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2007年05月19日

●真宗と廃仏毀釈・法難

23日 小松へお話に行きます。
来年の富山教区法要において富山藩の合寺令、廃仏毀釈を取り上げることを紹介しようと思っています。
それで、なぜ明治維新のときに廃仏毀釈が起こったのかを考えつづけています。

明治政府の意向。どういう国づくりをしたかったのか。
そのとき仏教はどのように見られていたのか。
そして、真宗だから、弾圧を受けたと言えるのかどうか。
真宗教義は権力から危険視される内容をもっているのか。

そうなると、教行信証の成立と法難との関係も考えざるを得なくなるんです。
法難を受けて、教行信証が書かれたと、どういう点で言えるのか。
教行信証の中で法難は、なぜ取り上げられているのか。
教行信証があるから弾圧を受けるのか。
それとも全く関係はないのか。

23日までなにか結論は出せるだろうか??

このあたり、お考えを御持ちの方、コメントしていただけると幸いです。

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コメント

流星さん確信犯だろうなあ。
法難を受けて、教行信証が書かれたと、どういう点で言えるのか。
「親鸞の教行信証を読み解くⅠ」藤場俊基著明石書店
(P31)
『興福寺奏状』のことは、『教行信証』の最後のいわゆる「後序」に直接触れられています。
竊かに以みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、 太上天皇諱尊成、今上諱為仁聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。」
この「奏達す」とあるのが『興福寺奏状』のことです。親鸞が直接関わったのが承久の法難で、そのことはこのようにいわゆる「後序」に書いてあるわけですから、『興福寺奏状』から一連の動きとして親鸞に意識されていることは間違いありません。このように『興福寺奏状』のことは『教行信証』の中でも明確に意識されていますし、化身土巻は明らかにそれに対する応答になっています。

「明恵」の名も藤場さんから聞いた。
本を開くと懐かしいね。

何の裏付けもなく感覚的に感じているのですが、
教行信証の後序の法難の文と、教行信証の序文の「 竊かに以みれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。しかればすなわち、浄邦縁熟して、調達、闍世をして逆害を興ぜしむ。浄業機彰れて、釈迦、韋提をして安養を選ばしめたまえり。」とが、重ならないかなぁって思っています。

>nikojuさん

「確信犯」じゃありませんよ。
お示しのようにらくりんさんは「興福寺奏状」と明恵を念頭において、教行信証を読んでますね。
オレは合寺令を念頭において、真宗を話せるだろうか? 考えてみれば、とてつもなく、えらいこっちゃ。

>あおさん
おもしろー。そんなふうに考えられそうだ。

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