« テンシーズさん | メイン | 悪戦苦闘してます »

2006年09月03日

●息子と美川の会

昨夜は高二の息子といっしょに美川の会へ行ってきました。

http://sun.ap.teacup.com/pastime/6.html

「よくきたね。えらいね。」と声をかけてくださったのですが、事情は複雑で。

素直に、「いいお話をされているから一緒に行こうよ」ということではないんです。

彼も17歳になりました。

自分の進路、「寺」ということをどう考えて行けばいいのか、彼はこの夏、とてもとても悩みました。

いまも、深く悩んでいます。

以前、修練の班担をしていて、寺に入っていく若者の、言い知れぬ不安感とプレッシャーを聞いてきたのですが、それと同じようなことを息子が話したのは驚きでした。

いやはや、これは当然、当たり前のことなのですが、ガンと一発なぐられた感じ。

彼のために、父としてなにができるだろうかと考えた末に、美川の会に連れて行くことを思いつきました。

なんだかんだいって、同じ道を歩んでほしいという、ドロドロとしたものを私は心の底に抱えています。

でも、昨日のお話にもありましたが、他人に菩提心を起こさせるという事は、決してできることではありません。

彼の選択を見守ることが大事です。

でも、それでいいのだろうか。

寺とは違う形で、自らお念仏を学ぼうという人が集まる場所、お念仏が生きている場所を見せてやりたくなりました。

そういうわたしの思いを伝えたところ、息子は美川まで行くことを承知しました。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://gyokueiji.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/392

コメント

そりゃまあ、いろいろあるのでしょうが、自分の17才のときのことを振り返ってみれば、父親とそういう感じで行動を共にするなんて考えられなかった。後半はさすがにちょっと退屈そうでしたが、前半は、けっこう言葉がとどいている感じでしたよ。たしかにあそこはちょっとカルチャーショックを受けるかも。

お世話になりました。
いっぱいいっぱいで、「父」を、やっております。

自分の17歳といえば、寺を継ぐのがイヤで、
新興宗教にハマってました。

当然、オヤジ等家族とエライ話合いになったわけですが、
今から考えれば、よく周囲は頭ごなしに否定しなかったなあと
思います。
(もちろん、破壊的カルトではなかったからかもしれませんが)

きちんと自分の意思で選ぶ余地が残されてたこと、
今になってようやく感謝できます。

肝心なとき、自分がどうだったかということが、すっぽり抜け落ちたりしています。

>きちんと自分の意思で選ぶ余地が残されてたこと、
>今になってようやく感謝できます。

オレも父にそうしてもらってたなぁと、思い出したりしてます。コメントありがとうございます。

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)