以前、義父に病状がすすんだら殺して欲しいといわれたと打ち明け、主人公のことを、「やさしい人」であると言います。
それでも裁判官は、介護し続ける妻の方の「やさしさ」を支持することを決意する、という流れになっていました。
なにが彼をそこまで追い込んだのかを、同情的、共感的に描いてエンターテイメントにしています。心中物のように日本の文化には古くからあるパターンではあります。
日本アカデミー賞受賞作品。
こういう作品が日米で連続して賞を獲得するのは、偶然ですか?
2005年07月21日
●天使のくれた時間
2005年07月19日
●デビルマン
●フライ,ダディ,フライ
たまたま塾帰りの実の娘wを誘って行ってきました。それがなんと、暴行された娘の復讐に父が立ち上がるという話で、父娘の設定が年齢的に私のリアルとカブルもんで(もう少し若いですけど・・・)、深く入ってしまいそうになるのをなんとか客観的になろうとつとめつつ、かつまた、となりの娘がどうみてるのか気になりながら、ちょっと集中できない感じで見終わりました。
こっちは、一気に読みました。この手の本を読んだのは久しぶりでしたが、実に面白かったです。
フライ、ダディ、フライ
2005年07月18日
●現代の戦争被害
2005年07月16日
●女王の教室
「権力の悪性はすなわち人間の悪性に由来すると達観し、悪による悪の抑圧より他に途はなしと思い定める」のを保守主義というそうだ。そして保守主義は、リアリズムの徹底という点において、アナーキズムと通じるという話が興味深かった。
天海教師の一匹狼で陰謀上手な言動などを見ていて、極右=極左、針が一回りして重なるという話が、具体的に分かったような気がした
●空を飛ぶ夢
2005年07月15日
●歴史学者 藤野豊

「いのち」の近代史―「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者
これからやりたいことは、もうひとつある。それは、様々な社会的少数者を軸にした新たな日本近現代史を描くことである。被差別部落住民・ハンセン病患者・精神障害者・娼婦・アイヌ民族・在日アジア系住民・・・。そうした様々な人々を特殊な存在としてではなく、普遍的な存在として歴史の中に描きたい。本文中で、私が西山ナカについて述べた思いをご記憶の方もおられるだろう。あのときの思いを実現したい。
歴史学はどうあるべきかなんて、専門的な議論は私にできるはずもない。しかし、藤野豊という歴史学者は、とにかく、「尊い歴史学者」なのだと、改めて、認識した。
2005年07月13日
●歴史学ってなんだ?
従軍慰安婦論争について、関心はありましたが、ほとんど内容は知りませんでした。で、この本を読んだら、論争の背景にある今の歴史学の状況が取り上げられていました。構造主義の影響を歴史学も被っている、ということです。
構造主義は以下のように説明されています。
・・・存在する「もの」、その「もの」に与えられる「意味」、そしてその「意味」を指し示す「言葉」、この三者のつながりは恣意的なものにすぎない・・・
このような考え方によると、同じ史料を手にしても、解釈も、認識も、すべてが恣意的になってしまいます。だから、だれがやっても歴史学の成果は、たくさんあるなかの一つの「物語」でしかなく、したがって、正しい歴史認識という事柄も成り立たなくなるというのです。
この観点から「従軍慰安婦」(岩波新書)の吉見義和、新自由主義史観派の坂本多加夫、社会学者の上野千鶴子の3人は、以下のように位置付けられます。
・・・この三者の関係を整理すると、日本国民を加害者と考えるか否かについては吉見と上野が坂本と対立し、構造主義の所説を受け容れるか否かという点では上野と坂本が吉見と対決する、という構図になります。(略) 坂本にとっては、歴史学には「国民の物語」を紡ぎ出すという大切な仕事があり、この仕事をするかぎりでは社会の役に立ちます。上野は従軍慰安婦をはじめとする他者の声に謙虚に耳を傾けなければならないと主張しますが、それは、他者のアイデンティティを尊重する姿勢を身につけることに役立つからです。 どちらの立場にとっても、歴史を学ぶことは、とくに集団あるいは個人のアイデンティティにかかわる、とてもアクチュアルな営みです。・・・
どうなんでしょう。客観的真実は存在しないのであって、事実をどのようにとらえたいということしかないならば、自分の利益になるように、都合のよいように物事はあるようにしたほうがヽ(゚д゚)ノ ええじゃないかと、考えたくなりますわね。
でも、世の中、全部、ご都合主義じゃ、オレはやっぱりイヤだな。
この後、この本はこうした状況の中で歴史学は何ができるのかについて展開されていますが、そのあたりには、私の関心は向かなかったので、これくらいにして、おきます。
歴史学ってなんだ?







