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2007年06月30日

●新法要式

寺での法要で初めて「おつとめのほん」を使ってみました

伽陀 表白

大経昭和法要式の経文部分を偈文と流通分だけに←ここで焼香

阿弥陀経 念仏 正信偈 念仏 和讃 回向←「おつとめのほん」で同朋唱和

御文←ここも「おつとめのほん」に現代語訳あり

法話

若い方はのみこみが早いのか 初見の阿弥陀経でもけっこう声がでていました

そう 悪くない組み立てだったと思いました

いろいろ試してみたいのですがこの本 かなり重いので持ち運ぶのが大変です

そこが一番の問題点です

2007年06月29日

●いろいろ~

今日は解放運動の会議がありました

来年のハンセン病公開講座 少しずつ少しずつ 歩みだし始めてます

台湾楽生保留自救会支援Tシャツ 

富山でのシンポ、愚禿の会、三条での研修会で どうやら20枚うれました

ご協力をいただいたみなさまに 御礼申し上げます


録画していたこの番組見ました

母を亡くした生徒 親がいるひとがうらやましい

父と別れた生徒 親にはもう会いたくない

河瀬さんは「どちらも正しい」と話す

決して偉い人がいかにもそれらしく話すことが正しいのではなく
それぞれがそれぞれにそのとき感じていることこそが正しいと

私はこの番組をみて 「如来」ということを思いました

絶対的な真実に帰依するのではなく あくまで「如」、「如し」ということを大切にしていく

だから そのとき そのとき 正しいと思えることを 大切にしていきたい

と いうことで

みなさん!

この世の迷える衆生たちに オレは声を大にして言いたいよ!

迷ったり 悩んだり 愚痴言ったり 逃げたりすることもいいさー

そのときそのときの 自分の気持ちを大事にしていこうよ♪

2007年06月28日

●7月の日程

2・3日 ハンセン懇集会部会会議 京都

5日 安田理深真仏土聴記読書会 野々市 常讃寺

6日 組教化委員会

7日 南組仏教会 等通寺

11日 13組華の会 朝日

12日 教区御遠忌公開講座実行委員会 教務所

13日 教区御遠忌教化部会 教務所

14日 玉永寺子ども会

15日 玉永寺門徒役員会

18日 組同朋の会

19日 児童教化連盟会議 教務所

27日 玉永寺同朋の会

29日 東京大間窪小学校来寺


後半に長島愛生園へいこうかと思ってます 

●濃い三日間

25日

月参りと会場設営 昼から魚津で出棺から還骨まで
いつも豪快な山のばあちゃん
泣きながら息子さんのお骨を 素手でひろわれていた
胸が締め付けられた

6時半に帰って宗正元先生に久しぶりにお会いするも
すぐに帰られてしまった
せっかく玉永寺を会場にしてくださったのにお話が聞けなかったな

懇親会を楽しまれた愚禿鈔の会の面々も帰られ
残られた鳥越さんと話し込む

「化身土巻は法蔵菩薩の還相回向。18願の阿弥陀仏が、
あえて19、20の相をとって衆生の前に現れる」
曽我量深がそういうことを書いているそうな

らくりん独覚論なんかも展開された
夜遅くまで なかなか楽しい論議ができた

26日

パッソを駆って 月参り 魚津で中陰
トンネルだらけの北陸道をひた走り 三条教務所にたどり着く
加藤マーヒーさんと対面 以前 面識のあった方だとやっと気がつく
失礼しました にぶくてすいません

ハンセン懇関連の研修会に参加 講師は再び神美智宏さん
22日の富山でのシンポ講演をより深めるような内容だった
家族との関わりについて より深く語ってくださった
ハンセン病問題基本法には
壁の外の人々を取り込み 交流を深めたいという願いが込められていると思った

懇親会で神さんが話されたこと
私がいるもので22日とは違う話をしなければと思われたそうだ(笑
私たちへの信頼があるからあそこまで語ったとおっしゃった
差別に対する怒りが びんびんと伝わってきた

27日

三条教務所でハンセン懇会議
来年の研修会を富山で計画していることを話した

北陸道をひた走り 帰宅

夜 玉永寺同朋の会
「おつとめの本」の説明を中心に
8人の出席 新しい参加者はなかったが
再スタートとなりそうではある

2007年06月23日

●6周年記念シンポジウム

終わりました

参加者は150人ぐらい

Tシャツは10枚ちょっと売れました

もっと売れると思ったんですが。。。


終了後 神美知宏さんに

本当の里帰りが可能になる条件をお聞きしました

「家族への説得」と答えられました

2007年06月21日

●シンポジウム挨拶草稿

ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山、副代表、真宗大谷派僧侶 石川と申します。開会にあたりまして 一言ご挨拶を申し上げます。

私どもネットワークは、2002年より毎年、ここ富山でハンセン病国家賠償請求訴訟 勝訴記念のシンポジウムを開催してまいりました。

昨年は、第2回ハンセン病市民学会総会・交流集会が富山を会場に開催され、全国から、二日間でのべ1300人以上の参加者がございましたが、今年はあらためて、ハンセン病訴訟勝訴6周年記念シンポジウムとして、私ども、ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山主催により開催させていただくことでございます。

こうして 2002年から、医療従事者、市民活動に関わる方々、マスコミ関係者、そして東西両本願寺の関係者(門徒、僧侶)が 力をあわせて、シンポジウムや講演会を中心に活動してまいりました。今回もたくさんの方々が会場におみえになってくださいました。療養所のない富山で これだけ ハンセン病問題に関心をよせる人の輪が広まってきたのは、その成果だと思います。

いま思い起こしますと訴訟に勝訴し、はじめてのシンポジウム開催に関わらせていただいたときには、これでハンセン病問題は一気に解決していくように、どこかで考えておりました。療養所にいらっしゃる富山県出身の方々の里帰りが、すぐに実現するというような、高揚感を感じていました。残念ながら 今、現状はそうはなっていません 

最初のシンポジウムでパネリストをしていただいた、長島愛生園にいらっしゃるキム・テグさんの言葉が思い出されます。「もし私が里帰りするとすれば、多くの方々との連帯の中で生きていきたい、それによって自分はハンセン病であることを自己解放する。そういういきかたで、社会入りしたい」と。

キムさんのおっしゃったような里帰りが実現する富山になったでしょうか? 熊本での宿泊拒否事件もありました。胎児標本問題も明るみになりました。社会と私たちの心にある差別と偏見の壁の厚さを、実感した6年間でも ありました。

今回、私たちは判決勝訴の原点に立ち返り、判決の意義を改めて確認しようという趣旨で全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長として、ハンセン病問題の解決の先頭に立っておられる、こう みちひろさんをお招きしました。

 現在、全国のハンセン病療養所では入所者の高齢化と、それによる入所者数の減少が進み、国による統廃合の危機にさらされています。入所者の方々が安心して生活を続けられる環境をつくることが、緊急の課題となっています。そしてこの療養所の将来構想についての議論のなかで、ハンセン病問題基本法の制定要求運動が具体化されつつあります。

 今回のシンポジウムではこの将来構想問題を取り上げます。療養所のない富山で、いかにハンセン病問題に取り組むか こうさんのお話をお聞きし、参加してくださった皆様とともに学び、あらためて考えたい。それによって差別偏見の壁を、少しずつでも崩していきたいと思っています。

 なお私が着ておりますTシャツですが、さきほどあおさんからも説明がありましたように、台湾楽生保留自救会支援のために販売をしております。売り上げは、自救会へのカンパのほか、楽生院強制移転問題のアピール、署名活動の準備、支援のために台湾へ行ってもらう有志へのカンパなどに使わせていただきます。この冠バッチも同様の趣旨で販売しておりますので、ぜひご協力をお願い申し上げます。

 最後に、今回のシンポジウムでは富山県・富山市・高岡市をはじめ、多数の方々より後援、または協賛をいただきました。後援・協賛していただきました諸団体、関係各位の方々に、こころから御礼を申し上げ、ご挨拶にかえさせていただきます。ありがとうございました。

2007年06月19日

●同朋の会葉書

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2007年06月18日

●いろいろある

月参りで車のバンパーを摺ってしまって 凹んでいたら

携帯で 勝訴記念シンポジウム開会挨拶予定の方が固辞され

私にお鉢が回ってきたという連絡が入ってきた

22日まで また プレッシャーとおつきあいとなった

こう なんというか いろんなことが ふりかかってくる


来年のハンセン病問題講演会に 講師としてお呼びしたい方への依頼を

あおさんや大屋さんたちに託した

この こちらでは何も出来ず 結果を待つ身というのも また

とても辛いものだったりする

2007年06月17日

●常讃寺祠堂経法要

午前は廣瀬先生の「罪業深重」を軸にして話したんですが

まだまだ 未消化な内容でした

午後は「しんらんさまはなつかしい」の歌とプレゼン

こちらは完成度が高かったかな

とにかく 今の自分ができる精一杯のお話をさせていただきました


ショックだったのは 藤場さんが 

持参したVGAケーブルの二倍の長さで

あきらかに重さは半分以下のものをお持ちだったことです


まぁ 法話3連戦が終わりました

明日から ふたたび 粛々と 歩んでいきますヨ

2007年06月16日

●明日の法話 二席目

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる

善導「往生礼讃」より

「微塵」は聖人が挿入した言葉 「こまかなるちり」

「衆生」生きとし生けるもの

廣瀬たかし「罪悪深重」 食し、殺して成り立つ生

ジビ王の物語 いのちは平等

無数のいのちが訴えていること

法蔵菩薩の物語 「説我得仏 不取正覚」

「摂取して捨てない」 えらばず きらわず みすてず 竹中智秀

多くのジャータカ物語

ジャータカ→釈迦
法蔵菩薩→阿弥陀

そして釈迦が「摂取して捨てない」という働きを「阿弥陀と名づけた」

法蔵菩薩の物語の意味

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。

「そうすればこそ、腹も立ち、欲も起こり、どうにもこうにも始末のできない親鸞が、私一人を助けんがための弥陀の本願を明らかに聴聞され、長いあいだあなたを引きずりまわいて参りましたが、どうにもならない私が、どうもなって助かるんじゃない。どうもなれんままを引き受けたもうという、如来の本願に目覚められたそのときには、もうおのれ忘れてこんなやつめをようこその目覚めが、「至心信楽己を忘れて、速やかに無行不成の願海に帰す」。」祖父江省念

2007年06月15日

●組同朋会・ネット会議

組同朋会はテキスト阿弥陀経 浄土の聖衆について

声聞と菩薩を対象的に説明しました

このあたりは、以前 藤場さんと十住毘婆沙論を読んでいたので

その蓄積があります 我ながら 慣れたもんです

「生きるということは 仏教においてどういう意味があるのか」

「解放運動は仏教とどのような関連があるのか」

座談会では このような重要な問題提起があり みなで話し合いました

なかなか すばらしい話し合いができました


夜はハンセン病問題ネットワーク富山 シンポジウム直前打ち合わせ

わたしは台湾楽生院支援のTシャツ販売とアピールをすることになりました

近々 台湾で動きがあるかもしれないと聞いています

来週まで資料を集めます

参加者のみなさんの前でTシャツ姿を披露するために

一週間での肉体改造に取り組みます??

2007年06月14日

●第11組同朋大会

今日は組の同朋大会 講師は今泉温資さん

会館補導をしていた頃にお会いして

最近 組の推進員養成講座の講師をしていただいた

失礼ながら 同志 という感じで

お顔を拝見させていただいただけでウレシイ

久しぶりにお話しを聞いて

ああ 今泉節だなぁと

いつものように 人柄の良さがにじみ出るようなお話しだった


お話しというのはホンマに個性がでるものであって

人柄の良さ 純朴さで聞かせる人

カリスマ的雰囲気をもつ人

鋭い切れ口で迫る人

まぁ この3タイプがあるように思う


で 私は カリスマっぽい人の話は 苦手    以上

2007年06月13日

●ぬか喜び

真仏土巻などは 無量光 無量寿の順番なのに
なぜ正信偈は「帰命無量寿如来 南無不可思議光」なのか
なぜ無量寿から始まるのか
考えていた

無量寿は「体」であり 無量光は「用」であるから
最初に「体」、帰依の対象として無量寿を出したという説明を読んで
そうかなと思っていた

華の会のお寺の控え室

和讃についてお話しするということで そのあたりの聖典をパラパラめくっていたら

ひらめいた!

讃阿弥陀仏偈がそうなってるじゃないか!

親鸞は曇鸞を踏襲して 正信偈を 無量寿 無量光 の順番にしたに違いない!

いやー おれってすごいなぁ! すごいの発見したなとよろこんで


帰って「教行信証を読み解く」をめくってみたら


そのことも しっかり書いてありました。。。

藤場さんは「讃阿弥陀仏偈に依る」ということでは 満足しないのね。。。


ちょっとガッカリ

2007年06月12日

●日記

月参りを終えて県立図書館へ 今回は合寺令に関する史料の原本を集める

思ったより かなりの収穫があった

ふと手を伸ばすと 思いがけないものにつきあたる

藤野先生のような歴史学をたしなむ人の 喜びのようなものに触れた気がした


遅い昼食はカレーの「デリー」

隣にどこかで見た人がいるとおもったら

いつも読んでる女性格闘家ブログに登場する かなり強い男性ファイターの方だった

声をかけたい衝動に駆られたが どういう反応が返ってくるかわからんので黙ってた


午後から別院で解放運動協議会

来年の別院法要に合わせた ハンセン病問題に関する講演会の企画

なんとか 認めていただきました!  ありがとうございました


振り返れば けっこう 充実した一日だったな

2007年06月11日

●焦り

今週は 重要な会議もあるのですが お話しする機会も続きます
ある程度 時間はあるのですが それでも しんどいです
実力がともなわない仕事をしているからか プレッシャーに弱いからか
気分転換をする余裕もない といってなにをしたらいいかもはっきりしない
とりあず ここに整理してみます


13日 華の会 若坊守さんの会 テキストは勤行本の阿弥陀経和讃
阿弥陀経の本文と対照しつつ 説明しようかと 以下ポイント
○「なづける」
○阿弥陀経には出てないのに光明摂取不捨
○万行<名号
○極めて信じ難し
○諸仏
○6首目は阿弥陀経和讃ではない

ポイントありすぎ どれかに絞るか?


15日 組同朋会 推進員の会 テキストは阿弥陀経 浄土の聖衆
○声聞 阿羅漢 浄土になんでいるの? 論註で説明するか?
○菩薩 関連で法蔵菩薩も説明する?
○阿毘跋致(不退転) 一生補処


17日 常讃寺祠堂経
午前 法要の意義 「真宗宗歌」を歌いましょう  共鳴・参画
午後 「しんらんさまはなつかしい」を歌いましょう
    聖人の生涯と真宗報恩会の人々

午前中の二席目になにを話すか検討中 法蔵菩薩の物語? 光明の摂取不捨?

2007年06月09日

●子ども会

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今日はかみさんが以前に本山で習ってきたクラフト工作をしました

子どもたちが元気よすぎます

このあと、毎月第二土曜日は一日中、二人で月参りをすることになっています

もう 二人とも ふらふらになっております 

2007年06月08日

●松任・野々市

7日午後から 白山市の博物館と図書館へ
松本白華について調べに行く

今日しかないということで
あいあう公開講座は欠席させていただきました

暁烏敏についての資料は棚一杯にあるのに
白華についてのものは さっぱり見つからない
本誓寺の寺史があったので それだけコピーしてきた

漢詩はたくさん残っているが、彼の思想をたどれるようなものは出版されていない
嶋地黙雷、石川舜台のような、明治の新鋭宗教家、あるいは政治家という感じではない
どうも 「文人」というイメージかもしれない

白華が合寺令の時に書いた報告書などを調べたい
「明治仏教全書」にのっているようだ
この本 どこで見つけられるだろう??

ネットカフェで休憩
「ジパング」は最新巻まで読み終えた
かわぐちかいじの他の本も手にとってみたが もう一つ
ふと このごろアニメが気になる「ナルト」を見てみたら
けっこう おもしろそうだった

常讃寺で安田理深「真仏土巻聴記」読書会
復習してないので なかなか本文についていけない
どうも あいまいな根拠の不思議発言を何度かしてしまった 反省
今後は養成ギブスでも 自習することにしよう

2007年06月06日

●子ども会葉書

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2007年06月05日

●歌う法話?

まー、法話に仏教讃歌唱和を挟んだだけなんですけどね。

毎年、祠堂経にお話に行かせていただいているお寺でして、
午前の勤行の前に「真宗宗歌」、後に「しんらんさま」を
若坊守さんのエレクトーンで唱和していることは事前に知っていました。

午前は二つの歌詞について思うところをお話して、独唱、合唱。
午後は「しんらんさまはなつかしい」、真宗報恩会について説明しつつ、
独唱、録音したものを聴いていただき、合唱。

一緒に歌うのは、ちょっと参加してもらう要素ができていいです。
拍手がでました。まぁ、好評だったんじゃないかと思います。

あと、昨日はハンセン懇、集会部会の会議で京都日帰りでした。
来年の高山教区開催にむけて、動き出したといった感じです。
釈香立さんとお会いしました。
お話しを伺って、ほんとに大変そうでした。応援したいなと思いました。
帰りの電車でレビューブログにある「罪悪深重」を読みました。
それから大阪教区の寺院が発行している竹中智秀「『正信偈』を貫く本願の教え」も。
今日の法話部分は、廣瀬、竹中、両先生に、ほとんど感化された内容となりました。

「えらばず きらわず みすてず」、ですね。

2007年06月03日

●プレゼン法話の反省

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上の写真はあおさんのブログから流用させていただきました。

 これまではホワイトボードを使うときのように、スクリーンを自分の右側においてプレゼンしてきたのですが、今回はご本尊を挟むようにして設置してみました。
 この形は話者とスクリーンの両方に視線がいくのでよかったと思います。ただ、スクリーンの説明のさいにご本尊の前を横切ることがあるので、最初にそのことを断る必要があります。
 この形にできたのは、パソコンとプロジェクターをつなぐ5メートルのVGAケーブルを購入して、設置方法が自由になったからなのですが、このケーブル、かなり重いというのが困ったところです。
 そしてスクリーンとプロジェクターの間隔も広くあけられるようになって、画像が大きくできるようになったのはよいのですが、そのぶん照度が低くなるので、カーテンを閉めて本堂の照明を消していただくことになりました。そうすると、やはり、眠くなる方がおられたようで、この点も問題だなと思いました。

 話の内容については、前半の廃仏毀釈のお話について、あまり反応がなかったような気がして(小松ではそうでもなかったんですが)、明治時代の事件にリアリティを感じていただくには、さらになにか工夫が必要かなと思いました。
 そして、最後の締めに「しんらんさまはなつかしい」の歌詞を確かめるという展開にしているのですが、「ただ真実の白道を」歩んだ聖人ということだけを強調してしまい、「われも悲しき凡夫」という生涯こそがその白道であったという点を押さえませんでした。高揚して舞い上がってしまったんですね。聖人を偉人にしてしまいました。ここは大きな反省点です。

 それにしても仏教讃歌の歌詞っていいなと、この頃思います。あさって、親戚寺院の祠堂経のお話しに行くのですが、今度は「歌う法話」なども試してみようかと。

 いやはや、われながら、つくづく、本道を歩けない、サブカルチャーな性格です。

2007年06月02日

●高岡第8組同朋大会

終わった直後は、期待された内容とは違ったかもしれないけれども、
こちらの伝えたい事は話せたと、強気だったんですが。

帰りの車のなかで、反省しました。

はい、サルです。

また、あおさんからアドバスいただけたら幸いです。
スタッフのみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。

2007年06月01日

●戦争と寺院

 道綽と廃仏毀釈の関連を調べていたら、こういう記事を見つけた。

 道綽禅師は十四歳で出家されました。中国社会の混乱の中で、静かな深い教えをもとめ
て仏教に帰依されたことが出家の動機であったでしょうが、生活苦も理由の一つであった
といわれます。
 ところが、道綽禅師が十六歳になられた五七七年、北周の武帝は北斉を滅ぼして中国北
朝を統一し、仏教と道教の禁止令を発布しました。一部の僧は南朝に逃れたり、山深い地
に隠れたりしましたが、ほとんどの僧は還俗させられました。道綽禅師も還俗させられた
一人でした。
 北朝統一前の北周では、富国強兵策をすすめるために仏教と道教を禁止し、寺院やその
田畑を没収し、仏像などの金属品を鋳溶かして工具や兵器にし、僧侶は還俗させて徴兵し
て軍備を増強しました。仏教側から道安などが皇帝の前で廃仏の非を切々と説きましたが
受け入れられず、仏教を捨てることができない人々は身を隠し、衣食住に苦しみながらも
細々と教えを護っていました。

http://www.biwa.ne.jp/~takahara/
http://www.biwa.ne.jp/~takahara/shosin22DS.htm

 富山藩合寺事件の際にも、仏具と梵鐘が供出させられ、弾丸や大砲にされた。武器の倉庫や工場にされて、打ちこわしを免れた、寺の本堂もあった。明治維新の富国強兵の気運にのって、富山藩は軍隊の強化を目指していた。そこには仏教を貶め、軍国主義を民衆に対して示威していくという狙いもあった。

 「廃仏毀釈」の歴史には、こういう兵器との関連があるということだ。

 もしも、安倍首相から「美しい国、安全な国づくりのために、宗教者も痛みを分かち合っていただきたい。」と、仏具や梵鐘の供出を依頼されたら、いまの我々はどうするだろう。

 じっさい、玉永寺も梵鐘仏具を昭和に入って、国に供出している。梵鐘を供出する際には、鐘に衣を着せて、門徒とともに法要が勤められている。探せば、写真があるはずだ。彼らは「お国のため」と喜んでいたのだろうか、それとも悲しんでいたのだろうか。そして、ご存知のように、住職が二人、徴兵され、中国と南方で戦死している。

 玉永寺がこうした「縁」に遇っている以上、戦争という問題に無関心では、いられないと思っている。