●「念仏が聞こえた 光が見えた」
昨日は午後から野々市
買い物して 慢喫で「養成ギブス」にて安田理深真仏土聴記読書会復習予習
しかし 今回の「光明無量」についての話が どうもすっと入ってこない
常讃寺での本番でも その状態は続いた
真宗の教えにおいて 「光」ってなんなんだろう
真仏土巻 涅槃経引文に「眼見」といっしょに「聞見」という言葉が出てくる
そういえば「聞光」なんて言葉もあったな
「光を聞く」ってどういうことなんだろうな
名号をきいて 光が見えたように感じる? 器官と感覚がずれている
まぁ マンガの演奏会のシーンを見て 音楽を聴いているような感覚があるようなもんか?
この場合は「見聞」だけどね
迷っているとき「暗闇のなかにいるようです」 糸口が見えると「光が見えたような気がします」
そういう言葉の使い方をする 実際にはなにも見えていないのに
そういうことなんだろうか
なんかごちゃごちゃしてる すっきりせん