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2008年11月14日

●報恩講法話ノート 

法話 藤場俊基氏 文責は流星
報恩講とは 講は集まり 恩に報いる
恩とは何か すぐに忘れてしまう 忘恩
忘れてしまうので年に一回 みんなで確かめ合わないとなくなってしまう
独り占めして内緒にしておくのは忘恩
みんなで共有する 同じものをいただくようにする そのために人が集まる 知らない人もいる
報恩講というのは 親鸞聖人のご命日を縁としている
報恩講になっているか 忘恩になっていないか そのためにお話を聞くことが大事
師恩 仏恩 教えを伝えてくれた 教えを説いてくれた
恩とは恵 では仏から何をいただいたか お名号をいただく
なんまんだぶつ 簡単なこと 念仏しなさい
しかし あまりしない お参りしても聞こえないことがある
恵みとして名号をいただいた これを回向という
名前がやってくる それを教えていただいた しかし うんといわない
念仏したら極楽行くことになっている しかし しない 極楽に行きたくないから
人間は何が好きか 地獄が好き
地獄ばかりを作っている 夫婦 学校 兄弟 会社
極楽はきらいだから念仏しない 教えてもらっても大事なこととは思わない
人間は疑い深い 自分ではっきり分からないことはしない
人間と仏教は 相性が悪い 仏教をいただいても素直に受け取らない
なぜか 嫌なことを言われるから

阿弥陀仏は光 光に当たったものが見える
月は太陽の光を遮るから光って見える
阿弥陀仏の光を遮るのは私たちの煩悩
私たちの醜いことが見えてくる それが大嫌い
人間は自分のことは自分が一番よく知っていると思っている 傲慢 錯覚
閻魔の浄玻璃の鏡 自分のすべてを写す鏡 その前に立てる人はいない

阿弥陀の光は我われの心をさらけだす
嘘をついて生きる 秘密を隠して生きるのは辛い
そういうものを抱えていることは重荷
それをどこかで認めてもらう 許してもらう
それが 観音 だから我われは観音菩薩が大好き

しかし 観音だけだと 優しさに甘えてしまう
観音は慈悲 勢至は智慧 嘘を許さない だから怖い
勢至 それでいいのか? 観音 それでいい

自分自身を許す 自分が好きになれない
赤塚不二夫 天才バカボン バカボンのパパ これでいいのだ
観音菩薩の働きが届いた時の言葉
それにうなづいていく しかし それは一回しか効き目がない
それ以上は 自分をなんとか納得させようとする
自分に言い聞かせる 二回目以降は不信感の現われとなる

罪悪深重の凡夫 教えを受け取らない 素直にならない
言葉によって罪悪深重が明かになるが それも二回目以降は疑いととなる
思いのなかに取り込む 手垢をつけて 握り締める なんでも汚してしまう それが煩悩

曇鸞 人間はなにもかも汚してしまう それをもっている人間がどうして仏法に合えるのか
阿弥陀仏は それを名前を届けることで実現しようとした
名前は意味が分からなくてもよい
十字名号 九字名号 漢字に意味がある
南無阿弥陀仏 インドの言葉の音
音だけということが大事で便利 中国 アメリカ すべて なむあみだぶつ
それが大事 阿弥陀の教えに出会った人のしるし

念仏しなさいと聞いたことが いわれ 意味を知りなさいということではない
御正忌の御文 南無と「言う」はすなわち帰命なり
言う 口に出すということ そのことを帰命という
教えを受け入れたということが起こった
意味が分かったということではない
素直に言えない 傲慢さがでる それも煩悩
分からないことを分からないままに 要求してくる教え
聞こえる 受けとめる 言葉が届く

浄土真宗の教えはただ念仏 知っている人はおおい しかし言わない
真宗の門徒は知っているだけでなく する
しかし 最近はしない人が多い 御文のなかにも 念仏せよとでてくる
ひとまねはおぼつかない 六字の名号のいわれ
しかし 当時と様子が違う 仏法繁盛 昔は満堂だったろう
今は せめてまねでもしろと 言わざるを得ない時代

ほめるということは難しい 感心な時だけ 100点なら喜ぶ 取らなければ喜ばない
ものごとには裏と表がある うまくいったかいかなかったで
そうでない時にほめるとイヤミ
お参りをほめる うまくいかない関係ない うまくいったときだけほめる
目に見える損得はない

秋葉原の事件 自分が大切と思えない 事件を悲しむ人が思い浮かばない
彼のような人に真宗の教えを聞いて欲しい
彼に真宗の教えが伝わっていない 間に合わなかった
親が迷惑 困らせるために事件を起こす 両親から大事にされたことがないのでは
歯止めは大事にされること よろこんでもらう経験

自分自身を責める 成功失敗と無関係にほめてもらえる場所がない
それが自分のなかにたまっていく
仏の前に座る 向き合う相手が変わる 自分で考える


報恩講 一軒一軒おときがでる てんこ盛りのご飯 かた豆腐 山菜
どこも同じ料理 報恩講とおちゃ 先祖総経 毎日同じ料理
それをする家はもう一軒か二軒 山菜料理もできない
ぜんまい胡桃あえ それができない くずし豆腐 みなで集まり 話を聞く
楽しい思い出 毎年の恒例 やらなくなって大切な空間と時間だとわかる
もう一度やろうと思ってもできない 世代が変わる
あんな手のかかることはできない
報恩講とは何か ごちそう?
今の子どもたちは何を記憶するのか 結婚式 葬式 ホール
自分が手をかけることがなくなる 小さい時の強い印象は少なくなってしまった
大事にしてもらった思い出を 子どもの時に持ってもらいたい
子どもがいっしょにお参りしたときにほめて欲しい
いい思い出になる それが財産になる なにかしたことを喜んでもらう
理解できない事件が起こる 理由がないわけではない 世の中に対する恨み 仕返し
両親を困らせたいために事件を起こす
極悪人というより縁 自分もそうなっていたかもしれない
同世代 気持ちがよく分かる 自分が無視される ないがしろにされる
なにが歯止めになるか 一概には言えないが それをすれば悲しむ人がいるか いたか
引き戻す理由 それが逆の理由になっている
自分が大事にされた記憶が大事 一緒にご飯を食べる お茶を飲むと親しい感情をもつ

仏法には三つのことがある 仏事 法事 僧事
仏事 荘厳 仏への敬いを形にする
法事 法を伝える お話をする
僧事 講 お斎 ご飯を食べる

家族 親戚からほめられる 大切にされたことが経験として残る
ほめるのは難しい いいときだけ うまくいったときだけほめる
良い子のフリ 本当の姿をさらけだせない 自分はダメな子
裏と表 悪い時にほめるのは難しい 皮肉になる
関係なくほめるのは 仏に参るときだけ
神は? 仏の前に手を合わせるのは お願い事をするためではない
うまくいかなくても 怒らない 本気では信じていない 欲がそこに見える

仏に手を合わせる なにが突きつけられるか
本当のこと 真実 不都合な真実 半分は嫌なこと
それに向き合うには正直にならないと それは大切なこと できたときにはうれしい
本当の自分に気がつかない ダメな部分を否定する
100% 完全な子どもを求めると ほめられなくなる
完璧を求めると できないところ だめなところを見つけようとする
どこまでいっても追い立てられる

親鸞の前で 私は真宗門徒だと言えるか?
自信はやっかいなことだが どうなったら手を上げられるのか
なにがいるのか どうなったら胸を張れるか
生まれでは決まらない
信心がはっきりしている人? それでは懐の小さい教え

自分が門徒になりたいか 自分がそうしたいか
自信がないからそうしたい そうでありたい
菩提心 そうでありたい 形を持って現われる 念仏
声に出す 極楽浄土は遠いところにある 阿弥陀経
遠いけれども 行く先々で諸仏がいる
極楽へ行く道が楽しい 周りにいる人と仏として出会える
憎みあっているが その息子に背中を押されて寺に来る
揉め事のない家族はどれくらいあるか みな家族で困っている 苦しんでいる
家族を大事にしろと言われると苦しい
仏法に出会える 仏の働き この子のおかげで出会える 極楽に行こうとしたときに始まる
関わりが変わる 極楽に行こうとしたら道のりが違ってくる
仏に出会っていく道を教えてもらうことが何事にも変えがたい

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