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2007年03月26日

●同朋会準備 その1

信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、 すなわち横に五悪趣を超截す。
一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、
仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。

たまたま浄信を獲ば、この心顛倒せず、この心虚偽ならず。ここをもって極悪深重の衆生、大慶喜心を得、もろもろの聖尊の重愛を獲るなり。

『大本』(大経)に言わく、無上殊勝の願を超発す、と。
また言わく、我、超世の願を建つ、必ず無上道に至らん、と。名声十方に超えて、究竟して聞こゆる所なくは、誓う、正覚を成らじ、と。
また言わく、必ず超絶して去つることを得て、安養国に往生して、横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉じん。道に昇るに窮極なし。往き易くして人なし。その国逆違せず。自然の牽くところなり。已上
『大阿弥陀経』支謙 に言わく、超絶して去つることを得べし。阿弥陀仏国に往生すれば、横に五悪道を截りて、自然に閉塞す。道に昇るに之極まりなし。
往き易くして人あることなし。その国土逆違せず。自然の牽く随なり、と。已上


設い我仏を得たらんに、十方無量・不可思議諸仏世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の無生法忍・もろもろの深総持を得ずは、正覚を取らじ、と。已上
『無量寿如来会』に言わく、もし我成仏せんに、周遍十方無量・無辺・不可思議・無等界の衆生の輩、仏の威光を蒙りて照触せらるる者、身心安楽にして人天に超過せん。もし爾らずは、菩提を取らじ、と。已上
(大経)また、法を聞きてよく忘れず、見て敬い得て大きに慶ばば、すなわち我が善き親友なり、と言えりと。 また言わく、それ至心ありて安楽国に生まれんと願ずれば、智慧明らかに達し、功徳殊勝を得べし、と。
(如来会)また、広大勝解者、と言えりと。
また、かくのごとき等の類、大威徳の者、よく広大異門に生まる、と言えりと。
(観経)また言わく、もし念仏する者は、当に知るべし。この人はこれ人中の分陀利華なり、と。已上

「獲信見敬得大慶」というは、この信心をえて、おおきによろこびうやまう人というなり。大慶は、おおきにうべきことをえてのちに、よろこぶというなり。「即横超截五悪趣」というは、信心をえつればすなわち、横に五悪趣をきるなりとしるべしとなり。即横超は、即はすなわちという、心をうる人は、ときをへず、日をへだてずして正定聚のくらいにさだまるを即というなり。横はよこさまという、如来の願力なり。他力をもうすなり。超はこえてという。生死の大海をやすくよこさまにこえて、無上大涅槃のさとりをひらくなり。信心を浄土宗の正意としるべきなり。このこころをえつれば、他力には義なきをもって義とすと、本師聖人のおおせごとなり。義というは、行者のおのおのはからうこころなり。このゆえに、おのおののはからうこころをもったるほどをば自力というなり。よくよくこの自力のようをこころうべしとなり

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