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2006年09月13日

●玉光順正「差別と靖国」ノート

乱雑な講義ノートです。文責は流星にあります。

 靖国問題を取り上げるときによく言われる言葉。靖国へ行って、賛成派の人の声を聞こう。死刑廃止問題でも同様。死刑制度を賛成する、必要とする人の意見を聞こう。賛成もあれば、反対もある。相手の意見を聴きたい。一見、そうかなと思うが、じつはそこに問題がある。私たちはどこでそれを課題にするのか。両方の意見を聞いて、裁いていくことではないだろう。そこに自分はどういう立場に立つのか。親鸞の思想の中から考える。
 靖国問題がなぜ浄土真宗の課題なのか。部落問題がなぜ浄土真宗の課題なのか。政治問題、社会問題は信心の問題ではないと、教団の内部から外からも言われる。坊主が政治、社会に口を出すな。そういうものなのか?
 逆に、靖国問題、部落問題に関わらないと真宗ではないのか? そうではない。浄土真宗にきちっと、真向かいになれば、当然、部落靖国が見えてくる。見せてくれる。その課題が見えてくる。政治問題、社会問題を宗教的課題と捉える。
 賛成か反対かならば、賛成の凡夫が一人が増えるか、反対の凡夫が一人増えるだけ。それでは宗教的課題とならない。どこまでも分裂する。かみ合わない。賛成か反対ということではない。二元論ではない。どういう立場、どこに立つのか。常に浄土真宗と真向かいになる。そこから様々なことを学んでいく。教団の課題として。そして私自身はどう思うのか。
 真宗文化革命論。意識革命。真宗文化創造論。差別問題は、われわれの持つ文化の問題。文化が問題を作り上げた。真宗の文化はそれとは同じものではない。文化大革命。当時、文化大革命は評価されていた。今は失敗といわれている。しかし、そこに考えられていた理念。道理があった。この革命は人々の魂に触れる革命。私たちがやるべきことは永遠革命。永久革命。継続革命。不断革命。毛沢東は国家の理念を革命に見た。常に変わり続ける。国家はしっかりしたものだろうか。個人的に往生浄土の歩みは留まるものではなく、われわれが変わり続けること。解放され続けること。それが往生浄土。
 真宗同朋会運動。家の宗教から個の自覚へ。しかしながら、「個」ということを言ってこなかった。3,4年前、辺見庸への質問。「私たちは今なにをしなければならないのか?」答えは「個の自覚です。」。私たちが40年来使ってきた言葉だが私たちが言った「自覚」と迫力が違う。組織は解散しろ。宗教も解散しろ。バラバラにならなければならない。一人にならなければ。靖国問題に学ぶ。それはなぜやっているのか。仕事の上で研究するのか。坊主だからということで関わっているのか。一人でもやるのか。個の自覚。個というものがわたしの中にあるのか。世間体でやっているのか。それが個の自覚。
 親鸞の宗教は一人になることのできる教え。一人になることのできる宗教。徒党を組む宗教ではない。個の自覚。それがまったく言えてなかった。スローガンとしてあるけど誰も言わない。
 阿部謹也 世間とは何か。世間論。日本人の歴史意識。世間は排除差別するもの。人間関係の枠組み。「世間」「出世間」は仏教からの言葉。世間には外国の人は入らない。靖国は世間。アジア諸国はわれわれと関係ない。

「世間」の特徴。
贈与互酬。葬式。お中元。返すということが大事。お土産。
共通の時間意識。「先日は」「今後とも」お礼の後払いと先払い。
排他的差別。学会。教団。他の宗派との付き合いが少ない。対話はほとんどしていない。派閥、同窓会。部落差別。世間が違う。愛生園「社会からお客さんがこられた。」自分たちは社会外に追いやられている。外国人差別。隣の国からなにを言われても関係ない、靖国。
 世間をわれわれは気にして生きている。「自分は無実だが、世間を騒がして申し訳ない。」本当に無実なら徹底して戦うだろう。個ではなくて、世間の中でしか生きていない。連座制。親の顔が見たい。家全部が排除される。世間がそれを作っている。それを越えたのは、日本では親鸞だけである。親鸞の宗教だけである。
縦社会←非僧非俗
縦社会←横超
 浄土真宗の文化の基本。こうした言葉を基本にして真宗文化を創造するのが真宗同朋会運動。縦社会の世間を克服。交流する。歴史文化を学ぶ。中国、韓国、アジア諸国への蔑視は明治以来130年の歴史の中でできた。それまでは敬意を持っていた。脱亜入欧政策。アメリカに媚を売る。そういう意識を変革する。文化の危機。靖国はこの5年間で変わってきた。若い人が靖国を見に行く。行くことによって、自分はどこに立てるのか、国のためにとなる。
 国のためと言うものが、浄土とは言わない。あくまで日本。日本人。錯覚。国のため。われわれに国家を相対化する視点がないと保守化する。浄土の思想が待たれている。
 念仏者が世間とどうかかわるのか。どこまでも世間に迎合しない。自分の個人的な願いを越えたもの。本願、志願をもって生きる。個人的なものではなく、エゴイズムとナショナリズムを越える。志願の意味。時代、教団。こうしたことではなく、世間に迎合して、全体がそうなってきている。自分たちを守る姿勢。守れば小さくなる。
 第四願。形色不同。無有好醜。悉皆金色。生き生きとした色。好醜差別。差別は人間の意識、制度がする。そのことに価値を与えるところに差別が起こる。意識が差別を生み出す。それがない世。一人になることのできる宗教。親鸞は非僧非俗。一人である宣言。国家から排除された。排除した国家を拒否したのが非俗。一人になった宣言。非僧非俗。あらゆる人と、違いをそのままになお、水平にその人と出会うことのできる一人になる。それが真宗における帰依僧の意味。仲間の中に入ることではない。一人からはじまる教団。帰依僧。普通は枠に入る。そうではなくて、枠を取っ払う。一人になった人がつながっていく。違いを認める。バラバラで一緒。個の自覚。それぞれの人の自覚に頼る。そういう姿勢がそれぞれの人の自覚を促す。つながっている。

浄土真宗の1,2,3

一人になることのできる宗教
二種深信
機の深信。人間はどうしようもない。法の深信。どうしようもないことが恥ずかしい。
たいしたことのない、かげがいのない私を生きる。
三は三極構造⇔二元論 勝負 正邪 自由テロ 損得 生死 プラスかマイナス 賛成か反対。
念仏者は混沌。矛盾。対立。それをエネルギーとするのが念仏。念仏者は生きる力、問う力、耐える力。三極構造を生きる。

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