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2009年07月10日

●「光華」(教区坊守会 会報)第44号原稿

 華の会(第13組若坊守学習会)にお話に行くようになって、5年余りたちました。故 佐賀枝弘子さんの後を受けて、正信偈からはじまり、和讃、回向、御文と、大谷派勤行本に掲載されているお聖教を中心に共に学ばせていただいてきました。佐賀枝さんは豊富な知識をお持ちで、いつも女性であること念頭に置いたお話をされた方だという印象を持っています。その会で私にどんなことが話せるのか、不安を抱えたスタートでしたが、参加者の方々に育てていただいたことに、感謝をしています。
 昨年の12月、「白骨の御文」についてお話し、蓮如上人が娘、見玉尼の死について書かれた「見玉の御文」を紹介したところ、座談会で参加者から御文二帖目第一通「お浚えの御文」についてのエピソードを教えていただきました。
 見玉尼は20代半ばで吉崎で亡くなられたのですが、蓮如上人と共に「多屋内方」たちも、念仏を称えつつ往生された様を看取りました。その一周忌に書かれたのが「見玉の御文」であり、その死をきっかけとして、多くの女性たちが吉崎での教化活動に主体的に関わるようになりました。それから報恩講お七夜が終わった翌朝、11月29日の勤行において女性を対象とした「お浚えの御文」を拝読することが始まったというのです。感ずることの多いエピソードで、参加者の中から次のテキストとして「御文」をさらに読み進めたいという要望が出て、私もそれをお受けすることになりました。
 それから私は悩みました。思い起こせば、佐賀枝さんが「あさましき女人」といった表現を深く読み込み、わが身の苦悩を聞き取ったと話されていたのをお聞きした記憶があります。しかし今、これに対しては女性差別ではないかという議論を呼んでいます。現代の女性に「御文」についてどのようにお話したらよいのか。
 3月の会で、私はあえて「お浚えの御文」を取り上げ、女性を貶める表現が使われる背景と現代につながる課題についてお話しました。仏教以前から存在したヒンズー教からの影響、仏教が経由していった中国儒教からの影響、立山信仰に登場する血の池地獄(赤穢)との関連、御文教化がもたらした女性への差別意識、そして明治維新以後も、兵士となる男性を補佐するべきものとして位置づけられた女性の立場。
 蓮如上人もまた、時代の差別意識の中にいたけれども、女人往生を課題とされたからこそ「女人の身は、十方三世の諸仏にもすてられたる身にて候うを、阿弥陀如来なればこそ、かたじけなくもたすけましまし候え。」と書かれたと話しました。
 そして、蓮如上人の写本によって現在に伝わっている「歎異抄」より「学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身にて往生はいかが、なんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、学生のかいにてもそうらわめ。」(第12章)を紹介し、これこそが私たち真宗門徒の基本線であるとしてお話を終えました。
 佐賀枝さんなら「お浚えの御文」についてどのように話されたでしょうか。自覚の言葉として読み込まれたかもしれません。しかし、こうした言葉を「いいおどろかす」、他者を抑圧し差別するために使ってはいけない。歎異抄が「法の魔障なり。仏の怨敵なり。」とまで歎異された内容を、現実の生活の中で、私は確かめていきたいと思っています。

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