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2007年04月28日

●近況

昨日は組の解放運動研修会で柴田秀昭さんのお話を拝聴しました。
下の太字はノートを整理したものです。文責は流星にあります。
本山と富山11組のこれまでの取り組みを総括し、自分はどのように部落差別問題に関わるのか。
その迫力に圧倒されました。

夜は玉永寺同朋会。8人の出席。
七高僧のお話しをしました。
年配の方が少しずつ欠席される傾向にあるので、なんとか宣伝をしようと思っています。

五月二十六日、二十七日に祠堂経法要を勤めるので、チラシや米の袋などを準備しています。
だいぶできました。

多磨全生園での聞き取り調査の整理、
公開講座に向けて富山での廃仏毀釈についての年表作成。
そんなこともぼちぼちやってます。

安田理深の言葉。「やらねばならぬと思うならやめなさい。
あなた自身がやらずにおれないと思うならやりなさい。」

なぜ「同和学習会」が「解放運動推進学習会」と変わったのか。
「同和」という言葉が初めて使われたのは昭和16年6月「中央融和事業協会」が「同和奉公会」と名前を変える。同時に、「同和国民運動」という新聞が発刊される。それで「同和」という言葉が使われる。「同和」自体はもっと古くからある言葉。
「同胞融和」→「同和」。同化ということが強く意識されていた。当時の朝鮮の人々を同化する、海外侵略の施策の一環。
昭和44年以降。教団の部落差別が問題化し、何度も糾弾が行われる中で同和推進本部が設置され、取り組んできた。それを改称する。この言葉は教団だけが使ったのではなく、差別を受けていた部落解放同盟も積極的に使ってきた。そこから「同和」は被差別部落の問題だと使われてきた。あるいは融和事業、大正8年。それは「同情融和」。かわいそうな人を救っていく。そこから「同和」の名称は、そぐわないとした。

教団として差別意識を問題にしてから、部落差別だけではなく、性差別。身障者差別。アイヌ民族差別(人種差別)←明治時代の積極的な北海道開拓。侵略の歴史。在日朝鮮、台湾の問題。ハンセン病問題。どの問題も、問題を深めるのではなく表層的に並べるが如く、問うてきた。「解放推進」という言葉に引っかかる。課題の深まりとしては満足できない。

差別の問題は、どこまでいったら終わるのか。国民的課題とはされている。第11組で学習を始めたのは、御消息塗布事件。宛名書きが塗りつぶされていた。寛政九年。被差別部落の人々への職業差別。賤称。平成5年に発見される。教区で同和特別伝道がはじまる。第11組では平成十二年に半年かけて行われる。
一回目、なぜ同和問題を学ぶのか。
二回目、県内の実情。富山の同和地区について。
三回目、富山での塗布問題のご消息の経緯。
四回目、人権啓発センターへ。
終わっただけでいいのか。学習会を続けようという声が上がる。

昭和44年4月、大谷家が訓覇内局に対して開申事件をおこす。大谷家の戸主と管長、本願寺住職、代表役員。三位一体であったものを、法主の名前で管長を長男に譲る。
その後、大谷家側が選挙に勝つ。昭和44年7月。差別問題の表面化。二年前の難波別院結婚差別事件。昭和43年に表面化。新聞に載ったのが44年7月。8月に第一回糾弾。差別を受けた人が人間としての生きる権利を示す。人が人を差別する道筋を通して、差別する人される人の両者が自覚して、人間としての変革を目指す。人間変革を願いとする教育。直後に曽我量深の発言が問題となる。中道誌差別事件。

「同和はこわい」ということがささやかれるようになる。劣悪な環境を改善。同和対策特別措置法。時限立法。大谷派も協力。署名運動。藤本正樹、武内了温、朝野という先人がいながらも同盟の運動に乗っかっていく。真宗としての解放理論が必要なのに。

観念論と唯物論という議論がある。世界のすべての思想はこの議論の中にある。言い換えれば、観念論か実践論か。観念論か行動論か。わたしの立場は、同和問題に取り組むということは、人間の差別はどうして起こるのかを学ぶこと。それに対して、差別をなくしていくという行動論から「それは観念論だ」と批判される。真剣に生きるなら、ここにぶつかる。観念論といわれようと学んでいく。この議論について考えたことがないなら、自己と社会に生きることのまじめさを欠いている。観念論は精神を中心にものを考えていく。物質、現実に目を据えていくのが実行論、行動論、実践論。

教団内でも差別発言がある。訓覇元宗務総長の発言。推進員の会報。「この頃同和とか靖国が問題になっているそうだが、やっておる暇がない。自己とは何ぞや。これ人生の根本問題なり。このこと一つに余生をおくっていく」大問題になる。同朋会運動を提唱した訓覇氏がなぜこう発言したのか。歴史的は歩みがある。同朋会運動は信心の回復。信心が大事。真宗の念仏者として信心。なぜこういうことを言い出したのか。それは戦時教学があったから。真俗二諦論。自己と社会は車の両輪だ。王法を敬い、内には信心を抱く。戦時教学に身を置いた反省に立ち、真宗の真実信心を考えるのが同朋会の提唱とした。

しかし、この問題に対して、あれは信心派であり我々は社会派と称える人々が現れる。同朋会運動を進めてきた人たちが批判される。これからは社会的な問題を担える教学を。キリスト教、解放の神学に影響される。プロテスタントではなく、カトリックから起こる。ルーベン・アビト。第三世界は自然に恵まれるが、その大部分が貧困にあえいでいる。その原因を分析。マルコス政権での富の偏在、軍事独裁。教えと現実の狭間で、徹底した社会の分析、認識。現実を見る。そして抑圧されている人の側に立つ。実践する。立ち上がる。それをしなければ貧しい人々を助けることはできない。そこに「解放の神学」が成り立つ。アキノ政権の誕生。歴史に学ぶ。過去の出来事を過去の人が歩んだ道を見ていかなければならない。バチカンを揺るがす。マルキシズムと言われて元気がなくなるが、そこから「解放の真宗」ということが提唱される。

訓覇氏は戦時教学を越えようとした。純粋に真宗の信心に帰ろうとしていた。しかし、同朋会運動という言葉だけが残り、この中身はなにかということが問われなくなってきた。御遠忌、「いのちを大切に」? 

差別の中身を考えなくてはならない。人間そのものが、差別の本質なのだ。仏教は「自我」を問題としてきた。自我を破って無に帰す。究極の境地。自我とは六識。眼、鼻、耳、舌、身、意。そして第七未那識がある。本能。自己がかわいい。自我愛。本能的な領域から差別をする。人間がある限り差別あり。ならほっとけばいいのか。無くならないものだが、それを問い続けるのが念仏者の姿勢。柳澤大臣。状況認識が欠けていた。訓覇氏も。常に今どういう状況なのかを学習する。それが智慧。

なぜ11組が取り組まなければならないのか。それは状況の認識のため。それが欠ければ差別する自分が問いにならない。菩薩道における初歓喜地とは「未証の自覚」である。
三願転入。努力精進するなかで自分の力量に限界があることを知る。南无阿弥陀仏という念仏をただ信じる道。その道を称える身を選択した時、半自力半他力。念仏の中に自分の思いを持ち込む。ナムアミダブツを己の善根として現世利益を願う。どうかわたしの病気が治りますように。家族が幸せになりますように。感謝感謝。それは念仏でない。20願の問題。真実と虚仮の狭間に身を置くのが20願の問題である。念仏しながら、それを善根とし続ける自分を問い続ける。狭間に身を置く勇気。未証の自覚。真の念仏者たらんという高い志を持ちつつ、なれない自分を問題とし続ける。内に捉える。内観。問題を内に見るのが仏教。

原点を。人間にとって差別とは何かを学ぶ。

そんなこんなな毎日です。

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コメント

安田先生の言葉、身に染みます。

なんだか悔しい気もしますが、

身に染みますね。

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