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2007年01月17日

●明日の組同朋会 プレゼンを意識して

如是我聞 かくのごとき、我聞きたまえき このように、わたしは聞かせていただいた
大乗経典は釈尊が直接語られたものではない 経典を生み出した人々がいた
「わたしの仏教とはこういうものです」 「釈尊はこういうことをおっしゃる人です」

阿弥陀経に書いてあることは 「一心不乱にお念仏しなさい」
「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」 念仏者をつぎつぎと生みだしてきた
インド 中国 日本 国を超えて 2000年の時を超えて
いま、ここにまで 伝えられてきた

釈尊の言葉そのものが 残っているとしても
それを読む人、実践しようとする人がいなければ 意味がない
聞く人 感動する人がいなければ 経典は眠っているだけ
如是我聞  初めてここに 仏教が誕生する

三宝 仏・法・僧 「僧」とは教団 三宝が揃うことが 大事

初転法輪 初めて釈尊が説法 ガンダーラ美術 

一時 あるとき 舎衛国 古代インドのコーサラ国 釈迦族を滅ぼした大国
祇樹給孤独園 略して「祇園」
「祇樹」「太子ジェートゥリの森」 「給孤独」「身寄りのない者に施しをする」

インドのシュラーヴァスティーにスダッタという、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者と呼ばれていた富豪がいた。

ある日、スダッタは釈迦の説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。

そして見つかった土地が、太子ジェートゥリの所有する森林であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対してジェートゥリが、必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろうと戯れで言った所、スダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェートゥリは驚いて、そのまま土地を譲渡し、更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。

これ故、この僧園はジェートゥリ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、そこに建てられた精舎を祇樹給孤独園精舎と称するようになった。

周利槃陀伽

釈迦の弟子である周梨槃特(スリバンドク)が、自分の名前を忘れてしまうため、釈迦が首に名札をかけさせた。しかし名札をかけたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前をおぼえることができなかった。その後、死んだ周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草がはえていた。そこで「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、「名」を「荷う」ことから、この草に茗荷と名付けた。

ビデオ鑑賞 仏典童話「パンタカ二人」

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