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2009年03月30日

●4月の予定

1日 ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山会議 西別院
3日 第11組共同学習会 講師 辻俊明 上市カミール
4日 誕生会打ち合わせ
5日 第11組誕生会 上市 西養寺
6日 安田理深真仏土巻聴記読書会 野々市 常讃寺
10日 五一会打ち合わせ 上市カミール
    ハンセン病問題ふるさとネットワーク富山総会・公開講座 西別院
13日~14日 女性会議 京都 研修道場
18日 第11組同朋の会 上市 浄誓寺 テキスト 観無量寿経ガイド
21日 第11組解放運動学習会 第4回 富山市人権啓発コミュニティセンター
    講師 吉田 樹 (部落解放にとりくむ富山県連会議事務局次長)
23日 華の会(第13組若坊守会) テキスト 御文
24日 組委員会
25日 玉永寺子ども会 歓送迎会
     玉永寺同朋の会 テキスト おつとめのほん 正信偈

●子ども会打ち合わせ

29日夜 玉永寺広間で 小出児童クラブ・玉永寺子ども会の打ち合わせがありました
送歓迎会は4月25日 卒業2名 新入1名 会員は16人
昨年度の反省 会長 会計の引継ぎなどが行われました
会の内容としてワークショップの要望がありました

2009年03月28日

●お講と同朋会

午前中はお講を開催しました
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前半は前住職 後半は私がお話しました
お斎の様子 30人の方々と楽しく会食しました
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午後からは 同朋の会 テキスト「おつとめのほん」正信偈 善導章
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阿弥陀仏が光明・名号を特徴とする仏であること 金剛心とは「たまわりたる信心」であることをお話しました
座談会は「悪人」について あるいは「おくりびと」の感想などをなごやかに話し合いました
会の再開に 20人もの方々が集まってくださいました ありがとうございました
来月から 毎月第4土曜日 午後2時から4時に開催します

2009年03月27日

●教区得度研修会

昨夜 30分時間をいただいて お話してきました
ほとんどの参加者が9歳前後でした
「しんらんさまはなつかしい」を紹介して 親鸞聖人の得度について話しました

とっかかりに「お寺はなにをするところだと思いますか」と質問してみたら
「おしゃかさまのお話をするところです」と答えるお子さんがいて
「おしゃかさまのお話って どんなお話だと思いますか」と聞いてみたら
「平和のお話だと思います」と返ってきました

内心 ちょっとびっくり ちょっと感動しました

2009年03月26日

●前進座公演チラシ

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2009年03月25日

●前進座「法然と親鸞」公演

本日 魚津ミラージュホールで公演がありました
法然上人と親鸞聖人のご生涯を 新鮮に見ることができました
1000人の入場があったということです 私は図書販売と搬入を手伝いました
写真はカーテンコールです
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2009年03月19日

●第11組 同朋の会

18日 テキスト「観無量寿経ガイド」地想観 会場は上市 浄誓寺

地想観の前半について 水想観で「地」についての形容は終わった上で
釈尊がさらに語っているのは 浄土を観る側の問題であり
観察される するということの両面を 示そうとしている
経文の通りに 常時 観を集中することは ほとんど不可能だが
これを そのままひっくり返して 光に満ちた「地」が こちらを照らす
手を合わす人の前に仏はいる という話をしました

しかし 参加者には もうひとつ伝わらなかったようでした
経文自体を 最初からこのように読むのは無理があり
この後の 観経の展開を踏まえないと 読み込めないのだと思います

地想観の後半は 「救われる」というのは 過去が救われることであり
過去との和解 「おくりびと」の最後のシーンを例に出して
自分自身を許すということであるという話をしました

●華の会(第13組若坊守会)

10日 会場は入善 明栄寺
御文 第二帖第一通「お浚えの御文」を手がかりに 女性差別についてお話しました
三不浄 三穢などの差別観の形成と仏教との関わり
御文のおける差別言辞を 現代の私たちはどのように読むのか 儀式としてどのように扱うのか
私の意見を話し 歎異抄第12条の言葉を紹介しました
学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身にて往生はいかがなんどあやぶまんひとにも、本願には善悪・浄穢なき趣をも説ききかせられ候はばこそ、学生のかひにても候はめ。
座談会では女人禁制や 日常生活とはどのような関連があるのかといった話題が出ました

●第11組解放運動研修会 第二回

9日 玉永寺広間を会場に 上記の会を開催しました
講師 柴田秀昭氏 テキスト「仏の名のもとに」にもとづき
社会を中心に考える儒教と 仏教は本来違うものであるが 大きな関わりをもち
部落差別の形成に役割を果たしたというお話でした
熱気あふれる講義で 質問が相次ぎ 30分延長となりました
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2009年03月15日

●玉永寺同朋の会はがき

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2009年03月08日

●第11組解放運動学習会日程

第2回学習会 日時 3月9日(月) 午後2時~4時
会場 水橋小出 玉永寺広間
講師 柴田秀昭
テキスト 「仏の名のもとに」

第3回学習会 日時 4月21日(火)
カミール駐車場に集合 適時車に分乗し 午後1時半までに出発
午後2時 富山市人権啓発コミュニティセンター(富山市田中町4丁目)到着
講義 吉田 樹 (部落解放にとりくむ富山県連会議事務局次長)
午後4時頃終了 午後4時半にはカミール駐車場で適時解散

第4回学習会(最終回) 6月23日(火) 午後2時~4時
会場 カミール 3階
講師 訓覇 浩 (真宗大谷派解放運動推進本部委員)
終了後 講師を囲んで懇親会 会費会場未定 希望者のみ参加

2009年03月07日

●擦り切れた御文

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「もうボロボロになっているので新しいものにしてもらえませんか」
経本やお勤めの本について 時々 このように言われることがあります
確かにもう使えないくらい痛んでいるのですが たとえばこの写真の御文のように
めくる部分が擦り切れていることが多いのです こちらなどは穴が開いてしまっています
お聞きしてみると 先代のおじいちゃんが 毎日 これを使って お勤めをされていたそうです
歴史・史料的価値はないとしても 先人の「手」が覗えるということを お話するようにしています

●お講チラシ

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2009年03月02日

●第11組共同研修会 第1回

講師 辻俊明氏 会場 カミール 以下は流星の聞書

「帰する」 重い言葉 捨てて帰す 何を捨てて どこに立つのか
やめて別のことをするということではない
だめならこっちというように移り変わるようなことではない
捨てるというのは 打ち込んでいたからそう言える
捨てるものがはっきりすれば 依って立つものがはっきりする
「捨てる」と「帰する」は対応している

無間地獄は往生要集に「われ今帰する所なし 孤独にして同伴するものなし」とある
精神的な状況が地獄である
戦争で地獄を見てきたとも言われる 地獄はいろいろな場面で言われる
平生の心とは違う 戦争時の人間の心の むき出しになった姿についても言われる

「同伴するものなし」心を許し語り合える 生きてきたことを悩み願いを共にする人がだれもいなかった
それが地獄 私たちはそれを痛みとして語ることさえ忘れている?

「本願に帰す」というのは 個人的な体験というより 共に歩んでいける道があったということ
「流転輪廻」 依るところ 帰するところがない それが 私の現実の姿であることがうなずかれる
「疑情」本当のことに触れていないから そのときの教養を振り回す自分
その元になっている我執に目が開かれていない
「真の知識」にあうことによりうなづかれる
「難中の難」出会いが少ないとか 遠いところにある とも受け取られるかもしれないが
いつも会っていても その人にあえていない
自分を問い詰めてくる人は 怖い 足がすくむ
重い言葉 キーワードを言ってくれる 自分を照らす 立ち止まらせる言葉を言ってくれる人
憶念する言葉 響く言葉に出会うことが 人に出会うということ 先生の奴隷になるのではない
私はもっと明るく悩めないかと師に言われたことがある 互いを比べて 悩みを比べてもしょうがないと
悩んでいけるものがみつかったときに 悩みは 軽くならないかもしれないが 引き受けていけるということがある
曽我量深の言葉「悩まされているというのは無自覚である 悩むというのは自覚である」
被害者意識に苦しめられ 私ほど悩みの尽きないものはいないと仏法に逃げ道を求めるということがある 
「千の風に乗って」アメリカ原住民の死生観 だが私たちの人生観にはならない
なぐさめ 素朴 なにもかもが一つの命に生きている 素朴な形の死生観 しかし情緒的なところでは終わらない
自分はどこへいくのかという感情があるということは踏まえておいて
そこから 私はどこへ行くのか 私はどこへ行きたいのか
他人事ではない そこが仏教 あなたは腹の中に何を持っているのか
それが分かれば どこへ行くか分かる そんな綺麗なところへいけるはずがない
「流転輪廻のきわなきは」他人事ではない 自分の心の動きの中にある
「後世を祈る」人間的には深い感情 どこへ行きたいのか 極楽へ行きたい
ならどうしたらいいのか 実際には何を持っているのか
それによって行き先が決まるなら ろくなものしかもっていない
「弥陀をたのめ」とは 悪いことがあっても気にするなということ?
自縄自縛する意識 自力の計らい 自分のおろかさ 至らなさ 煩悩熾盛と知ってしんどくなる

法然と弟子の会話
念仏をしていても心が散る 一心に念仏申せというが どうしたものか
「源空も力及ばず」 それをどうしたらいいのか 本当の念仏にならないのでは
「散れども み名を称すれば 仏の願力に乗じて往生すべし」
人間に生まれたものには散る心がある 散る心をなくしてというのは筋が通らない
散る心のままに念仏を称えよ

法然の放つ光明 はっきりしない悩める人に対して
その心を照らすように明らかにして 念仏を勧める おおらかに 鋭く

散る心のままに もっと大きな世界に開かれていく
機を攻めるだけでは 自縄自縛
状況も根性も変わらないが 自力の世界が破られる
どうにもならない自分が見えてくる それを「自力のはからい」と言う
この因縁の世界は 思いを超えている

横超 本願を憶念して自力の心を離れる