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2007年03月27日

●同朋会レジメ

信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、
「信心を獲得し、仏を見て、敬い、大いに喜べば、」

すなわち横に五悪趣を超截す。
○五悪趣 地獄・餓鬼・畜生・人・天。修羅が加わると六道。
 流転する迷いの世界。
○超截  切って超えてしまう。
「すなわち、よこざまに、迷いを断ち切ります。」

一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、
「善人も、悪人も、どんな人も、
 阿弥陀如来の本願の教えを、聞信すれば」

仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。
○広大勝解 よくわかった
○分陀利華 白蓮華
「仏は、「よくわかったな」と、おっしゃいます。
この人を白蓮華と名づけます。」

弥陀仏の本願念仏は、 邪見驕慢の悪衆生、
○邪見 よこしまな見方をもつこと。
○驕慢 おごり高ぶって見下す。また、そのさま。
「阿弥陀仏の本願念仏の教えについて、
よこしまな見方をもち、教えを見下す人々が」

信楽を受持すること、はなはだもって難し。難中の難、これに過ぎたるはなし。
○信楽 信じ、ねがうこと。
「信心を受け、たもつことは、とても難しい。
難中の難です。これ以上難しい事はありません。」

(補足)「聞信」について 涅槃経より

「信不具足」
 また言わく、善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといえども、推求するにあたわざる、このゆえに名づけて「信不具足」とす。
 信にまた二種あり、一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞より生じて、思より生ぜず、このゆえに名づけて「信不具足」とす。
 また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて「信不具足」とす。
 また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。因果あり、仏・法・僧ありと言わん、これを信正と名づく。因果、三宝の性、異無しと言いて、もろもろの邪語富闌那等を信ずる、これを信邪と名づく。この人、仏・法・僧宝を信ずといえども、三宝の同一性相を信ぜず。因果を信ずといえども得者を信ぜず。このゆえに名づけて「信不具足」とす。この人、不具足の信を成就す、と。

「聞不具足」
 いかなるをか名づけて「聞不具足」とする。如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じて未だ六部を信ぜず、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。
 またこの六部の経を受持すといえども、読誦にあたわずして他のために解説するは、利益するところなけん、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。
 またこの六部の経を受け已りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有のためのゆえに、持読誦説せん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす、と。

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