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2006年09月28日

●法蔵菩薩五劫思惟像

同朋会、終わりました。
ただ大事なフレーズを並べてるだけとは思えなかったのが、
正信偈を一つのストーリーのもとに読めたのはとてもよかった。
ただ、次回もこのようにできるのか不安だったりします。

ここで、もしかしたらとても貴重な画像をお見せしましょう。
VFSH0032.JPG
これは、ご門徒さんの脇掛にかけられている掛け軸です。なんなんだろうかと思っていたのですが、

 北陸石仏の会事務局を担当する尾田武雄さん(57)=砺波市太田=が、旧大山町を中 心とした県東部に阿弥陀(あみだ)如来が修行する「法蔵菩薩五劫思惟(ほうぞうぼさつ ごこうしい)像」が21体あることを確認した。全国的にみても県東部に集中し、大半が 明治後期から大正期に造られていた。尾田さんは「県東部に多い理由は分からない。幕末 から明治にかけて浄土真宗の教えが庶民にまで入り込み、像が造られたのではないか」 と推測している。

 「法蔵菩薩」は五劫(劫は無限といえるほどの長い時間の単位)もの長い間考え続け、
阿弥陀になると言われる。21体の内訳は、旧大山町9体、立山町4体、旧富山市2体
(うち1体が木造)、上市町1体、旧婦中町2体、旧山田村1体、旧大沢野町2体(木
造)。

 いずれも下腹部がへこみ、あばら骨が食い込むなどやせ細った姿だった。

 さらに、香川県に2体、福岡県に1体、鹿児島県に2体あることも判明。中でも、鹿児
島県では薩摩藩が真宗を禁教としたが「かくれ念仏」として伝えられてきた。ミュージア
ム知覧(鹿児島県知覧町)の「薩摩のかくれ念仏」に法蔵菩薩が掲載されており、尾田さ
んは「薩摩に密貿易品の昆布を運んだ越中の売薬業者が関係したのではないか」とみる。


http://www.kitanippon.co.jp/backno/200601/18backno.html#sports3

これは暁天講座でおいでくださった太田さんからお聞きしたことだけど、薩摩では阿弥陀仏のご本尊が禁止されたので、法蔵菩薩の像を、釈迦の苦行の姿と騙って本尊としたそうだ。

http://www.town.chiran.kagoshima.jp/cgi-bin/hpViewContents.cgi?pID=20041215120544

この掛け軸は、おそらくそうした歴史を背負ったものであると思う。南無阿弥陀仏。

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