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2009年02月28日

●3月の予定

2日 第11組共同研修会 講師 辻俊明 会場 カミール
3日 真宗教学講座 講師 三木彰円 教務所
5日 教区御遠忌記念出版会議 内容「富山の廃仏毀釈」 教務所
6日 北陸連区解放運動研修会打ち合わせ
9日 第11組解放運動研修会第二回 講師 柴田秀昭氏 テキスト「仏の名のもとに」 会場 玉永寺
10日 華の会(第13組若坊守会) テキスト 御文 会場 明栄寺
13日 安田理深「真仏土巻聴記」読書会 会場 野々市 常讃寺
18日 第11組同朋の会 テキスト「観無量寿経ガイド」
25日 前進座公演「法然と親鸞」 魚津 ミラージュホール
26日 第11組教化委員会  教区得度研修会
28日 午前 お講  午後 玉永寺同朋の会 テキスト 正信偈

●初お講

天候に恵まれ 約30人の参詣がありました
同朋新聞2・3月号に連載された
「東京ボウズバー」田口弘さんの記事を読み合わせつつ 法話をおこないました
「勝つために 生まれてきたわけではない 負けるために 生まれてきたのでもない」
いい言葉ですね

春の日差しのなかで お斎をいただきました
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写真はお講当番の方々です

2009年02月21日

●浄土真宗青年僧侶連絡協議会第21回全国大会in高岡

19日 雨晴温泉「磯はなび」にて KNBニュース(動画あり)

開会式挨拶 飛鳥寛静氏
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村上春樹「エルサレム賞」授賞式講演から
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」
この言葉を引用して挨拶されたのが印象的でした

ハンセン病問題基礎講座
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スタッフによるパワーポイントをつかってのプレゼンテーションです
日本のハンセン病政策の特殊性 真宗教団とハンセン病問題の関連について
簡潔に適切に分かりやすくまとめられており 非常に完成度が高いと思いました

阿部智子さんの講演
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以下は聞書です 文責は流星に

私は昭和31年に壁の中に入れられた 人生を歩き出す前に らい予防法の隔離の壁に道は閉ざされ 53年という年月がたってしまった
差別偏見に家族ともどもさらされ 生きてきた 恐れる必要のない病気なのに 偏見を増幅させた強制隔離は国による犯罪ではなかったか 人権はだれもがもっている権利だがつねに関心を持ち意識していないと壊れていく
基本的人権というものを どこかで意識しているか 隔離されて仕方ないと 家族のために生きながら死んだような生活をしてきた 家族の平和だけは守らなければならないと考えてきた
人権は考えたことがなかった 差別されて当然だと考えてきた

母から学校へいかなくてもよいと言われた 「あなたは体が丈夫じゃないから」と先生に言ってきたと 私は母に言われるままに 人に顔を見せないように隠れる 毎日一緒に遊んだ友達がこなくなった それきり会っていない みな私のことを承知だったと思う

母が理解できないことを言う 仏様を信心しなさい 六年生の私に拝めと 身内の死によって 死ぬことはこういうことだと知ったが 信心なんて分からないに 自分からということはなかった 仏様を拝んでお経を拝んでいれば病気が治ると言われた なんの病気がわからないのに 朝晩拝んだ 治らない さまざまな薬を飲ませられる 苦しい いやだ しかし 母の苦しさ 心中を察して飲む 焼いた仏像の炭も飲んだ 3年9ヶ月引きこもらされた 楽しいことがない 本や新聞ぐらい 自分ひとりが自分の遊び相手

12歳のときに学校を休み 13歳のとき なんの病気かと理解し始めた 「らい」についての小説 白い布を巻いて奥の部屋に暮らす こういうことなのか 人に会っていはいけない この病気だと確信したときに 家族を救うためには死ぬしかない 死に方を模索する 理想の死に方がない 田舎で自宅で死ねば兄や姉の将来に災いとなるから 死ぬわけにもいかない 専門的な治療は療養所でないと受けられない 苦しいこと悲しいことを家族に言えない 死を覚悟したのだから 死ぬことにしようと療養所へ行く決心をした

棺に入って出て行くようなつもりだった 家にもう帰ることはない 16歳の春 ふるさとの景色を見て 花を押し花にして この世からあの世へ行くつもりで 自分を後押しした 母が信心しなさいと 結界で入れなくなる 父を探しに高野山へ入らせるという物語に基づく小さな仏像を持たせてくれた 母も療養所に行かせるというのは この世で会えないという思いがあった 寂しいときは仏を拝め 支度をしてくれた そのとき母の顔が膨れ上がった 天を仰いで 腹のそこから叫んだ のどを切り裂くようにして なにが起こったか 苦しい悲しい思い胸に 声となって出ない 私こそが泣きたい ふるさとを離れていく 泣くわけにはいかない 母は園まで付き添ってくれた 厚い壁の中からもう出られない 現実として迫ってきた 二度と家には帰れない

名前はどうしますかと聞かれた 変えて園名にするのか ここで死んだら解剖していいかと聞かれ ここで死ぬのだと思った 16歳 ここで死ぬのだ 病気を治す療養所ではない 一日目 仮収容所に入る そこからここが療養所ではなくて 隔離の収容所であると身にしみて覚えていく 

一日27円で働く 24時間介護 医者がすべき仕事を入所者がする 責任のある仕事も 知覚麻痺で冷たいのは分かるが 熱さ 傷は分からない ばい菌が入り 進行が早い 乱暴な処置をされる 手足の損傷が病気そのものと誤解される

休ませて 栄養を与えれば治るととも言ったし 大変な病気だから 入所勧告して手錠しても入れるべきとも言った 園長は二通りのことを言った 私が死んで園長に会えたら どちらが本当なのか聞いてみたい

別の会合があり 私はここまでしか拝聴できませんでした
「父を探しに高野山へ入らせるという物語」というのは謡曲「苅萱」にもなっている
石童丸物語のことでしょう
上の写真では そのときからずっと持っておられる仏像を聴衆に見せておられます

●第11組同朋の会

2月18日 上市 浄誓寺にて
御遠忌同朋唱和をDVDで実践
テキスト「観無量寿経ガイド」 水想観について講義

なぜ浄土を観るために 水を見るのか 浄土は水平な世界だから
水は氷 瑠璃へと変化する 浄土は定義できない世界だから
花 星 月 光明に満ち溢れた世界
「黄金の道」 浄土はゴールではない 歩み続ける世界
光の起こす風が「苦・空・無常・無我」を教える音楽を奏でる
仏教の根本概念を指し示す世界 それが浄土

●第11組解放運動研修会 第一回

2月17日 滑川 正楽寺にて 講師 柴田秀昭氏 以下は聞書 文責は流星 

平成12年より 中央の推進本部から富山教区に同和特別伝道をやるようにとの命令が発せられる 第11組が富山教区で最後に同和特伝を受けたが 言われたことをやれば終わるのではない それ以来11組ではこれまでなんとか差別の問題について確認しようと自主的な学習が続いてきた しかし「いまだに差別が今日もあるのだろうか」という発言があるほど 私たちの日々の生き様が曖昧なものになっている それを真宗の念仏者と言いうるのか そこまで問われる 私がこの世を生きる限り 念仏者としての最大の課題である これだけ学んだからよいというものでもない

かつては「同和学習」といってきた 「同和」は同情融和という戦前からあった国策としての政策から選ばれた言葉 しかし同和という言葉で取り組んできた歴史がある それをどう自分のなかで受け止めてきたか 「同信」 いかなるものであろうとも 他力の信心を旨とする行者 人格を尊びあう お互いの人格を尊重しあう そこに学習を深める 言葉の始まりは同情融和であったかもしれない 同化政策の一環のなかで出てきたともいえる しかし どうであれ この言葉で歩んできた歴史があった 「解放推進」へと名称が変わった その名称にしてもかつては そこに被差別部落という 差別を受けている人々の問題であるという認識が明確にあった それが置き換えられることにより 性差別 アイヌ民族差別 ハンセン病問題 身障者差別差別一般が混入した 「部落解放」という言葉もある それでも部落が差別されている現実に立ち 「解放」なら部落解放であるということを課題とした 解放推進といった時 解放一般論へと解消された そこに疑問を持つ

20年前 キリスト教において フィリピンでマルコス政権打倒を叫ぶ「解放の神学」が登場した 抑圧された人々が解放を課題にして立ち上がった マルクス主義だとバチカンは批判したが 大谷派の差別問題に視座を置いた人々が呼応する 解放真宗 解放の教学 解放一般論へ 部落解放は同じ日本人の中にある差別 アメリカ オバマ大統領の実現 アメリカ社会には黒人差別がある 差別という問題は日本に限らず世界にある 人種差別 人権宣言 人類の大きな問題 宗教者の世界会議において「日本には差別はない」発言あり 部落差別は昔の話だと 坊主は現状認識がないと糾弾 昭和四四年には難波別院での差別事件 宗教家として許されるのか そこで問われているのが 人間としてそうした人格を否定することがいい事かどうか

富山でのご消息塗布問題 真宗の門徒でありながら同じ門徒を差別した歴史 念仏者のしたこととして受けとめる 差別という問題はきりがない 古くて新しい問題 観無量寿経序分 センダラ 王舎城の悲劇 観無量寿経に差別の問題は出てくる 日本という国全体が 規制緩和 派遣制度 格差社会へ 農村の疲弊 貧乏人は大学に子をやれない 教育の格差社会 一般人の中から差別を受ける人が生まれる

自己中心的な考え方 我執 部落はなくなるのかと問われれば なくす努力をしなければならない 次々と新しい差別が生まれる それを問わなければ 次々と差別の問題が起こる 部落差別はなくなるのか 「先の見えないことをいつまでやるのか」という質問が出る ならば人間から我執がなくなるか 我がなくなるのか。煩悩の心がなくなるか ならばどうでもいいのか 親鸞 不断煩悩得涅槃 煩悩を断ぜずして 煩悩はなくならないから 煩悩はどうでもいいということではない 煩悩を断ずることができない 煩悩を断じえずという自覚がある 自己中心 我愛 煩悩はなくならない それを抱えているから野放しにしてはいけない 自分を課題化していくのが念仏者の姿勢

「同和学習をなぜしなくてはならないのか」という言葉を聞くと悲しくなる 社会問題として立ち上がるべきなのかと言う前に 私たち一人一人が我れ念仏者として立ちあがるならば無視できないということだ 現実を生きていないということだ このことが私たちにとって 念仏の教えが何であるかということを学ぶ糸口である 自分を振り返る 課題を深めていく

私からの解放 自己中心からの人間解放 解脱 縛られているものから脱皮する 信心をいただくことは脱皮すること 着ているものを脱がしてもらう 仏法は無我 財産 名誉 愛欲の広海 いつでも生きることは社会的地位 名声を纏おうとする みんな脱ぎ捨てる 大事にしてきたものを置いていかねばならない 死んでも持っていけるものがある それをはっきりさせる 信心を明らかにする 願いを大事にする 浅原才市が仏が燃えている夢を見た わたしは仏を否定している 仏に背いている 念仏者の姿勢 心を確かめる 悔いる心 懺悔 恥じる心 恥ずかしい私 一番尊いところ 恥ずべし傷むべし

歴史を学ぶ 社会運動をするというのではない 歩んでいこう 与えられた人生を 自分の内容として 大事なこととして同和学習を 死んでもよって立つところを学ぼう

人権思想 どんな人にも自由があるという意味で平等である 人間中心の考え方 人間主義 人間を信頼している文化 それに対して仏教は内観の道 物事を私の内に見出す教え 外面ではない それを徹底したのが親鸞 煩悩を断ずることができない身 さるべき強縁 縁があれば何をしでかすかわからない 念仏の教えを通して自分を見続けた 煩悩熾盛 それ以外のなにものでもない それをほっておけばよいというものではない 親鸞は自分ほど煩悩の盛んな人間はいないと言った しかし 親鸞ほど煩悩を課題として立派な人生を送った人はいない 懺悔 内観 自らの良心を誇るのではない 仏教が越えていく道がある 差別する社会を作るのはなぜか 私はいかに仏教徒でないか 内観の仏道 煩悩を凝視する親鸞 道を歩む 宗祖の精神に背きつつある私があった そこから同朋会運動は始まった

2009年02月20日

●お講チラシ

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2009年02月11日

●今日から「ごしょはん」

歴代門首からの手紙 「ご消息」のことです
富山にある3箇所の別院維持のために催される「お講」で読み上げるのですが
お講そのものの名称ともなっています
玉永寺からは近隣の5箇所を回ります
11日田伏 12日小出 13日中馬場 北馬場 14日佐之竹
私自身の「子育て」の現場から
命を育むということを題材にして お話しようと思っています