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2007年10月09日

●教区公報「如大地」 「提言」原稿

 故Gさんから「ハンセン病に関する懇談会委員」を引き継いで2年になります。講演を聞く不特定多数の一人であった私が、回復者の方々と直接語り合うご縁をいただいたのは、実に不思議なことでした。
 これまで学んできた真宗の教えを、見直させられることが何度もありました。
 長い隔離政策の下、感謝して心静かに過ごすことが「お国のため」であるという教化が療養所のなかで行われました。そうした教えのおかげで厳しい環境を生きることができたとおっしゃる方もいます。しかし、それは人間として生きることを剥奪する暴力(強制隔離、強制労働、強制堕胎)に抵抗することを、阻む働きをしました。
 また、慰安教化には「かわいそうな人を救ってあげる」という教化者意識が根底にあります。救う側にいるつもりの人は、救われる側にいるとみなしている人を、同情すべき哀れな人として目線の下に固定しました。救う側と救われる側という二つの立場は入れ代わることがありません。御同朋御同行精神の喪失は国家の暴力を追認し、人々に血の涙を流させました。
 それに対して、差別と偏見の只中から名告りを上げ、人間はだれもが生まれながらに尊いという信念の下に国に対する裁判を勝ち抜いた回復者の姿には圧倒されます。親鸞聖人が法然上人から受け継ぎ、その御生涯で確かめられた浄土真宗は、同じように、一人の「いのち」を大切にする教えであったと思います。富山藩合寺令による廃仏毀釈に抵抗した人々、米騒動に立ち上がった水橋、滑川、魚津の人々。郷土の真宗門徒たちのことが思われます。
 90年にもおよぶ隔離政策は、療養所と社会の関係を遮断し、この問題を見えにくくしています。富山のような療養所から離れている地域では、療養所の存在はおろか、ハンセン病でさえあまり知られていないのが実情です。あるいは、もうこの問題は終わっていると思っている方もいるでしょう。
 しかし、「私さえ黙っていれば家族に迷惑はかからない」と里帰りを断られる方が、今も療養所にいらっしゃるのです。昨年の6月、岡山県にある国立療養所、長島愛生園を訪れ、富山県出身の方に別院での講演をお願いしました。「真宗」2006年9月号「ハンセン病は今」に手記を掲載していらっしゃる方です。しかし、断られてしまいました。富山では回復者に対する偏見はなくなっていないのではないか、自分が話せば家族が世間から差別を受けるのではないか、という不安をお持ちになっているのだと思います。
 人の差別心がある限り、この問題は終わりません。ハンセン病問題の現状を多くの方々に知っていただき、課題を共有したいと思っています。


ハンセン病問題に関するイベント紹介

3月2日 2時より
「新・あつい壁」上映会
会場 富山県高岡市生涯学習センター
部落解放にとりくむ富山県連絡会議・ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山の共催です。

3月4日~6日
「第7回真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」
会場 大谷派高山別院 高山グリーンホテル
テーマ 「人間に帰ろう」 ―高山で出会う私のハンセン病問題―
回復者・宗派関係者・一般市民が一堂に集う交流の場として、開催されています。今回は観光地高山での大規模な市民参加型交流会となります。

4月18日
「ハンセン病に学ぶつどい」
会場 富山東別院本堂
講師 金泰九さん(岡山県長島愛生園在住)
講題 「多くの人との連帯のなかで生きたい」
教区御遠忌事業の一環として開催します。講演とパネルディスカッションにより、富山での里帰りの現状や療養所将来構想問題などについて学びます。富山出身の回復者にも参加を呼びかけています。

5月10~11日
第4回ハンセン病市民学会
会場 東京都多磨全生園
学生、教育者、ジャーナリスト、研究者、宗教者など、さまざまな市民が集まる全国大会です。2日間で延べ1000人規模の参加があります。首都圏市民の会のS氏が中心となり、開催に向けて尽力しています。

6月
ハンセン病訴訟勝訴7周年記念シンポジウム
会場 富山市民プラザ
富山の本願寺派、大谷派、医療関係者、市民による、恒例のシンポジウムです。

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コメント

 スレ違いで誠に申し訳ないのですが。。。

 ホームレスの全国支援ネットから富山のホームレスの状況に関してニュースが流れてきます。

 http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20071009201.htm

 石川県の金沢駅でも似たような騒動がおこってましたが。大学や社協や、救護施設などのルートを使っても、北陸(石川、富山、福井)のホームレス支援団体の存在が確認されておりません。もし個人でも動いておられたら、バックアップさせていただくことも可能なのですが。

 北陸の状況はまったく掴めておりません。支援団体が存在しないか、あるいは弱いために、このような行政とのいたちごっこが繰り返されているものだと思われますが。

 排除だけでは何も解決しないと私たちは考えてます。流星さんは、ハンセン病問題で例えば看護師さんのグループともお知り合いがあると思われますが、このコメントをご覧のみなさまも何かお知りでしたら、何かお知らせ下さい。対応に向けてアクションを起こせるのですが。個人メルアドにてご連絡いただいても結構です。

こんにちは いくつかあたってみます

メールアドレスは@ホットメールでいいですね

違ってたらメールください
私のアドレスはホームページにある@ヤフーです

 ご協力、ありがとうございます。

 近現代日本の条件不利地域史を書こうとしている米人とたまたまM・フーコーの話しになりまして。おもに『監獄の誕生~監視と処罰~』の要点を聞きました。

 近代の刑務所は、前近代的な残酷な拷問や公開処刑(可視的な物理的暴力)というものを一応やめたけど、それに代わるソフトな支配システムを作りあげた。それは不在看守からの「まなざし」を利用したパノプティコン(一望監視施設)という自己規制(処罰)装置だ。これは刑務所のみならず、学校や工場や病院などにも巧妙に張り巡らされた。
 
 で、その発想のみなもとにあるのが司牧制度だということ。

 >隔離政策の下、感謝して心静かに過ごすことが「お国のため」であるという教化

 というのが、まさにこの内面からの、監視・管理に当たるのだと思います。また、刑務所教誨というものも、かつてこの発想と連動していたのでしょう。法然上人や親鸞聖人(ついでに史的イエス)のお仕事は、これとはまったく反対のことを成し遂げられたのにと残念でたまりません。

こんにちは 支援の件についてはメールをそちらに出しました。

そうですね。上は慰安教化に限定して書きましたが、行政、司法、医療、そして宗教にまたがる問題で、こちらでは「パターナリズム」という用語で語られつつあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

 メールありがとうございます。本来、ホームレス状態にある人々は、まず第一に行政がしかるべき対応をしなければならないと思います。

 しかし、この新聞記事にもあるように残念ながら現実はそう動いてはいません。また北九州市で餓死者が出ているように、生活困窮者に対して生活保護受給のハードルを高くしたり打ち切ったりということがいま各地で行われています。

 貧困などの責任は、すべてを本人が負っている訳ではないですね。しかるべき行政サービスの情報が適切に提供されれば、それを利用して、「自立」した生活を再建することも可能であると思われるのですが。

 それには、弁護士さんなど支援者のお手伝いが必要になる場面もあろうかと思います。ホームレスは好きでやってるんだからほっとくのがいいというような意見には、私頷けません。

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