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2009年02月21日

●第11組解放運動研修会 第一回

2月17日 滑川 正楽寺にて 講師 柴田秀昭氏 以下は聞書 文責は流星 

平成12年より 中央の推進本部から富山教区に同和特別伝道をやるようにとの命令が発せられる 第11組が富山教区で最後に同和特伝を受けたが 言われたことをやれば終わるのではない それ以来11組ではこれまでなんとか差別の問題について確認しようと自主的な学習が続いてきた しかし「いまだに差別が今日もあるのだろうか」という発言があるほど 私たちの日々の生き様が曖昧なものになっている それを真宗の念仏者と言いうるのか そこまで問われる 私がこの世を生きる限り 念仏者としての最大の課題である これだけ学んだからよいというものでもない

かつては「同和学習」といってきた 「同和」は同情融和という戦前からあった国策としての政策から選ばれた言葉 しかし同和という言葉で取り組んできた歴史がある それをどう自分のなかで受け止めてきたか 「同信」 いかなるものであろうとも 他力の信心を旨とする行者 人格を尊びあう お互いの人格を尊重しあう そこに学習を深める 言葉の始まりは同情融和であったかもしれない 同化政策の一環のなかで出てきたともいえる しかし どうであれ この言葉で歩んできた歴史があった 「解放推進」へと名称が変わった その名称にしてもかつては そこに被差別部落という 差別を受けている人々の問題であるという認識が明確にあった それが置き換えられることにより 性差別 アイヌ民族差別 ハンセン病問題 身障者差別差別一般が混入した 「部落解放」という言葉もある それでも部落が差別されている現実に立ち 「解放」なら部落解放であるということを課題とした 解放推進といった時 解放一般論へと解消された そこに疑問を持つ

20年前 キリスト教において フィリピンでマルコス政権打倒を叫ぶ「解放の神学」が登場した 抑圧された人々が解放を課題にして立ち上がった マルクス主義だとバチカンは批判したが 大谷派の差別問題に視座を置いた人々が呼応する 解放真宗 解放の教学 解放一般論へ 部落解放は同じ日本人の中にある差別 アメリカ オバマ大統領の実現 アメリカ社会には黒人差別がある 差別という問題は日本に限らず世界にある 人種差別 人権宣言 人類の大きな問題 宗教者の世界会議において「日本には差別はない」発言あり 部落差別は昔の話だと 坊主は現状認識がないと糾弾 昭和四四年には難波別院での差別事件 宗教家として許されるのか そこで問われているのが 人間としてそうした人格を否定することがいい事かどうか

富山でのご消息塗布問題 真宗の門徒でありながら同じ門徒を差別した歴史 念仏者のしたこととして受けとめる 差別という問題はきりがない 古くて新しい問題 観無量寿経序分 センダラ 王舎城の悲劇 観無量寿経に差別の問題は出てくる 日本という国全体が 規制緩和 派遣制度 格差社会へ 農村の疲弊 貧乏人は大学に子をやれない 教育の格差社会 一般人の中から差別を受ける人が生まれる

自己中心的な考え方 我執 部落はなくなるのかと問われれば なくす努力をしなければならない 次々と新しい差別が生まれる それを問わなければ 次々と差別の問題が起こる 部落差別はなくなるのか 「先の見えないことをいつまでやるのか」という質問が出る ならば人間から我執がなくなるか 我がなくなるのか。煩悩の心がなくなるか ならばどうでもいいのか 親鸞 不断煩悩得涅槃 煩悩を断ぜずして 煩悩はなくならないから 煩悩はどうでもいいということではない 煩悩を断ずることができない 煩悩を断じえずという自覚がある 自己中心 我愛 煩悩はなくならない それを抱えているから野放しにしてはいけない 自分を課題化していくのが念仏者の姿勢

「同和学習をなぜしなくてはならないのか」という言葉を聞くと悲しくなる 社会問題として立ち上がるべきなのかと言う前に 私たち一人一人が我れ念仏者として立ちあがるならば無視できないということだ 現実を生きていないということだ このことが私たちにとって 念仏の教えが何であるかということを学ぶ糸口である 自分を振り返る 課題を深めていく

私からの解放 自己中心からの人間解放 解脱 縛られているものから脱皮する 信心をいただくことは脱皮すること 着ているものを脱がしてもらう 仏法は無我 財産 名誉 愛欲の広海 いつでも生きることは社会的地位 名声を纏おうとする みんな脱ぎ捨てる 大事にしてきたものを置いていかねばならない 死んでも持っていけるものがある それをはっきりさせる 信心を明らかにする 願いを大事にする 浅原才市が仏が燃えている夢を見た わたしは仏を否定している 仏に背いている 念仏者の姿勢 心を確かめる 悔いる心 懺悔 恥じる心 恥ずかしい私 一番尊いところ 恥ずべし傷むべし

歴史を学ぶ 社会運動をするというのではない 歩んでいこう 与えられた人生を 自分の内容として 大事なこととして同和学習を 死んでもよって立つところを学ぼう

人権思想 どんな人にも自由があるという意味で平等である 人間中心の考え方 人間主義 人間を信頼している文化 それに対して仏教は内観の道 物事を私の内に見出す教え 外面ではない それを徹底したのが親鸞 煩悩を断ずることができない身 さるべき強縁 縁があれば何をしでかすかわからない 念仏の教えを通して自分を見続けた 煩悩熾盛 それ以外のなにものでもない それをほっておけばよいというものではない 親鸞は自分ほど煩悩の盛んな人間はいないと言った しかし 親鸞ほど煩悩を課題として立派な人生を送った人はいない 懺悔 内観 自らの良心を誇るのではない 仏教が越えていく道がある 差別する社会を作るのはなぜか 私はいかに仏教徒でないか 内観の仏道 煩悩を凝視する親鸞 道を歩む 宗祖の精神に背きつつある私があった そこから同朋会運動は始まった

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