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2005年11月25日

●空の実践

昨日の日記 午前 月参りと報恩講 よく眠れていなかったのか、ふらふらに
幸いなことに午後から日程がなく、昼寝 復活してインフルエンザ予防接種にいっとく

夜 十住毘婆沙学習会へ 阿惟越致品
惟越致(退転)から阿惟越致(不退転)へと漸漸にいたる菩薩が行じていく功徳の一つに「衆生を得ず」というのがある

「衆生を得ず」とは、衆生の名は菩薩と異なれば、貧・我見を離れる故に、是の念を作す。若し他の人に実に我有れば、彼は他の因と為す可く、我有る故に以って彼を他と為す。しかも実に我を求むるに不可と得なり。彼も亦不可得なる故に、彼なく亦我無し、と。是の故に菩薩も亦彼を得ず。

自他それぞれに我が存在するわけではないということなんだろうが、教化するものとされるもの(菩薩と衆生)という二項もまた実体のないものだということも言っているようだ
実体を認めようとする説一切有部を論破するために、龍樹が「空」を編み出したという図式を描いていたのであるが、そういうことではなくて、「空」はあらゆる衆生とともに救われていく道を求める大乗仏教そのものを明らかにしようする概念なのだと思った。
そう考えると、龍樹の流れを汲む曇鸞が論註で「自利利他円満」という言葉を広く展開して行ったのも、うなづけることだ。

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コメント

初めまして
今年のインフルエンザ怖いですよね
お互い負けないように頑張りましょう
ぜひ遊びに来てくださいね

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