« 「もう、うつむかない」 | メイン | Little Birds DVD発売 »

2006年03月25日

●無量寿

サーシャ・コーエンの右肩が落ちたコスチュームってどうなんでしょうか。何かが憑依したみたいな、鬼気迫るスゴイ演技でした。

さて、玉永寺同朋会で正信偈を学ぶことになったのですが、今回はテキストなしということです。
レジメを自作して臨むということで、しんどいですが、けっこう楽しみでもあります。

なんで正信偈の最初が「帰命無量寿如来」なのかを考えています。浄土論や真仏土巻とかみれば「光」が冒頭にきそうなものが、なんで親鸞は「無量寿」をもってきたのかなと。そもそも、「光」を組み込んだ名号は前例があるのですが、「帰命無量寿如来」という言葉自体の出典が、なかなか見つかりません。
しかし、「無量寿経」とか「無量寿如来会」とか、馴染み深いところで「無量寿」という言葉は使われています。そして、どんな時代にもそこにいてくれる仏というのは、とても大事な要素ではないかと思い始めました。つまり、このごろの私のワンパターンなのですが、末法・仏滅という時代に確実にそこにいてくれるはずの仏ということを、親鸞が重視したんじゃないかなと。

まぁ、このごろはそればっかりなんだけど、そのあたりから攻めてみっか。
とっかかりが見つかったので、とりあえず安心してるオレだったりしましす

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://gyokueiji.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/245

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)