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2007年02月28日

●初お講

あまり天候はよくなかったのですが、30人近くの方々がおいでくださいました。頭が下がります。

「仏弟子」をテーマとし、目連、舎利弗、阿難のエピソード、プロジェクターで仏典童話「パンタカ二人」を放映。
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釈尊に教えられた言葉を称えながら一心不乱に床を磨く弟の姿。
それに手をあわせた兄の心についてお話しました。
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2007年02月23日

●中教院・本部会議

月参りを終えて、会議準備に天正寺のアプレシオに入りました。
手元にある廃仏毀釈の資料にもう一度目を通し、おさらいしました。

ネットで富山中教院についてのページを見つけました→ここ
「明治15年、同所には神道の一派である神宮教が経営する神宮教会所が置かれました。」
あの仏教を誹謗する碑文の由来は、ここらのようです。

午後から教区御遠忌本部会議。

業者の選定についての論義がありました。

教化推進部会からの報告をしました。
かなりびびっていたのですが、無事、報告、終わりました。

肩の荷が、とりあえず、下りました。
いよいよ、公開講座実行委員会の活動が始まります。

2007年02月21日

●読書会・めいっこ・育成員研修会打ち合わせ

19日夜 野々市へ 安田理深「真仏土巻聴記」読書会
なぜか曽我量深の著書「伝承と己証」について、らくりんさんの熱い講義となる。
「曇鸞がはじめて十七願、十八願の関係を発見した」とか。
これは曽我先生の本、読んでみようかしら。
歯が立つか分らんけどね。

金沢まったり亭にて一泊。

20日 めいっことひな壇。
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きみも藤原紀香、予備軍なのか。

京都へ 育成員研修会打ち合わせ
何年ぶりかで井上円さんに会う。
この研修会にもなじんできてしまったというか、最初のころのようにぶつかる感じでなくなってきた。
あんまりいいことじゃないなと思う。

今回も待ち合わせに漫喫を使ったが、五条はネットゲーム有料、DVDソフトたいしたのなし、PSソフトなしということで、コミックを読むしかやることがない。
そう考えると、座っているだけで料金が加算されていくのがもったいない気がしてしまった。
入るまでは夢の場所であったのが、入ってみれば灰色な現実の一部になってしまうのが、さびしい娑婆だ、の。

ここ二週間ほど、日程が混んでしまい、かなり疲れました。
そして、その分、かみさんにおおきな負担をかけることになってしまいました。
外の仕事入れるなとの苦情、来ました。申し訳ないことです。
3月は出ることがそれほどないし、寺のこと中心に行きたいと思っています。

2007年02月19日

●ばたばた茶

午前、朝日町蛭谷の公民館へ行ってきました。

あの「ばたばた茶」で有名なところです。

50人ぐらいのおじいちゃん、おばあちゃんが車座になって、長い茶せんで茶碗をかき混ぜている様子は壮観でした。
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私も四服ほど、いただきました。
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味は、ウーロン茶がいちばん近いです。
一口ふくむと苦味がきますが、すぐに引いていきます。
泡を立てるのはなぜなんでしょうねえ。
口当たりがよくなるのかな。

プロジェクターで「聖人のご生涯」プレゼンをしました。
口々によかったとはおっしゃってくださいましたが。。。

思いが伝わったか、伝わっていないかは、計りようがないのかな。
お念仏の伝わる力を信じるしかないのかな、とか考えつつ帰ってきました。

今夜は野々市へ安田理深・真仏土聴記学習会。
金沢一泊して、マタ、京都へ行きます。

●初お講チラシ

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2007年02月18日

●組 同朋会

阿弥陀経二回目。

仏典童話「パンタカ兄弟」の大谷派ビデオを使用。

そこから、舎利弗を目連と対比させて説明。

さらに、なぜ阿弥陀経の対告衆が舎利弗なのかを話した。

このところ、プロジェクターのプレゼンが続いていたのが
今回はビデオ学習はあるものの、従来の黒板を使った法話スタイル。

座談会というか、質疑応答での反応を鑑みると、
内容が伝わっていないような気がして、非常に不安になった。

聴衆との間に機械を挟むことによって、オレは安心感だけを得ていたのかな。
「伝わっていた」という感覚は、まぼろしだったのかな。

って、思ったりしたり、してます。

2007年02月17日

●同朋会運動推進会議

昨日、京都日帰りで、

言いたいこと言って来ました。

はじまるまで一時間ほど、

漫喫、初体験しました。

サラリーマンとか、同年輩の人が多くてびっくりしました。

を読みました。

ぼーっとした、趣のある作品でした。

2007年02月15日

●研修二日目・中教院

アフタフさんの指導、二日目。
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かなりの出入りはあったのですが、常時10人ぐらいでワークを楽しみました。
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電気製品を演じるというゲーム。

子ども心にもどる事はできない。
けれど、子どもを教えるというより、「遊びあう」ということの大切さを学びました。

研修の合間に、富山市街にぽつんとある、中教院を見てきました。
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地方の神官だけでなく、僧侶にも神道的天皇崇拝を宣布させるために明治5年につくられた施設でした。
現在は小さな社があるだけですが、仏教を誹謗する碑が建てられていました。
碑文がどこかにテキスト化されていないか、探しています。

2007年02月14日

●北陸連区児童教化日曜学校指導者研修会

ながーい名前の研修会の初日から帰ってきました。
一次会、懇親会の途中で退出。

アフタフ・バーバンさんとは長いつきあい。この研修会にはずっと参加してきました。
そこには、たんに子ども会ゲームのネタを求めるということだけではなくて、
アフタフさんのコンセプトに共感することが大だったからです。

遊びというのは、ほんらい、無駄であり、無意味である。
そこを、啓発とか、人間形成とか道徳とか、
それはそれなりに世間体として「意味がある」といわざるを得ないこともあるのですが、

でも、役に立つとか、価値があるという物指しでは計れない世界を
ボクラは生きているんだと、知らなくては。
それを伝えるのが寺の役目でもあるとも考えています。
まさに園林遊戯地門。

アフタフにはそうしたものが根底にあるから魅力なんです。

明日も、がんばって、行きますよ。未来の子どもたちのために。

2007年02月13日

●ご消息・準備・小組会

朝から母から昨日のプレゼン、ダメ出し。
ハンセン病問題に関する、十分な説明がなかったという。
はやく言ってくれよ!
それはもう、出かける直前に、なんでいうのよ(怒

北馬場公民館にて「聖人のご生涯」プレゼン。
20人程度の方々に。
このプレゼン、一時間では、そこまで説明する事は無理。
かなり端折った内容になってしまったかもと焦る。

急いで機材移動し、今度は民家にて、10人ほどの方々に二回目のプレゼン。
多磨の写真を省略して。
終わってみれば、また気を使いすぎた、省略すべきでなかったと、今度は後悔。
臨機対応というのは、実に、むずいことだ。
機材設置で時間と労力を使い、会場の方々とゆっくりとしたコミュニケーションができないことも問題。

午後から、明日の連区児童研修会準備に教務所へ。
もう、午前の慌しさにぐったりしていた、が打ち合わせなどを行う。

夕方から近隣寺院の懇親会へ。
やはりどうも、馴れ合いの世界ではある。
しかし、先輩方が「このままではいけない」という慙愧を語られた。
それには、ほほーっと思った。
ここでも、ここでこそ、やらなあかんことがあるんだろうなと。

諸先輩方の二次会への誘いを
このところの痛い経験から
はなはだ失礼ながら丁重にお断りして
自宅に帰りました。
今考えますと、大正解でした。

なんともはやの、一日でした。

2007年02月12日

●小出ご消息

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玉永寺を会場とした、地域の小さなお講
「聖人のご生涯」プレゼンしました
受けは上々、かな

春を思わせるような和やかな光の中
みんなでおはぎをいただいて
ホッとするひと時をすごしました

明日は近所の公民館へ
同じプレゼンをしようと思っています

2007年02月11日

●「聖人の生涯」プレゼン

親鸞聖人
のご生涯

4月1日

宇治に近い
日野の地に

親鸞聖人は
誕生された

聖人は両親と

早く別れられた
と言われている

9歳で得度

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あすありと

おもうこころの

あだざくら

よわにあらしの

ふかぬものかは

29歳
比叡山を下りて

法然上人に
であう

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わたしの信心と

法然上人の信心は

おなじです

阿弥陀仏から

たまわりたる
信心だから

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35歳
法難

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聖人は
越後に流罪

42歳
関東へ移住

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愚禿釈親鸞
と名のり

20年あまり

いなかの人々と

苦楽を
ともにされる

82歳
長男善鸞を義絶

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90歳
11月28日

生涯をとじられる

ハンセン病療養所を
訪ねて

2006年4月13・14日
多磨全生園

東京都東村山市

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真宗報恩会に
つたわる歌

「しんらんさまは
なつかしい」

かぜもないのに
ほろほろと

だいちのうえに
かえりゆく

はなをみつめて
なみだした

しんらんさまは
なつかしい

よはのあらしに
はなはちる

ひともむじょうの
かぜにちる

はかないうきよに
なみだした

しんらんさまは
なつかしい

とうさまかあさま
うしのうて

ひとりるてんの
さびしさに

こころのみおやを
さがします

しんらんさまは
なつかしい

じひのなみだに
めがさめて

くおんのみおやを
ふしおがみ

ほとけのいのち
たたえます

しんらんさまは
なつかしい

やみにさまよう
われらをば

みむねにしつかと
いだきしめ

ひかりにかえれと
しめします

しんらんさまは
なつかしい

まずしきものの
てをとりて

われもさびしき
ぼんぶぞと

だいちのうえに
ひれふした

しんらんさまは
なつかしい

あらしいばらじ
ふみこえて

ただしんじつの
びゃくどうを

あゆみつづけし
わがちちの

しんらんさまは
なつかしい

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本願力に
遇いぬれば

むなしく
すぐる

人ぞなき

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孤独の闇から

響きあう
世界へ

2007年02月10日

●ナムナム大集会

9日正午より、阿弥陀堂でお勤め。満堂。
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大谷ホールまで行進。
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ここまで、僧侶が先導する形だった。ちょっと、どうかなと思った。

ホールも満席。
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タテタカコさんのライブがとてもよかった。アンコールの「卑怯者」が特に。
「法難」をメインにした自主的集会に、大谷派からこれだけの参加者がいることに、正直、安心した。
6月には東西本願寺、浄土宗の有志が改めて「法難」をテーマにしたイベントを開くという。講師は阿満利麿さん。
高田教区の御流罪800年法要も5月にあり、富山教区でも公開講座で廃仏毀釈を取り上げ、阿満さんを迎えることになる。
うまく連動できたらいいな、とか思ったりしてます。


2007年02月09日

●京都→大阪

7日 ハンセン懇集会部会会議
 再来年の交流集会の会場と開催時期検討 ほぼ方向が固まる
 「ハンセン懇ニュース」の原稿が変えられていた問題が提起される。

終了後、委員と会食、楽しかったー
さらにそのあと、ごじんさんと一杯やる。
前お会いしたときより、元気な感じがしました。

8日 なんとなく東九条へ散歩
東福寺からJRで一気に大阪城へ
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周辺の屋台でたこ焼きとチジミを食べた。旨かった。さすが大阪だと思った。

大阪歴史博物館へ
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石山本願寺のミニチュア。本願寺に触れた史料が本当に少ないのが残念だった。

ピース大阪
大阪では8回にわたる空襲で1万人以上の一般市民が亡くなっている。
グラマン機銃掃射での住民虐殺もあった。
日米双方とも、ここまでやらなくてはいけなかったのか???

蓮如上人の碑?
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ひっそりとあった。気がついたおじいさんたちが合掌していた。

水上バスで観光。
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ビニールシートのお宅が目立った。長居公園から移動してきた人もいるんだろうか。

鶴橋でmaroさんと合流。たまたま入った店だったのだが、串焼きかなり美味しかった。
思い出話やらネットの裏話やら、けっこう、いろんなことを話した。実に面白かった。

さらにエロ坊主さんが到着。
ハンドルネームや、ゲリラ的(?)文体によるわたしの中のイメージとはかなり違って、イケメンで冷静な感じの方だった。

鶴橋にいったのはマッコリが飲みたかったからだった。でも、入った店には置いてなかった。残念。

7日も8日も菩提心を自覚せずに「救い」ということが問題となりうるのか、みたいな話題があった。
回心コンプレックスの一種、救われたいという気持ちを自分で起こさないとアカンみたいな話っておかしいと思うんだよね。他力回向、気持ちってのは起きるもの。さらに「念仏で救われたい」とおもわなあかんってのはさらに袋小路に入ってしまうんじゃなかろうか。
らくりんさんの講義メモ。
阿難は自分が素晴らしい問いをもったことを自覚していない。
突然としか言いようがない出来事。
法蔵菩薩が彼にそんな問いを起こさせた、としか言いようがないんだよね。

そして、大阪駅周辺の夜は、寒かった。。。

2007年02月06日

●公開講座実行委員会

公開講座のテーマは「富山藩の廃仏毀釈」。
一回目は太田浩史さん 地方史の視点から。
二回目は阿満利麿さん 政治史、思想史の視点から。
会場は、東別院が改修中なので、西別院か市民プラザを選択。
本願寺派の方々への呼びかけるか、もっと広い対象を求めるか、悩むところです。
そして、遺物の写真、伝承の収集に取り組みます。

講座の内容について、いわゆる団塊世代の先輩と議論をしました。
一緒くたにして申しわけありませんが、
まぁ、なかなかネチッコイですよ、この先輩方は。
もう、くたくたになってしまいました。
こちらの問題点を明らかにしてくれるのはいいんだけれど、
こちらの言い分をなかなか聞こうとしてもらえなくて困りました。

6日はハンセン懇の会議。
8日はナムナム大集会。
ということで、京都で2泊の予定です。
7日はオフ会できたらいいなと思っています。

2007年02月03日

●西別院の公開講座を聴講


講師は↑の本の作者。

滝沢修さんという方は、私はまったく存じ上げないのですが、
両親は即座に分かりましたから、有名な俳優さんだったんですね。
ときには手振り身振りを交えながら、沖縄戦、原爆、特攻、玉音放送など、朗読劇のようなスタイルでした。
「軍事大国となってしまった現状と9条の乖離をどうするのか?」「ポツダム宣言は軍部のみが受け入れたのであって政府は受け入れたといえないのではないか?」「吉田茂からアメリカ依存の方向を維持してきたが、別の道はあるのか?」
といった質問が出ていました。
本派さんの研修会は、やはり、大谷派とは微妙に違う感じで興味深かったです。
講義メモは↓

●「激動昭和と平和運動」講義ノート

日本は戦争に勝つことを目的としていたのではない、同盟国のドイツの勝利により東アジアの石油資源をおさえる。孤立無援のアメリカは戦う意識はなくなる。そこで有利な講和条約を結ぼうとしていた。
それに反対していたのは山本五十六。ハーバードで学び、アメリカの実力を知っていた。アメリカによる通商条約の破棄、石油全面禁止、資産凍結に対抗して短期決戦を目指した。真珠湾作戦。アメリカ太平洋艦隊の主力を壊滅。チャーチルがルーズベルトに電話。「本当です、これで我々は同じ船に乗ったのです。」
全体主義、お国ために個人は犠牲になる。民主主義と相容れない。ドイツ、イタリア、日本。世界中が全体主義になることをおそれたのがルーズベルト。アメリカは、真珠湾攻撃のせいで一致団結し、枢軸国との戦争へ。同時多発テロ、ブッシュの下で結束したのと同じ。ルーズベルトは真珠湾攻撃を知っていたのに、それをハワイに知らせなかった。国民を憤慨させたという説がある。8月2日 富山大空襲 2700人以上が犠牲に。民間人に対する無差別虐殺。アメリカが負けていればアメリカが裁かれるはず。
1940年 滝沢は巣鴨に。治安維持法。天皇制、私有財産制批判者、だけでなく、政府の政策を批判するだけで。特別高等警察。現在の共謀罪に似ている。犯罪は実行されて成立。話し合っただけで罪に問われる。思想の処罰。検閲。「夜明け前」 昭和9年。その主人公に。「もうすぐ夜明けだよ。」その意味は、「もうすぐ日本に革命が起こるということだろう?」「ファウスト」「こういう芝居をすることにより、共産主義による革命を目指すのか?」共産主義思想を宣伝するためにしたと書け。拒否。釈放されず。
本土の戦争準備を整えるために、沖縄戦。住民を戦争にまきこむ。集団自決の強要。虐殺行為。戦陣訓。捕虜になることを禁じることを根拠として、投降する住民を銃殺。生きて虜囚の辱めを受けず。兵隊に玉砕を強要した。民間人にも強要。愛国心の強要。手榴弾で自決せよ。手榴弾を民間人に配る。身内での殺し合い。逃走。スパイ容疑で殺す。アメリカ人が手当てをして驚く。沖縄には日の丸、君が代、自衛隊への拒絶感。
カミカゼ。特攻隊の遺書。現在のアルカイダのような狂信的なところはない。家族や日本の将来を憂う。これで安心して死んでいける。心の優しい人になってください。私は自由主義、民主主義に憧れていました。今は栄えていても滅びます。私は機械です。機械である自分にはなにも言う権利はないが、立派な国にしてほしい。お国のために名誉ある死を遂げたのではない。国の誤った方針により。感謝と哀悼。死ねば平等? 赤紙一枚で戦場に引っ張られた人々と、引っ張った指導者が靖国で同じ扱いでいいのか? 沖縄での特攻10回。大きな成果なし。
軍部は本土決戦を主張。ソ連を仲介とした終戦へ。しかし、ヤルタ会談で北方領土をよこせ、攻めるのがソ連の意思。ドイツ攻撃後に日ソ、条約廃棄。無駄な努力をしているうちに時間を空費した。1945 ドイツ降伏。トルーマン、チャーチル、スターリン。ポツダム会談。7・26宣言。無条件降伏か壊滅か。返事をしない。軍部は拒絶を主張。鈴木貫太郎。79歳。黙殺。原爆投下7・24命令。原爆を落とす必要は無かった。反対者はいた。トルーマンは黙殺にほっとした。総犠牲者40万人に近づく。
世界で唯一の核被爆国。核武装は言えるはずがない。狭い国は核武装しても安全ではない。ソ連軍が進撃。8・9 10時半。閣内意見不統一。総辞職? 御前会議 責任内閣制にもかかわらず昭和天皇の決断を仰ぐ。天皇制を守るの一条件で宣言受諾。8・14御前会議。受諾。父は泣いた。国家再建。天皇自ら宣言を認めたから。アメリカは天皇を間接統治に利用。天皇の戦争犯罪問題は未解決。日本が真の平和国家になれなかった一因。しかし、昭和天皇の決断により、流血の惨事は避けられた。
アメリカに押し付けられた憲法。安倍が改正に意欲的なのは、岸信介の悲願だから。改正には野党の議員を引き抜いてでも、改憲したい。参院選。それが終われば、7・22、国民の過半数を維持すれば、憲法改正。あなたは憲法の内容を知っているか。ほとんど知らない。52% すこし知っている43% よく知っている4%。激動昭和、現代史を知らない。もっと、授業を。
海外での武力行使は認めない。9条は憲法の核心。核時代に戦争をしてはだめ。経済交流すべき。あくまでも武力に頼らない。人類の英知。テロ紛争の原因は貧困。そこに眼を向けるべき。真の国際貢献。女性の政治参加は戦後憲法のおかげ、労働組合、ストライキ権。治安維持法の廃止。押し付けではなく、われわれが久しく求めていた。自由民権運動、大正デモクラシー。民主主義を求めた血と涙が、やっと我々のものになった。アメリカに押し付けられたのではない。全体主義だった日本は、やっと自由と平和の国になった。平和と言論の自由がある。昔なら、父のように捕まえられる。今なら間に合う。62年前のよかったという叫びを。
護憲的な改憲論。自衛隊を縛る。しかし、そのままでは利用される。9条が現実とギャップがあるとしても守るべき。戦争協力を求められても、平和憲法があるから、アメリカの指導で作ったからと集団的自衛権を断れる。日本の安全と関係ない戦争に引き出される。それがないとアメリカは日本を守らないか? 日本の基地をアメリカは手放さない。一緒に戦わなくても極東基地は手放せない。日本独自で核武装? 核実験する場所がない。落ちれば生きていけない。基地を貸す、後方支援で十分。吉田内閣が、アメリカ軍事力を受け入れた、その方針は続いている。独自で軍事力を持つべきではない。基地の負担は続ける。賢明な道。

2007年02月02日

●プレゼン報告

直前まで会場に入れなかったので、大急ぎでプロジェクターを設置。

時計を見ながら、DVD映像もカットして、話し終わりました。

質疑応答の時間も無く、感想は聞けなかったのですが、

どうだろう、伝わったような感触はあるんですけどね。

教学からではなく、ハンセン病問題から、テーマを話すという試みでした。

2007年02月01日

●明日のプレゼン

第10組門徒会の方々対象に
富山教区御遠忌テーマ「差異 つながり そして、いのち -孤独の闇から響きあう世界へー」
について一時間弱の話をせよとのご依頼です。

いろいろ考えたのですが、先回の「ハンセン病療養所を訪ねて」のプレゼンを、
以下の言葉を加えて、そのまま使うことにしました。
ーーーーーーーーーー
富山教区
御遠忌テーマ

ちがい
差異

つながり

そして

いのち

ちがい つながり
そして、いのち

大信海
を案ずれば

貴賎・緇素
をえらばず

男女・老少
をいわず

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孤独の闇から

響きあう
世界へ
ーーーーーーーーーーーーーーー
療養所の報告から御遠忌テーマへどのように移行するのか。

出たとこ勝負、かな。