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2006年10月27日

●同朋会、おわりました

まーちゃんさん、コメントありがとうございます。

まー、「仏法は、しりそうもなきものがしるぞ」ですからなー。あっはっは。。。

プレッシャーから解放されて、テンション高くてすいません。
さて、座談会で指摘されたのが、「雲の下が明るい」というのは、素直に弥陀の光明の素晴らしさを表現しているのではないかということです。
だから、煩悩の雲霧が消えないということに、それほどこだわらなくてもよいのではと。

確かに、そうも読めますよね。
今回は信巻での論註の問いを重ねて読みましたから、そうなったわけで。

でも、光明の素晴らしさだけを強調すると、光明だけであとは何にもいらなくなる。
名号を大切にする理由が分からなくなります。

煩悩にさえられて光明が見えない。
だから、名号が大切なのであるのだと思います。ここは宿題。

とりあえず、終わってホッとしています。
今回もしんどかった。

さて、明日はどんなお話をしようか。

追記、菜っ葉さんのブログに「五重の義」が記されている。なるほどなと思った。

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コメント

こちらもあらためてなるほど。光明だけでなく善知識だけでなく五重の義ですか。私の聖典には名号が全体を貫くと書き込みがありました。ふむふむ。トラックバックありがとうございます!

コメントありがとうございます。
菜っ葉さんのおじいさんのお話に、耳をそばだてておりますです。

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