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2008年03月31日

●親鸞の御流罪に学ぶ我々の救い

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湯浅成幸さんの講演
今回も80人は参加がありました
聖人の御流罪の意義の他
薩摩藩のかくれ念仏と廃仏毀釈 憲法9条についてのお話が興味深かったです
湯浅さんは同朋会館でなんどかお会いしていて
ご高齢になられましたが お元気そうで
お会いできて 本当に久しぶりにお話が聞けて うれしかったです

2008年03月30日

●4月の予定

1日 組 解放運動研修会 上市カミール
   ホームレス支援 困民丸会議 駅前CiC

3日 ハンセン病問題ふるさとネット会議 教務所

4日 組 誕生会 準備打ち合わせ 立山町 祐教寺
   解放運動協議会会議 教務所

6日 組 誕生会 立山町 祐教寺

7日 真仏土巻学習会 野々市 常讃寺

8日 ハンセン病問題ふるさとネット総会 教務所

11日 記念講演会 江川紹子 新川文化ホール

12日 玉永寺子ども会 歓送迎会

14日 ホームレス支援 困民丸会議 駅前CiC

16日 廃仏毀釈公開講座実行委員会 教務所
   
17日 13組華の会 朝日町 西心寺

18日 ハンセン病に学ぶ集い 金泰九 教務所

19日 ハンセン懇第2部会会議
    組 同朋の会 上市 浄誓寺

22日 組 共同学習会 土肥人史 上市カミール

26日 玉永寺同朋の会

2008年03月28日

●玉永寺お講

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30人あまりの方々が
参詣してくださいました

東本願寺出版部の「おしゃかさまのおはなし」を使って
読み聞かせ法話のようなものに挑戦しました

2008年03月26日

●宮城喜久子さんのお話

ひめゆり学徒隊の生存者が命の大切さ語る

 第二次世界大戦末期の昭和20年、日本で唯一の地上戦となった沖縄で、負傷兵の看護などにあたった「ひめゆり学徒隊」の生存者が、26日、富山市で当時の悲惨な戦争体験を通して命の大切さを語りました。

 富山東別院で当時の体験を語ったのは、16歳という若さで負傷兵の看護などにあたったひめゆり学徒隊の生存者で宮城喜久子さん(79歳)です。

 主催者の(ひとり)石川玄雄さんによりますと「5月に行う沖縄フェスティバルに先立って、事前に沖縄の歴史を知ってもらおう」とこの講演を企画したということです。

 沖縄フェスティバルは真宗大谷派富山教区・富山別院の御遠忌の記念行事として5月17日(土)に富山東別院で行われます。 (KNBニュース 一部補足)

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以下は講義ノートの一部 文責は流星

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土地に行ったらしっかり感じることがある。
観光地というイメージだけでなく、本土とわれわれが様々な温度差をもっている。
それがなにかを知り、生かしてほしい。
わたしは16歳でひめゆり学徒隊 沖縄戦はこれまでどこにもなかった戦争 小さな島で3ヶ月戦った17万という住民が引きずり込まれた もうこれまでもなかったし、これからないような戦争 戦場のなかでは逃げることもできない 日本の国のために勝つまでがんばれと 教育によって追い詰められた 二十万の人が死んでから自分たちの愚かさに気づく 楽しい学園生活 国際通りは ひめゆりの通学路だった 静かな通りは観光地になってしまった
雑踏の中を通りながら、本屋や首里城へ遊びに行ったことが思い浮かぶ それは10代でみな亡くなったから 心の傷 わたしが16歳ですべてを失った まだまだ引きずっている亡くなった211名の学友 辛くて悲しくて ひめゆりの塔にも行かなかった いまは悲しいのではない 悔しい 時代の流れ わたしは戦争のなかで育ったのが みなさんとの違い 友達はどんなに悔しい思いで死んでいったか 悲しいのではなく悔しい 戦争勝つまでがんばろう 陸軍病院へ行けと夜中近くに言われる これまで受けた教育では日本は神の国で、絶対に負けることはない 日本軍を友軍と呼んでいた 信頼していた ほとんどが死ぬとは夢にも思わなかった
227名の死をわたしは戦場のなかで遭遇した そこで戦争を知った
人間生きることは当たり前だと思っていた 生きられることがどんなに大事なのか 幸せなのか 大事な人を失ってはじめて気がついた。35年間教師をしたが、ひめゆりのことを話さなかった。悲しさだけに取り付かれていた。40年たって わたしの周りで戦争はなくなったか。二十万という人々が亡くなった。人間、金も物もいらない。収容所からテント小屋へ。これからは少しは人間らしく生活できると思った。砲弾の音も聞かずに生きられると思った、そして朝鮮戦争が起こった。沖縄の基地から。戦争と無縁で生きられると思ったときだった。三ヶ月間、血まみれで逃げ惑っていたことが思い浮かんだ。
皮肉にも戦争のおかげで日本は再生した。そして、ベトナム戦争、10年。核爆弾を搭載できる爆撃機が沖縄から出撃。小学校教師をしていた。朝鮮半島の人が、沖縄の人が憎いと言っていることが新聞に載った。なぜまた戦争をするのかという質問に答えられなかった。
27年間沖縄は軍政下にあった。本土復帰。日本の教科書を使っていた。民主主義、平和憲法。国民全体の総意の国へ。希望があった。5月15日。本土の51%の基地が無くなるという夢を見ていた。しかし自衛隊が来て、基地も存続。75%へと増える一方。40年過ぎた。戦争の映像を見ると、あのときのことが思い浮かぶ。トラウマ。ひめゆりの塔の第1外科壕から出された。うめき声、叫び声。友達を壕に残したこと。33年忌にやっとそこまで行けた。しかし足が震えた。姉を残した友達。お姉さんごめんなさい。40年ぶりに中に入り、遺骨、遺品を拾った。整理されていると思っていたが、遺骨がたくさんあった。山になっていた。別世界に行ったような感じ。沖縄戦のことを、本土の人は知らない。事実を知らない。戦争の風化に気がついた。思い知らされた。
ひめゆり資料館を作ろう。観光地になっている。間違った証言を払拭する。しっかりと伝えて、平和、亡くなった人たちへの供養。ひめゆりの心を忘れないで
25名の証言者が 今は15名。戦争がいかに愚かか。人間の努力によって平和を築く。日本の国が平和なら平和?

13歳で入学。先生志望。寮生活。友達がいっしょ。英語は使えなくなる。16才、勉強なし。基地を作る。アメリカのことは知るな。アメリカの力は分からない。竹槍。アメリカは全部知っていた。国策。世の中を見つめる目が必要。

4回の大空襲 3月23日 炸裂弾。それから3ヶ月。病院へ行け。看護の手伝いをする。その前、両親に戦場動員の許可をもらいにいく。父も教師だった。がんばって来いとは言わなかった。お前を16歳まで育てたのは、そんなことをさせるためではない。女は戦争に行かなくてもいい。山へ逃げろ。私は「非国民と言われるよ。」と答えた。立派な日本人になれという教育を受けた。方言、歌をやめた。今も方言が使えない。母が泣いてしがみついた。3月23日戦場へ行った。半分以上が亡くなった。そういう教師。いかなる教師であるべきか。他の女子学徒隊は卒業者のみ戦場へいった。ひめゆりだけは在校生。それを誇りと思っていたが、18名の教師がついていた。そのために、悲劇が起こったのかもしれない。それが悔しい。恩師であるが、二度と教師に過ちを犯してほしくない。
陸軍病院に空襲。壕に入れない。なぜ病院に爆弾が落ちるのか。教師も分からない。これが戦争。ルール無視。
先生は「心配するな。爆弾が落ちない後方で看護するのだ。」と言っていたが、そうではなかった。
砲弾の中の卒業式。この世界のなかで稀なこと。戦場での卒業式。悔しかった。「別れの歌」、鎮魂歌。
4月1日 米軍上陸 70代の男性まで負傷者を運ばされた。すべての学校からも動員。21の学校。戦場の学徒隊。学生は通信兵をした。有線。工業高校の生徒。100名、14、5歳。80名が亡くなった。上級生は爆弾を背負って戦車に体当たり、訓練を受けていた。火薬を体に巻く。生徒に手榴弾を渡し、敵の後方から使え、最後の一つで自決せよ。生徒、住民に手榴弾を渡す。軍と関係がないはずがない。
血まみれな人を見て呆然とした。戦場だ甘ったれるな。座り込んだり、震えたりしてはいけない。どんどん負傷者が増えていく。3000名。病院がいっぱい。糸数壕へ1000名移す。ガーゼで水を与える。血と膿の悪臭。空き缶で小便を取る。
何もいわない人。喉に穴が開いていた。蛆が這い上がっていた。蛆が傷口を食べる音が聞こえる。うめき声が聞こえる。やせこけた兵隊とコロコロ太った蛆。
有事法制によって戦争に行かされる。法律によって行かされた。国家総動員法。
血まみれの手足を運ぶ。病院の回りにできた穴に投げ込む。最初は泣いた。泣きもしなくなった。そうしないと任務が出来ない。人間の感覚が無くなる。すべて人間ではなくなる。青酸カリのミルクが配られる。軍人だけではない、住民も追い詰められて死んでいく。ピンポン玉のおにぎり。病気になり、眼が見えなくなった子がいた。今は物があふれている。そのときはどうすることも出来なかった。それが戦場。何も出来ない。
4ヶ月前に書いた手紙。普通の女の子。そういう子が戦場へ行き、死んだ。
井戸をアメリカ軍は狙い撃ちした。血のにおいのする水を飲んだ。
第一外科。8人友人たちが血まみれ。教頭先生が蝋燭をともす。6月18日 学徒隊を解散します。出て行けといわれる。連れて行けなかった。

国際法は通じない。学生にガス弾。火炎放射器。6月20日、解散命令。もう一度お母さんに会いたい。6月21日、日本兵が投降して、日本人に殺された。ピンを抜けなかった。「金城さん手榴弾置いて」友達が声をかけた。他の人々が手榴弾で死んでいた。アメリカ兵が手当てをしていた。

収容所 7ヶ月ぶりに母に会う。「生きていた。」死んだ方がよかったと思っていたが、母に謝った。

人間の基本はいのちである。生きられる幸せに気づいてほしい。平和でないと生きられない。平和を作る。大事なときには、その言葉を思い出してほしい。沖縄フェス。いのちについてしっかり考えてほしい。いのちがどんなに大事か。戦争がいかに愚かなことか。

2008年03月25日

●教区御遠忌テーマについて話す

午後から組の研修会で教区御遠忌テーマについて話しました

「差異 つながり そして、いのち ー孤独の闇から響きあう世界へー」

前半は御遠忌事業の宣伝 そして、「いのち」をめぐる社会状況について

後半は釈尊伝を中心に つながりを大切にしたのが仏教であると話しました

2008年03月24日

●富山県議会 請願可決

県議会における、ハンセン病問題基本法制定に向けての請願が可決されたようです。

●公開講座 富山別院と廃仏毀釈 第一回

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100人を越える方々が集まってくださいました 大盛況!

研究報告
1、富山東別院創建記念碑について 石川正穂
2、林太仲は仏敵か?         永崎 暁
3、合寺事件の歴史的意義      長 真寿
4、浦上キリシタン配流事件
  弾圧者<加害者>としての真宗寺院
                       安川 潤
5、廃仏毀釈と女性           見義悦子

5人の研究報告は廃仏毀釈を多元的に捉えることになり 内容を深めるものになりました
そして太田浩史さんから 廃仏毀釈にいたる歴史的背景についての講義がありましたが
太田さん 私たちに ちょっと圧倒されたかな?

これからテープ起こしなど 第二回(5月12日)に向けての作業に入ります

●本日の発表レジメ

http://www.gyokueiji.net/0803happyou.pdf

2008年03月23日

●明日「公開講座 富山別院と廃仏毀釈」を開催します

いよいよ明日となりました どうぞぜひご参加ください

太田氏の講義の前に5人の実行委員が それぞれの研究について話します
私も以下のようなことを話そうと思っています

http://www.gyokueiji.net/namu/2008/03/post_32.html

みなさん ぜひいらしてください

2008年03月22日

●再開!玉永寺同朋の会

新しいメンバーを迎え 12人の方が集まってくださいました
正信偈 天親章の1回目
本尊、そして「横超」ということを中心にお話して
和気あいあいとおしゃべり、座談を行いました
毎月第4土曜 午後2時~4時
なかなか 楽しい会になりそうです
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2008年03月21日

●来週までの予定

ほぼ 連日 打ち合わせが続いてきました
そして いよいよ玉永寺行事とともに
別院法要企画が本格的に始まります

22日 再開 玉永寺同朋の会 テキスト「おつとめのほん」 正信偈 天親章から

24日 公開講座 富山別院と廃仏毀釈
    太田浩史氏の講義に先立って 実行委員一人一人が研究報告を行う
    わたしは「富山別院創設記念碑について」 この取り組みの趣旨について話す

25日 第11組共学研修会 富山別院御遠忌テーマについて話す
    困民丸会議 ホームレス生活保護申請について

26日 沖縄フェス 公開講座 ひめゆり祈念館 語り部 宮城喜久子氏

27日 別院法要本部会議
    得度研修 釈尊伝

28日 玉永寺お講 釈尊伝
    第11組新・旧委員の引継会

そして 今週中に「ハンセン病に学ぶ集い」にむけて 別院本堂にパネルを展示します

2008年03月11日

●「人間回復のことば」

下にも説明がありますが今手にして、すばらしい本だと思いました
「障害」を持つ河上さんがなぜ玉城さんを富山に招こうと声を上げられたのか
河上さんを発起人として 心ある人々が力をあわせていく様子も
ドキュメント風に取り上げられています
そして去年6月の神美知宏さんの講演も収録されて
いま 気がついたのですが私の拙い挨拶と(どなたかがテープ起こししてくださったんだなぁ)
坊主頭で楽生園支援Tシャツ販売している写真まで載っているのでびっくりしています
それもふくめて? ぜひ お買い求めください
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●親鸞の御流罪に聞く我らの救い

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●玉永寺通信第33号

http://www.gyokueiji.net/0803.pdf

●「富山の石仏たち」より

尾田さんの本が桂書房から出版されました
このブログのことも取り上げられています
『富山の石仏たち』
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●高山集会点描

コメントは後ほど













ごぼはんリンク

2008年03月10日

●療養所入所者協の代表ら、県庁訪問

ハンセン病:「基本法制定に支援を」 療養所入所者協の代表ら、県庁訪問 /富山
 ◇患者の窮状、実態への理解訴え

 全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長の神(こう)美知宏さん(73)=東京都東村山市=が7日、富山県庁を訪れ、椎葉茂樹・厚生部長と会談。全国13カ所の国立ハンセン病療養所の入所者が終生安心して生活できるよう「ハンセン病問題基本法」の制定に理解と支援を求めた。【青山郁子】

 国の強制隔離政策で療養所入所者は生涯退所させないとされ、症状が回復しても多くが療養所内で亡くなり、家族とのきずなも断たれているのが現状。近年は入所者減により療養所の医療、看護体制も縮小され、内科医がいない所もある。

 同協議会は、療養所を医療、老人福祉施設として地域に開放することなどを提案。現在の法律では入所者以外の人への医療行為を禁じているため、新たな法制定を求め、国や自治体などに働きかけている。

 この日、神さんは「ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山」代表の藤野豊・富山国際大准教授ら6人と来庁。「(患者を全員隔離する)無らい県運動は全国津々浦々で行われ、療養所のない県でも無関係ではない。解決には市民が実態を認識することが重要」と啓発活動に理解と協力を求めた。

 これに、椎葉部長は「富山県でも入所者が年1回里帰りしており、趣旨は理解した。県民に知ってもらうよう努めたい」と答えた。

 来年は療養所開設から100年にあたるといい、同ネットワークは国会に働きかけるための100万人署名活動も展開。藤野代表は「問題の解決には法制定しかない。市民と行政が一体となって運動を盛り上げて」と訴えている。

毎日新聞 2008年3月8日

http://mainichi.jp/area/toyama/news/20080308ddlk16040673000c.html

2008年03月09日

●人間回復へのことば

ハンセン病:富山での講演会の記録集を作成 /富山
 ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山(代表=藤野豊・富山国際大准教授)は、昨年富山市内で催した講演会の記録集を作成した。

 1件は元患者、玉城しげさんの「お話を聴く会」(11月)。玉城さんは「人間回復へのことば」と題して話した。もう1件は「ハンセン病国賠訴訟6周年記念講演」(6月)。全国ハンセン病療養所入所者協議会の神美知宏事務局長が「ハンセン病とたたかい続けて」のテーマで講演した。

 記録集には2人の講演録のほか、藤野代表の「胎児標本の真相」や、火葬問題についての緊急声明なども掲載。A4判68ページ。1部500円。

 問い合わせは同ネットワーク事務局(富山東別院=076・421・9770)。【青山郁子】

毎日新聞 2008年3月8日

http://mainichi.jp/area/toyama/news/20080308ddlk16040687000c.html

2008年03月06日

●お講チラシ

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●公開講座チラシ

 「廃仏毀釈を知っていますか?」。富山市内で、道行く人にこのような質問を投げかけても、ほとんどの人は首をかしげるだろう。富山空襲の記憶すら風化しつつある今日、それは致し方のないことかもしれない。
 しかし、仏教徒が人口の大半を占めるこの地は、今から138年前、もっとも激しい仏教弾圧が行われた場所であった。なかでも、大多数の門徒を擁した真宗寺院に対する迫害は、ひときわ蛾烈を極めた。
 明治3(1870)年閏10月27日、富山藩は突如として「藩内すべての寺を、一宗一寺に合併する」との合寺令を発布した。封建時代の安逸をむさぽってきた寺院と仏教徒にとっては、まさに晴天の霹靂であった。収奪された法具や梵鐘は、門徒らの目前で鋳潰され、藩の軍備拡張のため、砲弾や銃弾に改鋳されていった。
 この時期、廃仏毀釈は、菊間藩や薩摩藩など各藩でも散発的に行われたが、ここまで徹底した激しいやり方は、全国に例がない。
 総曲輪に建っている東西本願寺別院は、そうした過酷な試練にさらされた人々が、地道な努力の末に、ついに信教の自由を勝ち取った抵抗のモニュメントなのである。

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●記念講演会チラシ

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●高山大会

3日間で延べ1000人を軽く越える 大盛況でした
詳細は後ほど報告を
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2008年03月03日

●高山大会前日打ち合わせ

高山スタッフ 解放運動推進本部 ハンセン懇集会部会
三者による打ち合わせが高山別院で行われました

参加者は予定を大幅に越えて 350人になるとのことです

想定外 いろんな事が起きることでしょう

今からワクワクしています

●「新・あつい壁」上映会 中山監督講演会

昨日 高岡にて200名あまりの観客をあつめて上映
引き続き講演会を開催しました

すばらしい映画でした
ストーリーが 富山県出身の方に講演を断られた問題と そのまま重なりました

6月に富山でも上映する計画を進めています

レビューはここに書きました