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2007年01月12日

●講義を受けて

ここに世尊、阿難に告げて曰わく、「諸天の汝を教えて来して仏に問わしむるか、自ら慧見をもって威顔を問えるか」と。阿難、仏に白さく、「諸天の来りて我を教うる者、あることなけん。自ら所見をもって、この義を問いたてまつるならくのみ」と。仏の言わく、「善いかな阿難、問えるところ甚だ快し。深き智慧、真妙の弁才を発して、衆生を愍念せんとして、この慧義を問えり。

 大経のこの部分、らくりさんと私と、読み方が違いました。
私はこれまで世尊の二つの推測、「諸天の汝を教えて来して仏に問わしむるか、自ら慧見をもって威顔を問えるか」に対して、阿難は後者の方だと。誰からに言われたわけではなく、自分でそう思ったんですと答えているのだと思っていました。
 らくりんさんは「自ら慧見をもって」というのは、啓示のような宗教体験、いわゆる「悟った」から分かったのか?という問いであり、阿難は「そういうわけでは無いけれども、ただそう思ったのです。」と答えたと読まれました。つまり世尊の二つの推測のどちらにも当てはまりません、というわけですね。
 そこで釈尊は「お前は悟ったものでしか起こせない問いを起こしているのだぞ」とおっしゃっている。らくりんさんの解釈は、悟れない、悟っていないとされているものが仏法と出会っていくという問題に貫かれていることです。

 講義のなかでは、後序の法難、選択集の書写についての文章が、それぞれの出来事が起こった同時期に書かれた文脈、そのままになっていることを指摘されました。さらに化身土巻の大集経からの引文が法難を暗喩する内容になっていることも。そこから、かつて吉水教団への弾圧が、不当であること、「法難」であることを示すために、真実の仏教とはいかなるものかを明らかにするというのが、親鸞が教行信証を書いた目的であったとされました。
 教巻における大経からの引文は、世尊と阿難の新たな出会いについて書かれています。そこには、法然と親鸞との出会いが重ねられていると言われています。らくりんさんの教・行・信・証の展開についてのお話をお聞きしていると、法然と親鸞だけではなく、吉水で法然上人がさまざまな人々とどういう出会い方をしていたのかが、経論釈からの引文をとおして表現されているのだと思いました。阿難と重なる人々の仏法との出会い方ですね。晩年、親鸞は「西方指南鈔」という法然の行実を何度も書写しておられますが、吉水教団こそが真実の浄土の教えが実践された場所であったのだと、親鸞はその後の生涯を通して、ずっと考えていたのでしょう。

 講義を聞いたあとで、お世話になった先生方の跡にお参りをしました。教化に勤しまれているお二人と共に、広大な能登の地を巡りました。右も左も分からず、途方に暮れていた私に、お二人がどのように接してくださったのかが、浮かんできました。講義と、もしかしたら、関連があったのかもしれません。

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