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2007年06月16日

●明日の法話 二席目

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる

善導「往生礼讃」より

「微塵」は聖人が挿入した言葉 「こまかなるちり」

「衆生」生きとし生けるもの

廣瀬たかし「罪悪深重」 食し、殺して成り立つ生

ジビ王の物語 いのちは平等

無数のいのちが訴えていること

法蔵菩薩の物語 「説我得仏 不取正覚」

「摂取して捨てない」 えらばず きらわず みすてず 竹中智秀

多くのジャータカ物語

ジャータカ→釈迦
法蔵菩薩→阿弥陀

そして釈迦が「摂取して捨てない」という働きを「阿弥陀と名づけた」

法蔵菩薩の物語の意味

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。

「そうすればこそ、腹も立ち、欲も起こり、どうにもこうにも始末のできない親鸞が、私一人を助けんがための弥陀の本願を明らかに聴聞され、長いあいだあなたを引きずりまわいて参りましたが、どうにもならない私が、どうもなって助かるんじゃない。どうもなれんままを引き受けたもうという、如来の本願に目覚められたそのときには、もうおのれ忘れてこんなやつめをようこその目覚めが、「至心信楽己を忘れて、速やかに無行不成の願海に帰す」。」祖父江省念

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