« ワールドカップ観戦 その2 | メイン | 素人の優勝予想 »

2006年06月24日

●玉永寺同朋の会レジメ

明後日の準備をしています。 「本願名号正定業」を第十七願の内容とする本が多くて、それが定説みたいになっているようですが、煩雑になるし、そうなのかなとも思いますので、今回は省略します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。

「なむあみだぶつ」は、だれもが確実に浄土へ生まれるおこないです。至心信楽の願(第十八願)が、その証拠です。

第十八願「設い我仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。もし生まれずは正覚を取らじと。ただ五逆と誹謗正法とをば除く」

「わたしが仏になるとして、あらゆる人々が、まことの心で信じ喜び、私の国に生まれたいと思って、せいぜい十回は念仏してもらいたい。もし、わたしの国に生まれることができなければ、わたしは決してさとりを開くまい。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法をそしるものをのぞく。」

等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。

念仏者が仏に等しい悟りを完成させ、大いなる涅槃を得られるのは、必至滅度の願(第十一願)が完成しているからです。

第十一願「設い我仏を得たらんに、国の中の人天、成就に住し必ず滅度に至らずは、正覚を取らじ」

「わたしが仏になるとして、国の中の人々が、必ず悟りに至ることが定まって至ることがなければ、わたしは決して悟りを開くまい。」

○法蔵菩薩が誓った本願は四十八あり、どれにも「わたしが仏になるとして(設我得仏)」「~が実現しないならば、わたしは悟りを開かない(不取正覚)」の言葉が入っている。

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)