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2005年07月15日

●歴史学者 藤野豊

小田中直樹の本を読んで、あらためて藤野豊のスゴサを思う。
 
4年前、先生とは邑久光明園で初めて出会った。
以前に部落差別に関する著書を読んだことがあり、親しみのようなものを感じ、富山国際大学にこられたということで、さらにいくつかの本を読んでいた。そのなかの「西山ナカ」についての著述に興味を持っていた。
「西山ナカ」とは奈良にあったハンセン病患者救済施設、光明院の最後の患者である。先生はこの人の墓をたずねあて、その墓の前で泣いたという。
園内を歩きながら、初対面の先生になぜ泣いたのかを訊ねたが、どういう答えが返ってきたのか、これまた失礼なことに覚えていないのだが、以下の著書に触れてあった。

私は「西山ナカ」の本名も知らない。結婚し娘も持ち、資産にも恵まれていた彼女の人生は、ハンセン病により激変した。どのような経緯で西山光明院にきたのかもわからない。1961年に亡くなった時、何歳であったかも不明である。「西山ナカ」の名を記憶する人は、一体何人いるであろうか。このような人の存在をまったく無視して、「大日本帝国」の発展の歴史が叙述されてきた。また、そうした歴史観を否定し、「開放」とか「人権」などという言葉を自らの社会的地位の保全のために弄んできた歴史学者たちも「西山ナカ」のような存在にあえて目を向けようとはしなかった。私もかつてはそうであった。しかし、ハンセン病の歴史を知ることにより、私の歴史観は変わった。今、私は「西山ナカ」をも主人公にしうる日本近代史を叙述したいと考えている。(中略)


「いのち」の近代史―「民族浄化」の名のもとに迫害されたハンセン病患者

これからやりたいことは、もうひとつある。それは、様々な社会的少数者を軸にした新たな日本近現代史を描くことである。被差別部落住民・ハンセン病患者・精神障害者・娼婦・アイヌ民族・在日アジア系住民・・・。そうした様々な人々を特殊な存在としてではなく、普遍的な存在として歴史の中に描きたい。本文中で、私が西山ナカについて述べた思いをご記憶の方もおられるだろう。あのときの思いを実現したい。


歴史学はどうあるべきかなんて、専門的な議論は私にできるはずもない。しかし、藤野豊という歴史学者は、とにかく、「尊い歴史学者」なのだと、改めて、認識した。

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