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2009年05月26日

●教区住職総合研修

講師 渡邉晃純氏 講題「真宗の仏事の願い」 座談会司会をしました

以下は聞書ノート 文責は流星にあり

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「宗門各位に告ぐ」 危機感 いまどうだろうか
60年安保の際 親鸞をとるのか マルクスをとるのか 問いをもらった
大谷家 当面の行いについて NOをつきつけた
訓覇総長 本当の危機は本山問題が収まったときにはじまる
正常化するとはどういうことか 教団事件ではなく 教団問題である 問題は残る
教団は民衆に応えることをしているのか 正常化は本来化のためにやっているのだ
「宗門各位に告ぐ」 今日の宗門も状況は変わらない より厳しくなっている

真宗は報恩講教団と言われていた
実如の整理した御文 三帖目九通 命日は明日である 亡くなった方からのプレゼント
真宗の生活 信心獲得するとはどういうことか 日ごろの心 弥陀の智慧をたまわり 迷心をひるがえして 文明7年 加賀の門徒の一向一揆 富樫との戦いと同時期の御文 深い願いがある 信心獲得の一点をはずしたら すべては世俗のことである

報恩講教団 すべての仏事は 信心獲得が語られていく場とされていた
報恩講の参詣が少なくなっている その一方でお盆には満堂になる
それを習俗であるとしてきた「真宗門徒一人もあらじ」
江戸時代は寺請け制度があった 証文を使い法事法要の義務付けを行った
「坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い」僧侶は民衆の思想を監視する立場にあった
徳川幕府 秩序を大事にする 身分制度 士農工商
寺にいるものは 隣の寺がなにをしているか関心がある 遠くには関心がない
変化には神経過敏である やるべきことがあるのに秩序を乱さないことに最大限に配慮する
穂積八束「祖先教は国体の基礎たり」僧侶は自らの存在を反省することがなかった
秩序を重んじる 宗旨替えは許されない しかし女性は自由だった

信仰の自由の時代
いまのままでは非真宗門徒 反真宗門徒を拡大再生産しているのではないか
儀式が仏事と離れているのではないか 悼む行為がなければ 動物に帰る 文化がない
人間らしさが溶けかかっている 葬式は人間であることの具体的表現
僧侶がしっかりしてもらわないと困る 人間が崩壊するという危機感
真宗は民衆に仏事を開放していった 仏と民衆はなかなか相容れないものであったのを
蓮如が解放した 人間が人間になる道

経教は鏡の如し
先祖供養は双方向である こちらからの供養 同時に亡くなった人から問われている
救済と自証 双方向 仏事から仏法に出遇う
動物に帰るのか 人間は動物にもなりうる 人間性を保つのが仏事
我々の担っている課題 亡くなっている人のためにしていることが無駄ではなく
人間性を保つ 儀式を務めることは智慧を開発すること

人間のために生産がある 逆になっている 生産のために人間がある
搾取 非人間化されてる 文化を今創れるか
日本は貧しい 働くために食べるのではない フランスのように食べるために働くことが文化
ただ儀式を簡略化 省略するのは人間を否定する行為
どんな意味のある儀式をやっていくのか それが 問われていく なぜ法事をするのか

僧侶は自分の命を輝かせているか やっていることに生産性を見出せているか
寺はなにを売るのか はっきりさせる 仏教 寺ですべきことは何か
自分の立ち位置 どこに立つのか 葬式に意義をもってやれていないのではないか
そういう形で学んでいくべき 門徒から聞く 聞かざるを得ない
どういう儀式に どういう姿勢で臨むかの瀬戸際

職場から新宗教に縁がある 誰でも求めている 要求に合った宗教にご縁を結ぶ
悩みに答えることが既成宗教に出来ていない
法事という儀式の場が 仏事の場 仏に仕える場になっていない

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