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2006年04月18日

●行き着いた先

午前、住職修習などの書類を提出してきてしまいました。とうとう、年貢の納め時ですなぁ

組同朋の会の本番まで、悩みに悩んで、ふっとこの本に出てきた歎異抄第四章の解釈を思い出し、読んでみました。歎異抄をよむ 本当の慈悲とはなにかという捉え方です。


親鸞が聖道門の慈悲として言っている、人をかわいく思い、いたわる、気の毒だと思い、かわいそうだと思う、こんなことでは決してその人を最後まで救い切ることは出きないのだと。何も無意味とは私は思わない。親鸞もおそらく無意味だとは思っていないと思います。彼も教化活動をしたわけですから、人とのつながりはそういうことを通してきずいていったとは思いますけれども、それでは最後まで助け切ることはできない。やっぱり本当に親鸞にとって相手を救うこととは、自分は往生すべき人間なんだという自覚を持って、かけがえのない存在なんだという自覚を持って、自信を持って力強く生きていく道を親鸞は示したわけですね。親鸞にとっては死んだ後に浄土に生まれるかどうかというのが問題ではなくて、浄土に生まれる存在なんだよと、正定聚なんだよという自覚が人間としての自覚です。人間としての誇りですね。これを親鸞が植えつけていった。植えつけていったというのは親鸞は思っていないかもしれませんが、阿弥陀仏の力でそうなったというでしょけれども、親鸞は教化活動をしてそれをしていくーーこれが親鸞が進んでいく救いの道だと。


 かなり前に読んだ本でしたが、正定聚の取り上げ方とかピッタリ来ました。河田先生はいいなぁ。前は響いてこなかった本が、こうして輝いてみえてくるってあるんだなぁ。この問題も取り上げて、本日、話をしました。宣伝もかねてチラシを配り、市民学会総会や写真展にも触れました。

 座談会は、久々に十分な時間があって、様々な発言がでました。はじめて発言してくださった方もいたなぁ。とても面白かった。
 とにかく、終わりました。悩んだ分だけ学んだ気もします。
 辛かったけど、おきらくにもうホッとしています。

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