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2006年09月25日

●華の会本番

そろそろと準備してたら、電話がかかってきて、責任も持たないくせに口を出す方の部下の方に、少々苦言を呈した。<意味不明

すこし頭に血が上ったら、あうち、昨日のノートと、寺にある二河白道の掛け軸を持参することを忘れてしまった。

コンビニでバナナを買い食い。昨日の「あるある大辞典Ⅱ」によれば、これで脳がパワーアップするという。

会場で話し始めたら、口が回る回る! これがバナナパワーなのか! これからお話しに行くときは毎回、バナナを持参しなければならないのか。。。

まず、行巻の往生礼讃問答へ遡り、「光明名号」による摂化が弥陀仏の最大の特徴なのだと話し、

引き続きテキストのすてきな二河白道譬喩の意訳を読んで、白道が「清浄願往生心」であり、「金剛の真心」「金剛心」の出典なのだと遡り、行者の発心はだれに言われたのでもなく、自らに起こった出来事であるということ。この道をいこうという本人の決意の重要性を話す。
そして、それは同時に、本願に促されたとしか言いようがない出来事でもある(行者正金剛心)。だからこそ、貪愛瞋恚の河に晒されて、消えそうな白い道でも、ダイヤモンドの如くあるのだと、語ってまいりました。

次回は忘れずに二河白道の掛け軸を持っていって、二尊教について話すことからはじめよう。バナナも食べること。

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コメント

そんなバナナァ(笑)!
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あー自分で言ってて笑苦しい。
あんまり調子良さそうじゃなかったとか
聞きましたが・・あれ?

昨日の記事見て予習したのですが
私のほうが聞きたかったです(笑)
難しいこと聞いてんだなと
(わかってなくても)
おもいました。
ウチは次々回の宿やったかな?
お疲れ様でした。

弥陀釈迦の招喚の声、
あれは歩み出そうとしたとき声をかけたんじゃなく、ずっと声がしてたんじゃないかなぁって私は思ってます。
行こうと決意したとき、まこととして聞こえた、教えとして聞こえたんじゃないかと思っています。

>so-monさん

カラ元気は坊守さん方には見透かされているようで。。。
らくりんさんから善導大師のお話しをよく聞いているせいか、ここのところ聖典にしつこく尋ねるような内容になっています。自己満足優先になっているんじゃなかろうかと、反省だけはしとります。
次回、11月にお邪魔させていただきます。

>あおさん

とりあえず二河譬の文面は、前からしてたかどうかはわからんけど、行こうと思ったときに聞こえてきたとなってますね。
東の岸の人の声は「すなわち釈迦すでに滅したまいて後の人、見たてまつらず、なお教法ありて尋ぬべきに喩う、すなわちこれを声のごとしと喩うるなり。」と「教法」であり、西の人の声は「すなわち弥陀の願意に喩うるなり。」と「本願」を念頭にしているから、あおさんのように考えてもいいんじゃないでそか。

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