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2005年11月26日

●グロッキーっす

今日の日記

月参り 終日 東城報恩講 ああん もう 左膝が限界です 

夜、明日の同朋会のために 気力を振り絞って資料をつくりましたよ↓ こんなんでええんやろうか もう根性がなくなってしまいました 風呂入って寝ることにします 

正信偈はどこに書いてあるか

「教行信証」 親鸞聖人の中心的著作

教巻 行巻 信巻 証巻 真仏土巻 化身土巻

行巻の末尾に「正信念仏偈」が置かれる

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正信偈の内容

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<!--[if !supportLists]-->    <!--[endif]-->偈前の文

しかれば大聖の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、

仏恩の深遠なるを信知して、正信念仏偈を作りて曰わく、

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○帰敬

無量寿如来に帰命し、    不可思議光に南無したてまつる。

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○法蔵菩薩の発願   

法蔵菩薩因位の時、    世自在王仏の所にましまして、

    諸仏の浄土の因、    国土人天の善悪を覩見して、

    無上殊勝の願を建立し、    希有の大弘誓を超発せり。

    五劫、これを思惟して摂受す。    重ねて誓うらくは名声十方に聞こえんと。

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○阿弥陀仏の光明を十二光として称える

あまねく、無量・無辺光、    無碍・無対・光炎王、

    清浄・歓喜・智慧光、    不断・難思・無称光、

    超日月光を放って、塵刹を照らす。    一切の群生、光照を蒙る。

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○本願と私たちの関係

    本願の名号は正定の業なり。    至心信楽の願を因とす。

    等覚を成り、大涅槃を証することは、    必至滅度の願成就なり。

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○釈尊が本当に言いたかったこと

    如来、世に出興したまうゆえは、    弥陀本願海を説かんとなり。

    五濁悪時の群生海、    如来如実の言を信ずべし。

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○信心の利益

    よく一念喜愛の心を発すれば、    煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。

    凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、    衆水、海に入りて一味なるがごとし。

    摂取の心光、常に摂護したまう。    すでによく無明の闇を破すといえども、

    貪愛・瞋憎の雲霧、    常に真実信心の天に覆えり。

たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、    雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。

    信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、    すなわち横に五悪趣を超截す。

    一切善悪の凡夫人、    如来の弘誓願を聞信すれば、

    仏、広大勝解の者と言えり。    この人を分陀利華と名づく。

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○信心を得るということについて

    弥陀仏の本願念仏は、    邪見驕慢の悪衆生、

    信楽を受持すること、はなはだもって難し。

    難中の難、これに過ぎたるはなし。

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○七高僧の伝統

    印度・西天の論家、    中夏・日域の高僧、

    大聖興世の正意を顕し、    如来の本誓、機に応ぜることを明かす。

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○龍樹菩薩

    釈迦如来、楞伽山にして、    衆のために告命したまわく、

    南天竺に、龍樹大士世に出でて、    ことごとく、よく有無の見を摧破せん。

    大乗無上の法を宣説し、    歓喜地を証して、安楽に生ぜん、と。

    難行の陸路、苦しきことを顕示して、    易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。

    弥陀仏の本願を憶念すれば、    自然に即の時、必定に入る。

    ただよく、常に如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべし、といえり。

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○天親菩薩

天親菩薩、論を造りて説かく、    無碍光如来に帰命したてまつる。

    修多羅に依って真実を顕して、    横超の大誓願を光闡す。

    広く本願力の回向に由って、    群生を度せんがために、一心を彰す。

    功徳大宝海に帰入すれば、    必ず大会衆の数に入ることを獲。

    蓮華蔵世界に至ることを得れば、    すなわち真如法性の身を証せしむと。

    煩悩の林に遊びて神通を現じ、    生死の園に入りて応化を示す、といえり。

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○曇鸞大師

    本師、曇鸞は、梁の天子    常に鸞のところに向こうて菩薩と礼したてまつる。

    三蔵流支、浄教を授けしかば、    仙経を焚焼して楽邦に帰したまいき。

    天親菩薩の『論』、註解して、    報土の因果、誓願に顕す。

    往・還の回向は他力に由る。    正定の因はただ信心なり。

    惑染の凡夫、信心発すれば、    生死即涅槃なりと証知せしむ。

    必ず無量光明土に至れば、    諸有の衆生、みなあまねく化すといえり。

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○道綽禅師

    道綽、聖道の証しがたきことを決して、    ただ浄土の通入すべきことを明かす。

    万善の自力、勤修を貶す。    円満の徳号、専称を勧む。

    三不三信の誨、慇懃にして、    像末法滅、同じく悲引す。

    一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、    安養界に至りて妙果を証せしむと、いえり。

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○善導大師

    善導独り、仏の正意を明かせり。    定散と逆悪を矜哀して、

    光明名号、因縁を顕す。    本願の大智海に開入すれば、

    行者、正しく金剛心を受けしめ、    慶喜の一念相応して後、

    韋提と等しく三忍を獲、    すなわち法性の常楽を証せしむ、といえり。

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○源信僧都

   源信、広く一代の教を開きて、    ひとえに安養に帰して、一切を勧む。

    専雑の執心、浅深を判じて、    報化二土、正しく弁立せり。

    極重の悪人は、ただ仏を称すべし。    我また、かの摂取の中にあれども、

    煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、

    大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

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<!--[if !supportLists]-->    <!--[endif]-->源空上人(法然上人)

    本師・源空は、仏教を明らかにして、    善悪の凡夫を憐愍せしむ。

    真宗の教証、片州に興す。    選択本願、悪世に弘む。

    生死輪転の家に還来ることは、    決するに疑情をもって所止とす。

    速やかに寂静無為の楽に入ることは、    必ず信心をもって能入とす、といえり。

    弘経の大士・宗師等、    無辺の極濁悪を拯済したまう。

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○結び

道俗時衆、共に同心に、    ただこの高僧の説を信ずべし、と。

    六十行、すでに畢りぬ。一百二十句なり。

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正信偈はどのようにして広まったか

蓮如上人が一四七二(文明5)年、正信偈・和讃を四帖にして開版

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