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2006年12月31日

●1月の予定

1日 修正会 表坪新年会
2日 富山市街地年頭
9日・10日 能登青草の会 輪島
15日 安田理深真仏土巻聴記学習会 野々市
18日 組同朋会 テキスト 阿弥陀経 上市
19日 解放運動協議会 富山
21日 田伏お楽しみ会 講題「ハンセン病療養所を訪ねて」
25日 ハンセン懇交流集会部会会議 京都
26~28日 住職修習 班担 京都
29日 共学研修会 富山

ということで、来年も、よろしくお願い申し上げます。

●法蔵菩薩像調査

29日 太田さんと北陸石仏の会会長の尾田さんが来寺。
以前、ここに掲載した法蔵菩薩掛け軸の調査をされました。

尾田さんによると、明治20年ごろから、富山西部では真宗門徒により南無仏太子像(聖徳太子)の石仏が盛んに作られ、富山東部では法蔵菩薩五劫思惟像が作られたということです。

廃仏毀釈を経て、財政の逼迫によって本山が疲弊した時代、世が激変していた時代に、先人達はどういう思いで石仏を建立されたんでしょうね。尾田さんも気になっているご様子でした。同じように、この頃に、御門徒のご苦労によって東西の富山別院は建設されています。

この機会に、玉永寺にある、気になる掛け軸を何点か見ていただきました。
どれについても、興味深いお話が聞けたのですが、教如から下附された顕如上人像の確認ができました。裏書の「慶長二年」は東西分派前に教如が隠居していた期間です。富山における教如派の形成時期を知る史料として、もっとも早いとのことでした。

30日 お参り、修正会の準備、雪かき等、どうやら一段落つきました。
やっと自分の年賀状に取り組む余裕ができました。
今年は年賀状はやめて、web版の寺報を印刷して送付することにしました。
印刷、梱包、郵送で、倍の料金と手間がかかりました(汗

2006年12月30日

●御遠忌会議・もちつき

熱海から帰る道すがら、じわじわと私を苦しめ悩ましていたのは、次の日の会議のことでした。

25日 富山教区御遠忌教化推進部門会議。
いよいよ来年から始まる公開講座と、再来年春の記念講演、講師決定日です。

ここにいたる過程にはいろいろあったのですが、それは省略して。

公開講座は、テーマ 廃仏毀釈と富山別院。
太田浩史さん(となみ民藝協会会長)、阿満利麿さん(元明治学院大学国際学部教授)のお二人を軸に。
東別院改修中にて、会場は富山西別院。

記念講演はジャーナリスト、江川紹子さん。会場は新川文化ホールにほぼ決定です。
今後、まだ修正、ありえます。

記念講演に関しては、かなり冒険的な講師も候補にしていたのですが、最後の最後でビビリました。
その意味で、守りに入った選択をしました。でも、これでよかったと思っています。

この事業もありますから、来年、再来年は今年に輪をかけて忙しくなります。さらに頭が薄くなりそう。
しかし、村上さんがおっしゃるとおり、今は私にとってそういう時期なんだと思います。
ここのところ息切れしていましたが、これから一つ一つ、楽しんでやっていきたいと思っています。

26日からは仏事と並行して、寺報作成と年末の寺務に追われました。

28日 もちつきをしました。といっても「もちっこ」君(電動もちつき機)がやってくれるんですが。
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ご本尊に供える鏡餅を、ウチの若衆+1が、鋭意、作成中です。

夕食はつきたての餅を、ゴマ、きなこ、大根おろしでいただきました。美味でした。

2006年12月29日

●熱海・東京

23日 水橋→魚津→越後湯沢→東京→熱海と乗り継いで、駅から歩いて会場へ。
事前には連絡会と聞いていたのが、退所者の方々との交流会であったのにビックリ。
内容は、↓の報告書草案を読んでいただけると幸いです。

石山さんとは同室でした。懇親会では、並里さん、森元さんと深く話せてうれしかったです。須賀さんが酒井さんの弟だと初めて知ったり。釈香立さんとも初めてお話しました。思いがけなく、シズオさん御一家ともお会いすることができました。

24日 石山さんも森元さんもクリスチャンです。ミサでお忙しいところを参加して下さっていました。クリスマスは信仰を持つ方々にとって、大切な日です。キリスト者でもないのにクリスマスを祝う方には、年中、愛と平和を大切にする生活をしていただきたいものです。こんな日に死刑執行するなんて。。。

 交流会を終えて、一人になり、とても心細くなりました。あおさんは米原経由で行っちゃったし。ちなみに、水橋と熱海は本州を挟んで対称の位置になるようで、東京経由でもほとんど同じJR料金になります。

 少し時間があったので「ゆりかもめ」とかいうのに乗ろうと思い、新橋まで行ったのですが、人の波が嫌になって、やめました。
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 田舎者には東京の空は、確かに、小さく見えます。

 東京駅で降りて、皇居へ向かい、ふらふらと、夕暮れのなか、国会議事堂まで歩きました。「おまいら、教育基本法 成立させちゃったなー」と、叫んだりは、、、、、しませんでした。

 地下鉄、有楽町で乗り換えたらビックイシューをおじさんが売っていたので買いました。表紙がシャア・アズナブルでした。

 東京→越後湯沢→黒部→水橋と乗り継いで帰りました。熱海のお土産は、アジの開きでした。

2006年12月28日

●第3回真宗大谷派交流会 報告書草案

2006年12月23日から二日間にわたり、ハンセン懇第2連絡会の主催で、熱海温泉、旅館「立花」にて第三回真宗大谷派交流会を開催しました。東日本退所者の会からは18名、大谷派からは21名の参加がありました。

23日の日程は、並里まさ子さん(おうえんポリクリニック院長)の「クリニックの開設から一年半」というお話から始まりました。
並里さんは全生園医療過誤裁判の経過のなかで、日本のハンセン病医療・医学の構造的問題が見えてきたと話されました。国が絶対隔離政策の下で一般医療機関での治療を閉ざしてきた結果、療養所の内外においてハンセン病に関する知識を持つ人材が少なくなり、治療にあたるべき現場の医者にもこの状況に真摯に取り組む熱意が見られないことがあるとのことです。
退所者の方々が一般住民と共に診療を受けている埼玉県所沢市の病院の現況についても述べられました。国に頼ることなく、自ら回復者のための医療問題に取り組んでいらっしゃるご様子をお聞きしました。
引き続き、石山春平さん(東日本退所者の会会長)と旦保立子さん(ハンセン懇委員・宗議会議員)からの発題があり、そして、参加者一人ひとりが交流会に参加した思いを話しました。

二日目は「私たちのこれからの課題」「はじめの一歩を歩き出そう」と題して、参加者が抱えている具体的な問題を語り合いました。
打ち解けた雰囲気のなかで、大谷派の参加者は、運動がなかなか広がりをもたない悩みや、どのような具体的活動したらよいのか分からないという迷いを話しました。回復者の参加者は「救済の客体から解放の主体へ」というスローガンに触れ、自ら名告りをあげることの難しさ、あるいは名告り続けることのことの難しさを話しました。
しかし、和やかに話し合う言葉の中に、課題を乗り越えるための、お互いに対する信頼が語られていました。交流会を続けることで、「絆」とまで言えるような関係ができはじめている、と感じたことでした。

2006年12月26日

●玉永寺通信 第30号

突貫工事でなんとか作り終えました。

玉永寺通信 第30号

上記のアドレスはWeb版です。リアル版は現在印刷中。

コンパクトフラッシュの中の大事な画像データを、操作ミスで消してしまったときには焦りました。

このブログで使ったものを代用することで、なんとか事なきを得ました。ブログやっててよかった。

プリンターの方は感光体交換をはじめて体験してみたりしました。

一部にかすれが出ていたのですが、トナーを入れなおしたり、黒だけで何度か印刷したりして、うまく色が出るようになりました。

カラーレーザーはやっとうまく扱えるようになりました。先回より、両面印刷をはじめたので、安定して早く仕上がりそうです。

問題は、トナーが足りるかです。。。

2006年12月25日

●毎日が必死です

熱海、東京の話、そして今日あった重要な会議のことも書きたいのですが、

正月に出すはずの寺報を、一刻も早く作らなければならない。

しかも、今、ファイル操作を誤り、大切な画像を全部消してしまい、ぼーぜんとしています。

ブログに残っているものを使うことができるので、なんとかなるでしょうけれど。

しかも、明日も、あさっても、仏事がない日はない。

これはかなり、ヤバイ状況になってます。

2006年12月22日

●部落問題講演会・真仏土巻学習会

21日 午前は報恩講 月参り
午後 教区御遠忌教化部門打ち合わせ いよいよ来年から実施年度。この事業にずーーっと悩まされることだろう。

引き続き、部落問題講演会 講師 石川県同和教育研究協議会 事務局長の細木さん
厳しい背景を背負った生徒と向き合うなかで、生徒と共に歩ける教師になりたいという思いから、教育実践を同和教育から学ぶ。とても、感動的で学ぶところの多いお話だった。来年、金沢で2万人規模の同和教育大会を開催されるということだ。
あと、「被害者非難」という概念についても学んだ。

久しぶりに、フェアトレードの店「ふぉるくろーれ」によってチョコ、カレー粉、ゆずこしょうを購入。

野々市へと車を走らせ、常讃寺にて安田理深真仏土巻聴記学習会。
今回は、テキストの内容よりも、それに付随する話題と言うか、このごろ自分の課題になっていることをらくりんさんに尋ねるようなことだった。これも、とても勉強になった。
よく学んだ日だった。

さて、明日から一泊で、ハンセン懇第2連絡会。会場は熱海。講師は「おうえんポリクリニック」の並里さん。
静岡なんて行ったことが無い。熱海まで電車を乗り継いで5時間。行きも帰りも富山、越後湯沢間しか指定席は取れなかった。もしかしたら三時間たちっぱなしかぁ? がんばれ! 耐えろ! オレの体力!

2006年12月20日

●金沢・組推進員同朋会

18日 午前、鯰温泉で報恩講。
こちらの温泉と料理は最高です。近所なら毎日、行くのに。。。

午後から金沢教務所へ。
連区での解放運動推進本部との懇談会。

懇親会。ゼミ友だちの訓覇氏と、藤野豊さんの新刊の話題で盛り上がる。泊。

19日 金沢フォーラスでおみやげのケーキを買う。
21世紀美術館へ。
それなりにおもしろかった。

富山へもどり月参りをして、推進員同朋会へ。
テキストは、今回から九州のある寺院が発行したという「おつとめのほん」。
これに載っている阿弥陀経のお勤めと内容についてお話することになった。

経典についてお話するなんて、未踏の世界。
不安はあるけど、がんばってみよう。

ということで、だいぶ端折ったけど、これで日記の穴埋めは、終わったことにしておこう。

●柳原銀行・七箇条制誡

14日は同朋会運動推進会議のため、京都へ。
どうも、不完全燃焼な内容だった。
懇親会。一泊。

15日、なんとなく京都駅から東へと散策。
ふと、「柳原銀行」の案内板が目にとまる。
そういえば、保存運動に寄付したんだよな。
いっぺん見とくか。
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枳殻邸建築のために、運送に使われていた高瀬川の流れが変えられ、この地域に産業をもたらしたなど、崇仁地区の歴史が興味深かった。

自転車屋、畳屋、靴屋、ミシン屋といった、懐かしい町並みを眺めながら京都国立博物館へ。
久しぶりに仏像、仏画といった常設展を楽しむ。

特集陳列「 高僧の書 -日本仏教の祖師たち-」。教行信証坂東本はもちろん出されていたが、「法然上人七ヶ条制法」があったのには驚いた。やわらかい法然上人の署名。名だたる先輩たちに続き、「僧綽空」。素人目に、教行信証の字と似ているなぁと思った。法難の渦中にいた吉水教団と親鸞が、この署名をした状況が目に浮かんでくるようなきがした。

三十三間堂によって、富山へ。

ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山の会合。来年度の事業計画。

懇親会。女性室の見義さんと女性差別について議論。帰宅。

●2006年さようならと感謝の集い

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マジックショーはご門徒さん、辻の柳瀬さん。
参加者は50名あまり。たのしかった!!

●正信偈 源信章を終えて

11日、13組若坊守会「華の会」、テキストは正信偈で今回は源信章をお話しました。

善導と法然に挟まれて、どちらかと印象の薄い方だったのですが、親鸞聖人はかなりラディカルに読み込んでいらっしゃると思いました。

「専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土、正しく弁立せり。」の内容は、化身土巻の冒頭に往生要集からの抜粋として展開されていますが、その前に「『観経』の定散九品の文これなり。」という御自釈があり、その後には

「しかればそれ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門の中に、第十八の願は「別願の中の別願」なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえるなり。濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。」
という押さえがあります。

善導は九品のなかで下品下生を重視していると言われますが、実はそれほど明確ではないと思っています。しかし、源信の「専修・雑修」という概念は、念仏にしか救いを見出せない下品下生、極重悪人の行を「専修」とし、それ以外の定散諸機を「雑修」としてバッサリ切り捨てるものです。最下とされてきたものを、最上のものとする、逆転の発想がそこにあります。
「専修」という視点は、化身土巻において第二十願、阿弥陀経の内容を特徴づけるものとして扱われています。「雑修」は観経と関連付けられています。

源信章がおもしろいのは、「専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土、正しく弁立せり。」に続けて、「我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり」とあるところです。弥陀の光明の働きが取り上げられているわけですが、それは人間の努力や環境には基づかない救いのあり方を示しています。わたしを根拠としない救い。
「専修」は「私はここまでやった」という自意識に基づいた救いです。そこには大きな落とし穴(退転)があります。たとえば、自己欺瞞であったり、他人を見下し裁いていく意識であったり。
その意味で、「専修」のあとに、光明による救いありかたを述べるというのは、自力から他力への展開となっていると思うのです。いわゆる三願転入です。
三願転入は親鸞独自の考えだといわれますが、往生要集を読み込むことが、ヒントになったのではないかしら。

「我」という言葉が、正信偈のなかで、この章にだけ、出てきます。この章は「といえり」という言葉で押えられています。「我」とは源信僧都のことです。「ひとえに安養に帰して、一切を勧む。」初めて、ひとえに浄土に帰依する態度表明をされた先人として、親鸞は源信を捉えていたのでしょう。

源信章は、とても重要である、ということを思いました。

●法蔵菩薩像 その2

Kanjoさんのご紹介で、私が把握している法蔵菩薩像が調査されることになりました。
先回、ご紹介したのとは別のもので、魚津市のご門徒さんの御内仏に掛けられているものです。
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●住職は しんどい

がんばってやってきたんですが。

報恩講も山を越えたんですが、一番しんどい時期を終えた頃から、じわじわときてしまいまして。

これまでは、父を支える、助ける立場であった。
それが、「私がやらなくてはならない」と変わったというのは、結構しんどいもんですね。

27日まで入っている報恩講の日程表をみると、かなり鬱な気持ちになるようになってしまいました。

寺務も溜まってきた。寺報も。。。

ちょと舐めてましたね。「住職」ってのを。

これから、小杉と高岡へ報恩講に参ります。

このまま、止まっているのもなんです。

徐々に、再開し、抜けている日記も書いていきたい、とは、思ってます。

2006年12月16日

●ブログ、ちょっと休んでます

9日 さようならとかんしゃの集い 東城月忌
10日 魚津
11日 華の会 朝日町
14日 同朋会運動推進会議 京都
15日 ふるさとネットワーク富山 会議

どの行事も、とても内容の濃いものであったのですが、ご葬儀もありまして、ここでご報告する余裕がありません。

落ち着いたら、と思っているのですが、いったいいつ落ち着くのかしらという感じでして。

年末に寺報を出すので、毎日の記録は残した方がよいのですが、とりあえず、運休させていただいております。

とりあえず、元気に、いっぱいいっぱいで、がんばっております。

2006年12月10日

●正信偈 源信章

源信、広く一代の教を開きて、 ひとえに安養に帰して、一切を勧む。

専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土、正しく弁立せり。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。

『往生要集』に云わく、『双巻経』(大経)の三輩の業、浅深ありといえども、しかるに通じてみな「一向専念無量寿仏」と云えり。三つに、四十八願の中に念仏門において、別して一つの願を発して云わく、「乃至十念若不生者不取正覚」と。四つに、『観経』には、「極重の悪人、他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生まるることを得」と。已上(行巻)

 首楞厳院の『要集』に、感禅師(懐感)の『釈』(群疑論)を引きて云わく、「問う、『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界あり。乃至 意を発せる衆生、阿弥陀仏国に生まれんと欲する者、みな深く懈慢国土に着して、前進んで阿弥陀仏国に生まるることあたわず。億千万の衆、時に一人ありて、よく阿弥陀仏国に生ず」と云云。この経をもって准難するに、生を得べしや。答う、『群疑論』に善導和尚の前の文を引きてこの難を釈して、また自ら助成して云わく、「この『経』の下の文に言わく、「何をもってのゆえに、みな懈慢に由って執心牢固ならず」と。ここに知りぬ、雑修の者は「執心不牢の人」とす。かるがゆえに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずして専らこの業を行ぜば、これすなわち執心牢固せずして、定めて極楽国に生まれん。乃至 また報の浄土に生ずる者は極めて少なし、化の浄土の中に生ずる者は少なからず。かるがゆえに『経』の別説、実に相違せざるなり」と。已上略抄
しかればそれ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門の中に、第十八の願は「別願の中の別願」なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえるなり。濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。(化身土巻)

我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり

一一の光明遍く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。(観経 真身観)

又彼の一一の光明、遍く十方世界の念仏の衆生を照らして摂取して捨てたまはず。我亦彼の摂取の中に在り。煩悩眼を障へて見たてまつること能はずと雖も、大悲倦むこと無くして、常に我が身を照らしたまふ。(往生要集)

また云わく、我またかの摂取の中にあれども、煩悩眼を障えて見たてまつるにあたわずといえども、大悲惓となくして常に我が身を照らしたまう、と。已上(信巻)

首楞厳院源信和尚の銘文
「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」(往生要集)文
「我亦在彼摂取之中」というは、われまたかの摂取のなかにありとのたまえるなり。「煩悩障眼」というは、われら煩悩にまなこさえらるとなり。「雖不能見」というは、煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたわずといえどもというなり。「大悲無倦」というは、大慈大悲の御めぐみものうきことましまさずともうすなり。「常照我身」というは、常はつねにという。照はてらしたまうという。無碍の光明、信心の人をつねにてらしたまうとなり。つねにてらすというは、つねにまもりたまうとなり。我身は、わがみを大慈大悲ものうきことなくして、つねにまもりたまえとおもえとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらわしたまうなり。「念仏衆生 摂取不捨」のこころを釈したまえるなりとしるべしとなり。(尊号真像銘文)

首楞厳院の源信和尚のたまわく、「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」(往生要集)と。この文のこころは、われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩まなこをさえて、みたてまつるにあたわずといえども、大悲ものうきことなくして、つねにわがみをてらしたまうと、のたまえるなり。(一念多念文意)

2006年12月06日

●大きなかぶ

かんしゃのつどいで、あの「大きなかぶ」の朗読寸劇をやるんですよ。

実は、はるか昔、わたしが小学生のときに「大きなかぶ」おじいさん役をやってまして。

いまも、やるんだなぁと、感慨ひとしおです。

ある意味、主役である「大きなかぶ」をどうするかと悩んでいましたら、ウチのかみさんがやってくれました!

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身内をほめるのもなんですが、今回ばかりは感嘆。

バランスボールが見事にかぶに化けました!

2006年12月05日

●クリスマス対抗イベント

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毎年、毎日、必死でやってます!

ぜひ、みにきてください! あそびにきてください!

2006年12月03日

●しんどい(改

昨日、ここに愚痴を書いたんですが。

やっぱり、消してしまうことにしました(笑

こういうこと、けっこう何度もやってるオレです。

エロさん、コメント、ありがとうございました。

13日、大阪でお会いできるといいな。