« 2006年09月 | メイン | 2006年11月 »

2006年10月29日

●立山信仰散策

午前、上市で中陰法要、富山市街で報恩講。
夕方、浜黒崎での報恩講までの合間に「立山博物館」周辺へ行ってきました。


博物館の入り口で子どもが遊んでいました。
企画展の「立山と真宗」が見たくて行きました。展示されていた御絵伝は確かに素晴らしかったのですが、それよりも常設展に紹介されている立山信仰展示には初めて知ることが多かったです。
http://www2.ocn.ne.jp/~tomoya1/index.html
立山の開山縁起に登場する、磔のイエス・キリストのように痛々しい矢疵阿弥陀如来立像に深く感動しました。
また、布橋潅頂会にて女性を救済するものが、「オンバさま(姥尊)」という、実に不思議な存在であることにも強い印象を持ちました。なんだか「千と千尋の物語」を思い出すな。


布橋潅頂会のスタート地点の閻魔堂。すごい怖い顔をした閻魔さんがいました。

VFSH0040.JPG


橋の向こう側は、普通に墓地になっていました。


ゴールであった立山中宮寺は廃仏毀釈で破壊され、その跡の隣に立てられた遥望館から見た立山の情景です。橋を渡った女性たちは、このようにして立ち入ることのできない山を拝んだ、という設定です。


「女人禁制」というテーマについて、改めて考えたことでした。

●光徳寺報恩講

午前は水橋で法要

午後から光徳寺報恩講、引き続き1時間ほど法話。

親鸞聖人の一生をたどりました。

よく話せたなと、我ながら、充実感あり。

夜は子どもたちと回転寿司。

混んでいて1時間あまり待ったけど、その間、会話ができて、お腹が空いて、楽しかった。

しかし、こんな時間まで起きているということは、ペースが乱れつつあるんだと思う。

このところテンションがやたら高かったのが災いしている。

これからしばらく年末まで、押さえていきますので、ヨロシクお願いします。

2006年10月27日

●同朋会、おわりました

まーちゃんさん、コメントありがとうございます。

まー、「仏法は、しりそうもなきものがしるぞ」ですからなー。あっはっは。。。

プレッシャーから解放されて、テンション高くてすいません。
さて、座談会で指摘されたのが、「雲の下が明るい」というのは、素直に弥陀の光明の素晴らしさを表現しているのではないかということです。
だから、煩悩の雲霧が消えないということに、それほどこだわらなくてもよいのではと。

確かに、そうも読めますよね。
今回は信巻での論註の問いを重ねて読みましたから、そうなったわけで。

でも、光明の素晴らしさだけを強調すると、光明だけであとは何にもいらなくなる。
名号を大切にする理由が分からなくなります。

煩悩にさえられて光明が見えない。
だから、名号が大切なのであるのだと思います。ここは宿題。

とりあえず、終わってホッとしています。
今回もしんどかった。

さて、明日はどんなお話をしようか。

追記、菜っ葉さんのブログに「五重の義」が記されている。なるほどなと思った。

●玉永寺同朋の会レジメ

あまねく、無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、
清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、
超日月光を放って、塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。


摂取の心光、常に摂護したまう。

○摂取 おさめとる。
○心光 阿弥陀仏の大慈悲心の光
○摂護 おさめてまもる。
信心を、阿弥陀仏の心の光は、常に照らして護っています。

すでによく無明の闇を破すといえども、
貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。

○無明の闇 生きる方向に迷うことを「闇」に喩える。光が見えない状態。
○貪愛 名聞利養をむさぼり、愛欲に渇き執着する心。
○瞋憎 怒り腹立ち憎むこと。
それによって迷いの闇ははれて終わろうとしています。しかし、むさぼりや憎しみの心は相変わらず、信心の上を覆っています。これはどういうことなのでしょうか?

たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。

それは太陽の光が、雲や霧に覆われて形はかくされても、その雲霧の下は明るくて、闇夜でないのにたとえることができましょう。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」とは、こうした救いのすがたのことです。生きる方向が定まったことを言うのです。

我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

●雲の下が明るい? その4

昨日は、午前は魚津、午後は大沢野のほんこはん。


親鸞聖人と、たぶん玉日姫のツーショット。門徒さんのお内仏に飾られています。

夜は野々市で真仏土巻聴記輪読会初回。六名の方が参加されることになりました。ネットで案内をご覧になった方が、一人加わってくださいました。詳しい報告は、落ち着いたら書きます。東へ西へとパッソで走りまくってます。

今夜、同朋会です。

私も正信偈の内容が、教行信証のほかの部分で展開されていると考えているわけではありません。ただまぁ、聖人が同じようなことを考えながら書いていたんじゃないかなという程度です。

それでも正信偈に十二光が述べられ、「一切の群生、光照を蒙る」と続けて、雲の下は明るいという喩えをもってくるというのは、「称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば」という論註の疑問を重なっているんじゃないかと思うんです。

正信偈のこの後の七高僧の話がはじまる前の文言についても、どれも信巻に出てくる言葉ですよね。順序はバラバラだけど。

信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、すなわち横に五悪趣を超截す。 一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、 仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。 弥陀仏の本願念仏は、 邪見驕慢の悪衆生、 信楽を受持すること、はなはだもって難し。難中の難、これに過ぎたるはなし。

その意味では、信巻の前述の箇所から「雲の下が明るい」を読んでみるのも、そう悪くないんじゃないか。

そうしたことから、一つ目のポイントを、

しかれば、もしは行・もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまうところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと。知るべし。p223
を念頭に於いて、「他力回向の信」として「雲の下が明るい」を読もうと思います。

もう一つは、「煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。」の内容を譬喩で示したものとして、「雲の下」を読む。

この二点をポイントとして、レジメ作成に入ります。

ン、明日、光徳寺さんで法話をしなくちゃならないといことに、今気がついたYO! ヤバイ!!

2006年10月25日

●雲の下が明るい? その3

七尾さん、シノさん、コメントありがとうございます。

ガンダムの世界ですと、木星まで行って帰ってくるのが、かなりの荒行になっていまして。
無事に地球圏まで帰ってこれた人は、だいたいニュータイプという、「時が見える人」になってます。。。

まぁ、このへんの話題は、置いといて(汗

教行信証をめくりめくりしているうちに気になってきたのは、信巻の三一問答の前の展開です。

『論の註』に曰わく、「かの如来の名を称し、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲うがゆえに」といえりと。「称彼如来名」とは、いわく無碍光如来の名を称するなり。「如彼如来光明智相」とは、仏の光明はこれ智慧の相なり。この光明、十方世界を照らすに障碍あることなし。よく十方衆生の無明の黒闇を除く。日月珠光のただ室穴の中の闇を破するがごときにはあらざるなり。「如彼名義欲如実修行相応」とは、かの無碍光如来の名号よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう、しかるに称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば、実のごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るなり。(p213)

から始まって、

また云わく、我またかの摂取の中にあれども、煩悩眼を障えて見たてまつるにあたわずといえども、大悲惓となくして常に我が身を照らしたまう、と。已上(p222)

で、つづいて御自釈で終わるとこです。

あと、「貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり」とありますが、これって二河白道じゃないでしょうか? 「貪愛・瞋憎」が一致しているもんネ。んで、二河白道はp219あたりから引用されれてるし。

大はずれかもしれません。先回は証巻から攻めましたが、今回は信巻あたりからぶち当たって、木っ端微塵。

2006年10月24日

●雲の下が明るい? その2

となると、私、凡夫は、一生、弥陀の光明を直に見る事はできないということになる。

ここで、ムラムラと腹が立つ。なんで、オレには見えないのか!

そして、不安になる。この雲の上には、ほんとうに弥陀の光明が存在するのか?
この、おぼろげで心細い世界にいたたまれなくなるのだ。
飛行機に乗って、雲の上まで行けたなら、どんなにすばらしいだろう!
というか、オレにはそれができるんじゃないだろうか!!

この展開になると、以下の本を思い出さざるを得ない。

世親を「浄土を見た菩薩」として、菩薩への信頼を促すらくりんさんの読み方だ。

やはり悔しい。世親は選ばれた人間。浄土が見えた人。オレは見えない人。。。

「光を見たい」という欲望に苛まれるオレに、「雲の下が明るい」という話が、できるんだろうか。

●雲の下が明るい?

27日の玉永寺同朋会のお題は、いよいよ。

摂取の心光、常に摂護したまう。 すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。 たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。

尊号真像銘文。

「摂取心光常照護」というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきになりぬとしるべしとなり。「已能雖破無明闇」というは、このこころなり。信心をうればあかつきになるがごとしとしるべし。「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」というは、われらが貪愛瞋憎をくもきりにたとえて、つねに信心の天におおえるなりとしるべし。「譬如日月覆雲霧 雲霧之下明無闇」というは、日月のくもきりにおおわるれども、やみはれて、くもきりのしたあきらかなるがごとく、貪愛瞋憎のくもきりに信心はおおわるれども、往生にさわりあるべからずとしるべしとなり。


浄土真要鈔

「摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」といえり。この文のこころは、阿弥陀如来の摂取の心光はつねに行者をてらしまもりて、すでによく無明のやみを破すといえども、貪欲・瞋恚等の悪業、くもきりのごとくして真実信心の天をおおえり。たとえば日のひかりの、くもきりにおおわれたれども、そのしたはあきらかにしてくらきことなきがごとしと、なり。されば信心をうるとき摂取の益にあずかる。摂取の益にあずかるがゆえに正定聚に住す。しかれば、三毒の煩悩は、しばしばおこれども、まことの信心はかれにもさえられず。顛倒の妄念はつねにたえざれども、さらに未来の悪報をばまねかず。かるがゆえに、もしは平生、もしは臨終、ただ信心のおこるときは往生はさだまるぞと、なり。これを「正定聚に住す」ともいい、「不退のくらいにいる」ともなづくるなり。

「正信偈」教学研究所

それは太陽の光が、雲や霧に覆われて形はかくされても、その雲霧の下は明るくて、闇夜でないのにたとえることができましょう。

雲や霧があっても、あたりが暗闇にならないのは、その上に太陽の光が注いでいるから。
卑小な人間には雲霧を退かす力はない。それでも、光の存在を知る事は、できている。
といったかんじでしょうか? ご意見、ご助言をいただけますれば幸いです>all

2006年10月23日

●亀

門徒さんが飼っている陸ガメ。

現在10cmぐらいだが、いずれ40cmには成長するそうだ。

そんな巨大な亀が、お勤めをしている後ろで、のっしのっしと歩いている様子を想像すると、

正直、少々、怖い気がする。

2006年10月22日

●輪読会に参加しませんか?

開催日時 2006年10月26日(午後8時~10時ごろ)

開催場所 石川県 (野々市町 常讃寺 門徒会館)

4年間、有志で『十住毘婆沙論』の学習会をほそぼそと開催してきましたが、「易行品」まで終わりましたので、あらたに安田理深先生の『真仏土巻聴記』Ⅰ・Ⅱ (文栄堂)の輪読会を始めることになりました。

「親鸞の教行信証を読み解く」(明石書店)の著者、らくりんさんと共に、なかなか一人では読み込めないテキストを輪読し、雑談を楽しむ会です。毎月一回のペースで、固定したメンバーは、富山1、高岡1、金沢1、能登2といった感じです。細々とですが、熱い心意気でもって続いています。

新しいテキストに取り組むこの機会に、ご一緒に学びませんか?
参加者をお待ちしております。

http://sun.ap.teacup.com/pastime/152.html

2006年10月21日

●報恩講、終わったです

今日は60名ほどの参詣。

お話は稲垣さん。どこを切っても仏教、みたいなお話。

今年度、玉永寺報恩講、終了。

ここからまた、歩み出すのだ!


2006年10月20日

●報恩講初日

参詣は30人ほど。

埴山さんのお話、よかった~。

「末代無智」の御文。「たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。」罪悪深重の自覚と弥陀の救いは前後ではない。「かならず」という言葉で結ばれている。同時だということ。自覚が救い。
そして、「報恩感謝」とは、自らの罪悪を受け止めてもらえることへの感謝。。。
いつも読んでいるこの御文がなかなかいただけなかった。それが、「そうか、こういうことか!」目から鱗でした。

「いつつの不思議をとくなかに 仏法不思議にしくぞなき 仏法不思議ということは 弥陀の弘誓になづけたり」
自然、運命、出会いといった「不思議」を、われわれは不思議とは受け止められずに、悩み苦しみ、怯えている。不思議を不思議として受け止めるのが仏法不思議。。。

いつまでもお話を聞いていたいような一日でした。

2006年10月19日

●報恩講前日

昨日、張った幕

昨日、発送した同朋会案内
P0001.JPG

荘厳も終わりました
VF0020.JPG

みなさまの参詣をお待ち申し上げております。

↓張り出した、11月からの日程表。がんばります。

続きを読む "報恩講前日"

2006年10月18日

●水橋米騒動

so-monさん、コメントありがとうございます。

本日はまず、出棺勤行からはじまりまして、葬儀。

午後から組同朋会。
ここで書いたようなことをお話しました。
「無碍の一道」については、それに対比されるような私たちのなにかにおびえ続ける日常が浮き彫りになるようで、座談会も病といった身近な問題を皆で悩みあうような展開になりました。
それにしても、総序の迫力にびびってしまい、「このテキストは来月で終わりにします」と言ってしまった自分が情けない。

帰って、一日早いけど、息子と幕張りと提灯台の設置。

そしてお通夜へ。
同じ地域なので、昨夜と同じ方がみえているのと、小学生が何人かいるので「四門出遊」を話してみる。と、昨夜同様、参詣者の方々の表情が気になってしょうがない。このあたりは新米なんだと思う。余裕がないのだ。様々な表情を、どかっと受け止められるようになりたいものだ。

かなり凹んで、疲れ果てて帰る。

自分を奮い立たせるようにして27日の同朋会の葉書を作成。

と、NHKの「その時歴史が動いた」で水橋の米騒動が、真正面から取り上げられていた。

『高岡新報』記者・井上江花の言葉
「我々は真に野花の一茎にだも如かざる微細な人間であるけれども、野花は野花だけに生涯の美があります」

なんだか誇らしい気持ちになる。このページの下のほう。米騒動のかあちゃんたちと、ちょっとは関わりがあるんだから、なんか、がんばらなくちゃという気持ちが、ほんのすこしだけ湧いてきた、、、、かもしれない。

2006年10月17日

●あした、そして、あした。。。

今夜はお通夜だった。久しぶりにご自宅で。

ホールとは違って、参詣していらっしゃる方々の顔がしっかりと見えてしまって、とても緊張した。ペースを乱された感じなのだ。意固地な法話になってしまった。

このところ、お世話になったご門徒さんの死が続いた。書いたように明日は葬儀、組同朋会なんだが、そのあと再びお通夜になってしまった。

今日は、書いたように、終日ほんこはんに枕経がはいって、お通夜。だから、総序についてのテキストなどを持ち歩いてはいるのだが、読む時間はなかった。それでもまぁ、苦し紛れながら、だいぶお話することは整理できたような気もする。

総序の「ただこの信を崇めよ」という表現がおもしろいと思う。自分で起こした「信」でないから崇めるということになる。本願が起こしてくれた「信」。

自分で起こした「信」ではないから、能力や身分なんかに左右されないダイヤモンドのような信心。そして本人は、アナンのように、素晴らしい出来事が自分に起こっていることに気づきもしないのだろう。

教行信証に書かれている「信」が、自分の今の状態とかけ離れていると、悩むことなんてない。本人の努力や能力に左右されない信心が存在することを、とりあえず崇められる者になっていることでOKなんじゃないだろうか。

今夜は、今頃になって鶴橋で買ってきた「まっこり」を一本、空けた。思えば、昨年、ダイエットをはじめたのは玉永寺報恩講を終えた日からであった。このところ、やっぱりしんどい。この時期、ストレス太りになるのはしょうがないと実感している。呑まなきゃやってられない状態なのだ。もう、父も母も連れあいも、いっぱいいっぱいでやっている。

うむ、今夜の文章は「まっこり」が書かせていて、しどろもどろだな。一日一日をとにかくこなしていく。うん、それだけ。

●明日の組同朋会に向けて

昨夜は想定外に長い、二次元アイドルの歴史があることを学んだことであった

組同朋会。とうとう、明日になってしまった。
今日はほんこはん、午前富山中心部、午後は滑川、そしてお通夜がある。

たいへんお世話になった責任役員さんのご葬儀が明日の午前、午後から組同朋会。
先日、ながらく組門徒会の仕事をしてくださった方も亡くなられた。お二人は親友だった。
ぽっかりと、穴があいた感じ。

組同朋会は、先回の「念仏者は無碍の一道」の補足として「念仏は行者のために非行非善」のお話をして、最終章へ入る。聖人が京都へ帰られた理由、教行信証執筆の経緯、入滅についてお話して、時間があれば総序を一度、読み合わせるくらいまでいくことにしよう。

総序の文言について、宮城先生のサブテキストではあまり踏み込んでお話されていない。藤場さんの「読み解く」でも科文について触れられただけの感じ。お話しするなら、腰をすえて、時間をかけて取組むべき文章だということだ。

しかし、いくら私がまったくの力不足とはいえ、このまま、すごすごと通り過ぎていくのもくやしいので、主催者の方には今年いっぱいはこのテキストを使わせてほしいとお願いしている。

それで曽我量深の「行信の道」、やはり私には合わなかった。「有限にして無限」とかもう、それですんなりいける人はいいんだろうけど、私みたいな偏屈者は論理が飛んでしまうことに耐えられないのだ。

今は、安田理深「教行信証総序聴記」をめくり始めている。こちらの方は、いまのところいけている。


 「あたって砕ける身の程知らず カタストロフの業火が見える」 お粗末

2006年10月16日

●驚異! 日本海食堂!

今日は午前と午後と富山中心方面でのほんこはん
ウチは、移動も含めて一軒一時間のペースですわ>あおさん
(って、よく見たら、月参りのお話だった。ダメだ>俺)

夕方から報恩講の準備


御絵伝を荘厳



今年は祠堂で花瓶を新調させていただきました。ありがとうございました。

VFSH0007.JPG
高札も立てました おとうさん 字が上手だね いつもありがとう(汗

かみさんも疲れているので、今日は近所の日本海食堂へ、何十年ぶりにいってみました
なぜかmixにファンサイトがあるので妙だなと思っていたのですが、行ってみてびっくり!

続きを読む "驚異! 日本海食堂!"

2006年10月15日

●育成員研修会

10月11から13日。講師は楠さん。フリーが竹橋さん。班担は、山陽の池田さん。大窪さん。三重の池田さん。教研の藤原さん、鶴見さん。そして私。特別研修生が班に入るということで、教研から立野先生と加来さんもいらっしゃっていました。

「宗祖親鸞聖人」の第七章「民衆に帰る」。特に法語1の唯信鈔文意についての話し合いが印象に残りました。職業差別、社会差別としての「下類」という言葉に、「われら」を見出していく展開ですね。

そして、「法語に学ぶ」というということについて、竹橋さんと意見が違うということをここで書きました。現実と離れてはどうしようもないけれど、「法語に学ぶ」ということを、もう一度、考えたい。いずれにせよ、私たちは言葉でしか教えに会えないのではない。亡くなられた竹中先生をはじめ、その教えに生きようとしている人たち、諸仏との出会いの大切さを思います。

楠さんは修練で何度かご一緒させていただいた先生で、今回も学ぶところが多かったです。教研のスタッフとも顔なじみになってきて、面白い話し合いができるようになりました。

昨年、初めて班担をしたときとは違って、特別研修生が研修の一環として参加していました。全体としてだいぶ雰囲気が違いました。担当した二人も、とても雄弁で刺激を受けました。新鮮な感覚に触れることができるというのが、育成員研修会の人気の秘密かもしれないな。

しかし、この研修会にも特別研修にも、富山からは参加者がいないのが残念。次回は4月中旬。

玉永寺報恩講が近づいてきて、準備に追われています。毎日、門徒さんのお宅をまわって「ほんこはん」、報恩感謝の日々です。さらにその前の18日に組同朋会があって、いよいよ「宗祖親鸞聖人」の最終章に入るのですが、法語になんと、教行信証総序が置かれているのに、びびっています。えらいもんが、最後の最後に控えていたとは!えらいこっちゃ!!!

2006年10月14日

●「恩徳讃」ウクレレ譜

昨日、研修会の帰り、お西さんのご本山へお参りしました。

北朝鮮核実験抗議文みたいのがでてました。


出版社でと「仏教讃歌 -歌集ー」700円を購入。


「仏教讃歌」に載っていたコード表を使って、うたほんくんでこれを作りました。
WS000000.JPG

これで、「年末クリスマス対抗イベントでの弾き語り」という野望に、一歩近づいたことでした。

●子ども会本番

昨夜、二泊三日の育成員研修会から帰ってきまして、

今朝、子ども会で12月の「さようならと感謝の集い」のための唄の練習などをやりました。

相変わらずやんちゃな1年生たちなんですが、かわいいもんです。

育成員研修会については、落ち着いたら書こうかな。

2006年10月10日

●子ども会葉書

kodomo.jpg

2006年10月03日

●「ハンセン懇」交流集会部会・「合同慰霊祭」

VFSH0004.JPG

次回の交流集会のための打ち合わせ。

交流集会部会担当者のほかに、邑久光明園の吉田さん、長島愛生園の鈴木さん、東日本退所者の会から石山さん、関西退所者の会から山中さん、光明園窓口担当者の勝間さん、愛生園窓口担当者の杉中さんを招聘し、2日から2日間にわたって開催。

京都、療養所、療養所のない場所、3パターンでの開催について、メリット、デメリットを整理する作業などを行いました。

亡き妻にありがとう -開かれた道ーに関わられた杉中さんに、あの記事の周辺について聞く事ができたりもしました。

2日の夜は宿を駅前に取りました。
学生時代に何度か行ったテントのラーメン屋台を思い出して、ふらっと出てみました。
バスの運行が終わったあとのスペースでやっていたんですよ。
近くのコンビニの店員さんに尋ねたところ、「そんなことがあったんですか」。。。
もう20年以上も昔のことだからなー。

3日は光明園と愛生園で胎児標本にされた子ども達の「慰霊式」が行われるということで、出席者は半分になりました。
これまで、園主催の式典のあり方についての議論がありました。それが、現実となり、いくつかの療養所で執り行われつつあります。なにか、物事がはっきりしない感じがします。

http://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3393952.html

ハンセン病の強制堕胎、岡山で慰霊祭


 ハンセン病の患者らが強制堕胎を強いられ、全国の国立療養所にホルマリン漬けの胎児の標本として残されている問題を以前、お伝えしました。このうち、全国で最も多くの胎児の標本が残っていた岡山県内の療養所で3日、合同慰霊祭が執り行われました。
 合同慰霊祭がとり行われた岡山県の邑久光明園では3日、参列しました入所者の代表者は、「厚生労働省が謝罪しても堕胎させられた母親には簡単に納得できるものではない」ということを非常に厳しい口調で語っていました。

 かつて、絶対隔離の島だった岡山県の長島。入所者の平均年齢は79歳。出席した入所者も介護士の付き添いが必要です。邑久光明園には全国の療養所に残されていた胎児115体のうちの49体がありました。

 慰霊祭で厚生労働省は、国策で胎児の命を奪ったことに謝罪しました。
 「厚労省を代表して心からお詫び申し上げます」(厚生労働省の代表)

 49体の胎児標本のうち21体はカルテなどもなく、両親が特定できませんでした。入所者は法律に基づかない男性への断種、女性への堕胎を国が黙認したことに強い批判の声を上げました。

 国立療養所の標本室。強制堕胎させられた胎児たち。60数年にもわたって放置されてきました。昭和16年8月28日、堕胎させられた日です。ガラス容器の中の胎児。表情は天使のようにも見えます。
 「廊下の外に放り投げてあったんです。子どもを・・・。まだ泣きよったからな・・・」(堕胎させられた松下ヨシエさん)

 母親の胸のわだかまりは消えません。自ら堕胎手術に当たったという元看護婦が健在でした。今年99歳になります。
 「まだ子どもに意識も何にも別にないし、同じ病気になったら、かわいそうだから・・・かえって私は亡くなったほうがいいと思いました」(堕胎手術をした元看護婦)

 高まる軍靴の響き。祖国浄化がうたわれました。ハンセン病は国の恥。根絶やしにする国策がとられました。
 「殺すと言ったらいかんかもしれんけど、見殺しやね」(池田シヅエさん)

 邑久光明園に暮らす池田シヅエさん(84)。昭和16年、妊娠7カ月。女の子を堕胎させられました。胎児は4日、火葬されます。池田さんは我が子を一度も抱くこともありませんでした。

 3日の慰霊祭は、決して胎児問題の終わりではないというのが入所者たちの共通した認識です。研究対象にもならず、なぜ命を奪われ、そして長年にわたって放置されてきたのか、検証を続けてほしいという思いです。

 こうした国の過ちを繰り返さないためにも、こうした事実を我々も報道していくことが大切です。(03日18:08)

2006年10月02日

●母の小言

photo_n02.jpg
「豚足みたいなものは載せるな」とか

「上品なお寺らしいホームページがあるから見ろ」とか

連日、悩まされています。

無線LAN、切ってやろうかと思いますよ。

2006年10月01日

●二河白道絵図


本日、報恩講をお勤めしてくださった門徒さん宅に飾られているものです。