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2007年05月24日

●「富山合寺事件」についての議論

今日は、太田浩史さんをお迎えして、公開講座実行委員会の二回目。

さまざまな史料が集まり、議論が行われました。
たとえば、合寺事件は新しい国づくりを目指した功利主義的立場から行われたのか、それとも国学・儒学をバックとした宗教弾圧なのか。
富山藩の場合は、度重なる大火や財政の逼迫を抱え、革新派が四民平等・富国強兵をスローガンとし、封建体制で力を持っていた士族と僧侶を排斥しようとしたという見解の研究が多いようです。「廃仏」ではなく「廃僧」であるという書き方もありました。廃仏毀釈の要素がまったくないわけではありませんけれども。しかしながら、合寺を強制された側からみれば、どうしたって宗教弾圧なのです。
その意味で、士族廃止とは違って、富山合寺令が失敗したのはどういう要素からなのかを慎重にみていきたいと思いました。
これまで真宗教義のせいで弾圧がおこったのではないかという考え方をどこかでしていたのですが、そういうことではない気がしてきました。お念仏を門徒衆はどのようにして受けとめ、伝えてきたのか、ということかな。
ですから、合寺令のプレゼンの後で、親鸞聖人の生涯と、「しんらんさまはなつかしい」にあるように聖人を心の親として大切にされた真宗報恩会の方々を紹介したのは、間違ってなかったなと思いました。

そして私は、次回までに、合寺令で奔走した松任本誓寺の松本白華について調べることになりました。
合寺令、東別院設立に関わった松本氏とはどういう人物なのか、興味があります。

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コメント

興味がありますね。
士族が排斥しょうとしていたなんて。
でもなんかやっぱりそうかと感じるところがないでもない。
こうやってはまっていくのですよ、気をつけて慎重に!!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E6%97%8F%E5%8F%8D%E4%B9%B1

四民平等というのは国民皆兵とセットです。士族は俸禄を廃止され、仕事と特権を奪われました。

先日、おさむさんと話し合った事はとても大切なことでした。史料を読んでも、どうしても身内びいきな解釈になりがちです。しょうがないところもあります。まぁ、「はまってるな」と思われましたら、また、忠告してやってくださいネ。

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