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2006年04月05日

●花に罪はなけれども

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060328-00000218-kyodo-int

さて、宗教は国家を超えられるか 近代日本の検証によると、本居宣長が桜を大和魂の象徴とし、彼の学風を慕う勤皇の志士たちが桜の散りぎわを武士道の究極のすがたと受け止めたということです。

この傾向は、明治維新後も衰えることはなかった。いやむしろ、近代天皇制国家の確立とともに、桜は国家とされ、帝国陸軍の記章ともなった。そして、天皇の「赤子」である軍人は、「皇国」のために、あたかも桜の花の散るように、いさぎよくその命を投げ出すことが求められたのである。

おりしも幕末に登場した新種のソメイヨシノが一気に全国に普及することによって、散る桜は日本人の心を示す花、それも昔々からそうであったように思い込まされてしまいました。

日本人が古くから愛してきた桜は、山桜のように、じっくりと愛でることのできる花見の桜であったということです。ああ、花見がしたい

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