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2009年05月16日

●第32回北陸連区差別問題研修会

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14日・15日 富山教区主催 呉羽ハイツで開催しました 参加者100名余り
講師 園田久子さん(福岡県人権研究所理事) 宋連玉さん(青山学院大学教授)

園田さんは占領時のRAA(特殊慰安施設協会)と引き揚げ者への性被害について
そして性差別について学ぶことの意義についてお話されました
宋さんは 朝鮮半島での慰安婦制度とその歴史的意味を
証言者を探す旅なども含めてお話されました

私はスタッフとして パソコン プロジェクターを操作し 全体座談の司会をしました
以下 園田さんの講義メモを 編集整理したものを掲載します 文責は流星にあり

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人はいじめも差別も殺しもする してきたし している
「しない」と言っても 人は状況によって変わる
戦争は最大の人権侵害 殺す人が神様になる
欲望のすべてが閉じ込められて 抑圧される状況
しかし 戦場へ行ってから 私を殺してくださいとはいえない
ならば非人間的な状況を作らない 判断と力を養う
「差別が駄目 殺しが駄目」と言うのではなく
人は状況によってどんな風にでも変わるから

女たちの悲しみと慟哭の深さを伝えなければ 戦争を語ったことにならない
若い世代にどう伝えるのか 隔絶した距離をどう越えるのか
積み重ねがいる 日本がなにをしたかを伝えないと 日本だけが被害者となる
学びからこそ非人間的な状況を作らない努力ができる
私たちは 毎日が差別的であるのが普通
日常的だから差別性を意識することがない 格差社会の味噌漬けに漬かっている
差別心 刷り込みは 見抜けない だから禁句指導ではダメ
見えないもの すりこみ 差別心 それを壊していかなければ

逆に 見えないものが大事 ゆさぶり 気づきがないと 次へと進めない
見えないものに気づいて考えつくす それを言葉にしていくのも見えない力
考え尽くしていくこと 分かるとは生き方が変わること
自らを自ら閉じる見えないものの根深さ それをゆさぶるのも見えない力
自分も自分を歪めている 社会 制度 そして自らも差別を助長する
与謝野晶子「女性解放の最後の課題は己の無知からの女自身の解放」

我々は加害者意識のねじれたもの マイナスの歪んだものを持っている
性の加害被害を学ぶのはは入り口 そこを抜けていくときは
人間にとって性とはなにか? という問いが生じる

国家が権力を使っても止める事ができなかった事がある
それは戦場でも 男と女が愛し合うこと
加害被害を学ぶことを入り口として
それから性愛とはなにかということへと 抜けていきたい

性とは何か 自然を受け継ぐ 条件である
ただし生まねばならない 結婚しなければならないということではない 選びである
発想がずれると差別 排除が始まる 母性 生殖の強制
人格としての性として 人間は感じる 考えることを止められない
意識をもつ動物 考えをやめられない生き物 だから憎しみも持つ
性は多様性 性でない人はいない 自分自身が対象になる

戦場 ハンセン病を学ぶ対象とするとして
自分にとって 関係ない事として ただの研究材料とするのは嫌
人権侵害 差別は なくするもの
性は対象化しにくい プライベートではじまってプライベートで終わる
しかしそれだけだと 女性差別は存在しないはず
社会的歴史的なものだから差別が生じる
性は自然から与えられたが それを人間は意識的存在だから
プライベートであると共に歴史的社会的現象とする
性は存在の根っこ 大切であるなら なぜ 男性は差別する? 女性は差別される?
性の自然さが徹底して利用されてきた 有事の行き詰まりには女を提供する
国策政治に絡め取られてきた それをどうしたら奪い返せるか
歪められて 刷り込まれてきた 向こう側に取られてきた
だから 自分を 性愛を刻々と奪え返す
脱ぐ 剥ぎ取る 脱ぐように着る 脱ぐことが豊かになる
日常から考える 今の現実まで 言葉を引っ張っていく

自分の性を問い始めることは 遠い存在へ歩み続けようとすること
思想とは 遠いものを組み込む力
「いしかわらのつぶて」「屠沽の下類」と呼ばれた人々と親鸞は違う
けれども遠い存在へと歩き続けて 言葉にし続けてきた そこまで親鸞の言葉が届いた
親鸞自身が屠沽の下類であるという自覚「われら」
今度は人々をひきつけてやまないところまで 言葉が届いた
思想は自分から一番遠いところにあるものを汲み取る力

男女には数千年のすれ違い ずれがある その苦しみを共に生きるのが浄土
一緒に痛むのは無理 隔絶を生きている
女性の痛みと感動が男性に分からないのは事実
しかし そこに座っていいのか?
生むことが性とすれば 男は排除される 産めない女も排除される
国が介入するだけでなく 自らがそう思っている
与謝野晶子 子どもを8人も育てる
それでも「女は母性によってのみ生きるのではない」と主張した
生むなら男も生むのだ 命は両性で生んで育てる

男女には長くて深いズレがある
だから お互いに少しは大らかになりあう関係になろう
ズレを埋めてくれる思想は存在しない
最後の課題 多様さを許しあって 多様さを前提として開き合っていく
おおらかに

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