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2008年07月15日

●華の会

十三組若坊守会 御文五帖目第一通について話す

蓮如の生涯と功績 御文の構成について説明
聖覚「唯信抄」によって 諸行往生と念仏往生の違い 法蔵菩薩の物語をおさらい
大経 第十八願の因願と成就文を確認
親鸞独自の第十八願の読み方を紹介

坊守さんから一帖目第三通についての質問がでる
聞けば 漁師さんのお講で読み合わせるそうだ
生活と深く結びついている真宗の営みに触れることができた

まず、当流の安心のおもむきは、あながちに、わがこころのわろきをも、また、妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよというにもあらず。ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟、すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどいぬるわれらごときのいたずらものを、たすけんとちかいまします彌陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、彌陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもうこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあずかるものなり。このうえには、なにとこころえて念仏もうすべきぞなれば、往生はいまの信力によりて、御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもいて念仏もうすべきなり。これを当流の安心決定したる、信心の行者とはもうすべきなり。あなかしこあなかしこ。 文明3年12月18日

2008年06月30日

●等通寺 正信会

先々代の御住職の頃に始められた 地域の聞法会
現在も継続され 30人ほどの参詣がありました
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上の絵本を使う「私たちの釈尊」と名づけた法話をお話しました

2008年04月19日

●組同朋の会

阿弥陀経についてのお話を終え
今回から観無量寿経を読むことになりました

耆闍崛山から王舎城へと 舞台がいきなり切り替わるわけで
聞き手が経典には珍しく女性であるという点においても
改めて観経というのは 実におもしろくて
ドラマチックな内容なのだと再認識しました

座談では さっそく 家庭問題や死刑制度についてなど
現代の私たちが直面している課題からの問いかけがありました

「阿弥陀経や無量寿経の聞き手たちとは違い
 耆闍崛山には私たちとはかけ離れた人たちだけが集まっている」
そんな感想をおっしゃる方があって 鋭いなぁと思いました

新しいテキストを準備中です
これからの展開が楽しみになってきました

2008年04月17日

●13組華の会

下の内容で聖徳太子についてお話してきました

話しながら気づいたのは
聖徳太子は男性で その本地である観音菩薩は女性で
いずれにせよ 有情を護持養育する「親」というイメージを
親鸞はもっていたんだなぁ そして

「護持養育」は化身土巻の末法灯明記から
「無戒名字の比丘」とセットで出てくる言葉であって
延暦寺の最澄に 法難関連でこういうことを語らせるというのは
皮肉なのか もっと広い心でものを言っているのか
親鸞はどういうつもりだったんだろうかなぁ と思いました

2008年04月14日

●聖徳太子

17日に「皇太子聖徳奉讃」について話します
聖人は法然の伝記「西方指南鈔」と同様に、
晩年に聖徳太子の和讃を集中して製作されたと言われています。
これまで これらの和讃をどのように捉えたらよいのか分からなかったのですが
最後の和讃の「護持養育」が手がかりになりました

聖徳皇のおあわれみに
護持養育たえずして
如来二種の回向に
すすめいれしめおわします

「護持養育」と言いますと、化身土巻の大集経からの引文に頻繁にに出てくる言葉です
そのあたりは、藤場俊基さんが著書で
「無戒名字の比丘」や法難との関連を指摘している箇所

吉水教団を弾圧した権力者は いかなるものを仏教としていたのか
それに対して親鸞の時代に聖徳太子信仰を支えたのは いかなる人々であったか
このように考えれば かなり整理して 聖徳太子の和讃について語れそうです

2008年01月18日

●組同朋会

テキスト阿弥陀経で いよいよ流通分に入る

経典構成の解説 本文の説明
金城幸子さん講演を紹介し ハンセン病差別の実態を話し
釈尊は「平等・対等」ということを体現した人物であったこと(藤場さん新刊受け売り)
阿弥陀経の「ただ念仏」の教えは「平等・対等」を具体化する方法
だからこそわれわれ悪衆生にとって 男女老少を言わない法は
「難信の法」と言い表わされるのだ
このような展開でいきました

「難信」というと 「たまわりたる信」であって「自力の信」ではないから
という問題もあるのですが これは大事な問題ですが
阿弥陀経でこのことを話すことはできるのか 整理できていないので
来月 阿弥陀経最終回までに宿題にしました

阿弥陀経の次は 「現代の聖典」をテキストにして
観経についてお話しすることになりました

2008年01月01日

●修正会

御門徒さん 御近所の方々に
多数 参詣いただきました
心から御礼申し上げます

2007年12月21日

●真仏土巻輪読会

昨夜 野々市 常讃寺にて
参加者8名だったかな
熱気あふれる場所で大好きなのですが
話された内容 どうも まだ 整理できていません

ゲットしました

2007年12月17日

●難信

18日は組同朋会

テキスト「おつとめのほん」 阿弥陀経 流通分に入る あと3回で終了する心づもり

この本の第十九講、第二十講を読み込んで
自分の言葉として「難信」あるいは「善知識」についてお話したい

2007年12月11日

●華の会 本番

恵信尼文書の現代語訳プリントを持参して 行ってまいりました
「生死大海の船筏なり」
ほら 映画「タイタニック」でデカプリオが沈んじゃったでしょ あの情景ですよ!
なんて 調子に乗って話し終えたのはよかったんですが
「善知識に出会えないと ダメなのですか」
「教えを学ぶということも 雑行雑修なのですか」
直球ストレートの質問に たじだじとなってしまいました
なお ネットで質問されても答えませんから
リアルでないと わたしゃ 答えません

2007年12月10日

●華の会準備

明日は「華の会」第13組若坊守会にお話しに参ります
大谷派勤行集に収録されている和讃を読んでいて 今回は正像末和讃
<第三十一首>
無碍光のみことには 未来の有情利せんとて
大勢至菩薩に 智慧の念仏さずけしむ

<第三十二首>
濁世の有情をあわれみて 勢至念仏すすめしむ
信心のひとを摂取して 浄土に帰入せしめけり

<第三十三首>
釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

<第三十四首>
智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし

<第三十五首>
無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

<第三十六首>
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず

やや迷いがあるのですが 勢至菩薩を法然上人と重ねて読もうかと考えています
末法の時代に師に会えた喜び
しかし師は 崇拝の対象というよりも
念仏の道を教えてくれた人 如来よりたまわりたる信心をともに喜んでくれた人
このあたりを 「たまわりたる信心」の話 恵信尼消息三 歎異抄第二章 恩徳讃などで
彩ってみようかと思います

報恩講で恩徳讃を なんどもなんどもお勤めしています
以前は なんのことやら分からずに称えていたのですが
生きていることの歓びであり 生まれた意義 人生との和解の発露です
恩徳なんてすぐに忘れてしまうとか せせこましいこと言わんでもいい
称えることをためらう 必要なんてないんだな

このごろ そんなふうに 思うようになりました

2007年11月28日

●いとこ煮

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大根、里芋、人参、こんにゃく、小豆が入っています 味噌仕立て

金沢のカボチャと小豆の煮物の「いとこ煮」を記事で見かけますが
このあたり(富山県東部?)のものとは まったく違いますね

2007年10月17日

●常讃寺輪読会

昨夜 9人の参加がありました

安田理深「真仏土巻聴記」を読んできたのですが
その前に真仏土巻自体を輪読し始めたのが
段々そちらの方に重点が移ってきているような気がします

昨夜は玄義分からの引文 「是報非化」
弥陀の浄土は報土であり化土ではないという部分でした
仏身仏土を光の働きとしてぎりぎり形容することはできるとしても
人が形容すれば すべては「色」で形容されている以上、化土でしかありえない
しかし報土も化土も、人の為に表現されたのであって
仏の大悲から生じているということですから
そこを離れたら、なにがなんだか分かんなくなっちゃいますよ
って感じでしょうか

浄土とは何か、というテーマについて直接、論じていて
ここが読めれば かなりすっきりする
ここを受けて化身土巻が開かれていくんでしょうね
だから すごく大事なところだったと思います

藤場さんの関心は論註に行っているようで
真仏土の輪読が終わったら もっかい最初から読んでもいいけど
論註と真仏土巻聴記を平行して読んでもいいんじゃないでしょうか

次回は12月20日

2007年10月02日

●今日の法話

オレ流 親鸞聖人のご生涯

真宗宗歌と三信

「しんらんさまはなつかしい」 「報恩講」とは

両親との別れ 出家 比叡山の修行

赤山明神 吉水教団へ

法然の出家 吉水教団とは 熊谷直実(蓮生坊) 平重衡  式子内親王

親鸞の結婚  選択集書写 信心一異の論争

法難 住蓮、安楽死罪 法然「この首切られるるとも」

流罪 愚禿釈親鸞のなのり 非僧非俗

越後から関東へ 善光寺 三部経千部読じゅ中止

いなかの人々との出会い 御同朋御同行 教行信証

帰京 善鸞事件 歎異抄第二章

「しんらんさまはなつかしい」

2007年09月19日

●組同朋の会

テキストは「おつとめの本」 阿弥陀経

六方段について 諸仏称賛 善知識とはなにかについて話す

「一心不乱」とはどういうことなのか そうなれるのかという質問がでる

三願転入 隠顕の義という言葉が喉まで出るが

それを言ってしまうと どうせ一心不乱にはなれない ということになりそうで

もどかしく 曖昧模糊と いろいろ言葉を重ねてみる

そこで「浄土とはどこにあるのか」という質問がでて 座談が盛り上がる

三願転入 隠顕の義というのは きわめて実践的な課題だったんだなと実感する

次回は 阿弥陀経で釈尊はなぜ一心不乱、実体的浄土を説いたのか

聖人はそれをどのように読み解かれたのか

正面からお話できそう だ

2007年08月26日

●ご意見ご感想をお願い申し上げます

合寺令事件と松本白華 ー教団の近代化ー(草稿)

今日は半日 この課題に取り組むことができました

まだ文章表現がおかしなところもありますが

ご意見ご感想をお願い申し上げます

2007年07月18日

●組同朋の会

テキストは阿弥陀経

今日は 倶会一処 執持名号 一心不乱

ある意味 阿弥陀経の核心部分でして

ずっと どう説明したらいいのか 頭 かかえてました

ここで文章化することもできない すごい複雑

親鸞聖人が あれだけ ごちゃごちゃ書いてるのが分かるというか。。。


終わった今も 気分が落ち込んでます


ふと 気がつきました

こんなにすごいこと すばらしいこと 聖人はいってるんですよーってことなのに

こんなあたま抱えてたら 聞いてる人たちも いやーな気分だったろうなって

よっぽど難しいんだろうなって 思われるだろうな


反省するならサルでもですが

そんなことに いまごろ 気がつきました とさ

2007年06月16日

●明日の法話 二席目

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる

善導「往生礼讃」より

「微塵」は聖人が挿入した言葉 「こまかなるちり」

「衆生」生きとし生けるもの

廣瀬たかし「罪悪深重」 食し、殺して成り立つ生

ジビ王の物語 いのちは平等

無数のいのちが訴えていること

法蔵菩薩の物語 「説我得仏 不取正覚」

「摂取して捨てない」 えらばず きらわず みすてず 竹中智秀

多くのジャータカ物語

ジャータカ→釈迦
法蔵菩薩→阿弥陀

そして釈迦が「摂取して捨てない」という働きを「阿弥陀と名づけた」

法蔵菩薩の物語の意味

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。

「そうすればこそ、腹も立ち、欲も起こり、どうにもこうにも始末のできない親鸞が、私一人を助けんがための弥陀の本願を明らかに聴聞され、長いあいだあなたを引きずりまわいて参りましたが、どうにもならない私が、どうもなって助かるんじゃない。どうもなれんままを引き受けたもうという、如来の本願に目覚められたそのときには、もうおのれ忘れてこんなやつめをようこその目覚めが、「至心信楽己を忘れて、速やかに無行不成の願海に帰す」。」祖父江省念

2007年06月02日

●高岡第8組同朋大会

終わった直後は、期待された内容とは違ったかもしれないけれども、
こちらの伝えたい事は話せたと、強気だったんですが。

帰りの車のなかで、反省しました。

はい、サルです。

また、あおさんからアドバスいただけたら幸いです。
スタッフのみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。

2007年06月01日

●戦争と寺院

 道綽と廃仏毀釈の関連を調べていたら、こういう記事を見つけた。

 道綽禅師は十四歳で出家されました。中国社会の混乱の中で、静かな深い教えをもとめ
て仏教に帰依されたことが出家の動機であったでしょうが、生活苦も理由の一つであった
といわれます。
 ところが、道綽禅師が十六歳になられた五七七年、北周の武帝は北斉を滅ぼして中国北
朝を統一し、仏教と道教の禁止令を発布しました。一部の僧は南朝に逃れたり、山深い地
に隠れたりしましたが、ほとんどの僧は還俗させられました。道綽禅師も還俗させられた
一人でした。
 北朝統一前の北周では、富国強兵策をすすめるために仏教と道教を禁止し、寺院やその
田畑を没収し、仏像などの金属品を鋳溶かして工具や兵器にし、僧侶は還俗させて徴兵し
て軍備を増強しました。仏教側から道安などが皇帝の前で廃仏の非を切々と説きましたが
受け入れられず、仏教を捨てることができない人々は身を隠し、衣食住に苦しみながらも
細々と教えを護っていました。

http://www.biwa.ne.jp/~takahara/
http://www.biwa.ne.jp/~takahara/shosin22DS.htm

 富山藩合寺事件の際にも、仏具と梵鐘が供出させられ、弾丸や大砲にされた。武器の倉庫や工場にされて、打ちこわしを免れた、寺の本堂もあった。明治維新の富国強兵の気運にのって、富山藩は軍隊の強化を目指していた。そこには仏教を貶め、軍国主義を民衆に対して示威していくという狙いもあった。

 「廃仏毀釈」の歴史には、こういう兵器との関連があるということだ。

 もしも、安倍首相から「美しい国、安全な国づくりのために、宗教者も痛みを分かち合っていただきたい。」と、仏具や梵鐘の供出を依頼されたら、いまの我々はどうするだろう。

 じっさい、玉永寺も梵鐘仏具を昭和に入って、国に供出している。梵鐘を供出する際には、鐘に衣を着せて、門徒とともに法要が勤められている。探せば、写真があるはずだ。彼らは「お国のため」と喜んでいたのだろうか、それとも悲しんでいたのだろうか。そして、ご存知のように、住職が二人、徴兵され、中国と南方で戦死している。

 玉永寺がこうした「縁」に遇っている以上、戦争という問題に無関心では、いられないと思っている。

2007年05月23日

●「不安に立つ」プレゼン

合寺事件の影響

明治憲法

信教の自由が
もりこまれる

仏教の近代化

大きな問題
をはらむ

仏教復興運動

石仏の建立

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廃仏毀釈は
なぜ起こった?

富山藩の財政危機

富国強兵

廃仏論

出世間主義
に対する

儒教・国学の攻撃

この世は
迷いの世界



修羅
畜生
餓鬼
地獄

六道輪廻の一部

仏教の目標

解脱による成仏

瞑想、学問、儀式、慈善、道徳。。。

様々な方法

それで
迷いを離れられる?

往生→浄土

「ただ念仏」

念仏は善根?

浄土ではなく

天上界を
目指しては
いないか



人⇔浄土

三願転入

久しく万行諸善の
仮門を出でて

ながく双樹林下の
往生をはなる

善本徳本の
真門に回入して

ひとえに
難思往生の
心をおこしき

しかるにいま

まことに
方便の真門をいでて

選択の願海に
転入せり

すみやかに
難思往生の
心をはなれて

難思議往生を
とげんとおもう

19願→20願→18願

双樹林下往生→
難思往生→難思議往生

第十八願でゴールですか?

果遂の誓い
まことに
ゆえあるかな

ここにひさしく
願海にいりて

深く仏恩を
知れり

自力が廃れたと
いうことではない

捨てられないという
悲歎のままに

内にありながら
外に走るものを

なお取り込んで
内に抱くという

広大無辺の
仏恩の随喜である

「不安に立つ」

2007年05月19日

●真宗と廃仏毀釈・法難

23日 小松へお話に行きます。
来年の富山教区法要において富山藩の合寺令、廃仏毀釈を取り上げることを紹介しようと思っています。
それで、なぜ明治維新のときに廃仏毀釈が起こったのかを考えつづけています。

明治政府の意向。どういう国づくりをしたかったのか。
そのとき仏教はどのように見られていたのか。
そして、真宗だから、弾圧を受けたと言えるのかどうか。
真宗教義は権力から危険視される内容をもっているのか。

そうなると、教行信証の成立と法難との関係も考えざるを得なくなるんです。
法難を受けて、教行信証が書かれたと、どういう点で言えるのか。
教行信証の中で法難は、なぜ取り上げられているのか。
教行信証があるから弾圧を受けるのか。
それとも全く関係はないのか。

23日までなにか結論は出せるだろうか??

このあたり、お考えを御持ちの方、コメントしていただけると幸いです。

2007年05月18日

●組同朋の会

テキスト阿弥陀経。

いつも当日まで悩みに悩む。

今回は六道輪廻(天)と往生浄土の違い。
善因善果、悪因悪果によって輪廻していくことを迷いと見定めたのが仏教。
いわゆる善根によってではなく、
ただ念仏によって輪廻の鎖を断ち切るのが往生極楽の道。
そして光明無量と寿命無量は「いつでも どこでも だれでも」。
光の性質についていろいろ語ったりしました。
混迷するかと思いきや、意外とすっきり話せました。

質疑応答座談もけっこういろいろ話が出て、
最後に床の間にかけてあった曽我量深「開神悦体」が話題になって、
「教えを理解しているつもりでも身体はどこか緊張したりしているもの
 本当に教えをいただいたならば体がよろこぶものです」
といった話を、会の長老のような方が切々と語られた。

なんかすごいなーと、拝聴してました。

2007年04月22日

●「しんらんさまはなつかしい」waveファイル

http://www.gyokueiji.net/blog/2007/04/post_521.html

4月9日 多磨全生園、和光堂での花まつりにて歌われた「しんらんさまはなつかしい」。
途中からですが、携帯で録音したものをUPしました。

http://www.gyokueiji.net/natukasii.wav

20日の13組若坊守会では、プロジェクターによるプレゼンテーションとあわせて
この歌を聴いていただきました。


全生園で「こころのみおや」「わがちち」として歌い続けられてきた「しんらんさま」。

私もその一員ですが、今の大谷派が「宗祖」としている「本願寺の聖人」。

そのギャップを感じています。

2007年04月21日

●育成員研修会

17日から19日まで研修道場で行われました。
講師は高田教区の井上円さん。
高田での行われている御流罪法要の熱気を京都まで運んでくださいました。
以下の太字は講義ノートの抜粋です。文責は私にあります。

三日間、さまざまな議論を参加者やスタッフと交わしてきました。
最終日、閉会式、やれやれと息をついておりましたら、参務挨拶が「『主上臣下、法に背き』という言葉について学んだと思うが、法難は聖人の生涯の一部に過ぎない。」からはじまり、愕然としました。
「「真宗聖典」の教行信証は何ページから始まっているかが言えなくては僧侶と胸を張って言えない」。
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」をテーマとした今回の講義は、いったいなんだったんでしょう。

参務挨拶と研修内容が噛み合わない事は、修練などで何度も経験してきました。それでも今回はかなりガックリしました。社会運動する僧侶は寺をないがしろにし、 自分自身を見失っているという趣旨のこともおっしゃったことでした。

以上、研修会参加についての感想でした。

高田教区の「御流罪法要」について。なぜ御流罪法要を大事にするのか。昭和31年に前回行われた。御流罪の地。親鸞の亡くなった日を機縁とする法要を大切にしてきた。聖人御自身が大事にした日。この日は忘れてもらっては困る。
教行信証の最後の文章。後序ではなく「流通附属分」と読みたい。
承元の法難。死罪流罪。赦免。法然の死。時間が逆転し、29歳、33歳で終わる。この出来事は念仏を大事にする人たちには忘れないでほしい。それが流通附属分の持つ意味。だからこの法要を一教区の事業と位置づけることはできない。それに多くの人が賛同してくれた。教行信証流通附属分を大事に思っている人は多いことが分かった。

御流罪は古い言葉。浄土宗、日蓮宗でも、流罪にあわれたところで使われていた。江戸時代の講本にもある。何か悪いことをして流されたのではないとする、門弟の気持ち。

第八章。大悲に生きる。法語はご消息と歎異抄が中心。

赦免 流通附属分 「予はそのひとりなり」 そのいちなり ひとつなり
なぜ許されたのか。遠流は死罪に次ぐ重い罪。許された理由は、法然の体調が悪かったから。法然を流罪にしたまま亡くなっては朝廷が困る。西方指南鈔。後白河上皇や九条兼実が心酔。法然は幅広い層に影響。朝廷は法然を処罰するかどうかを検討した。弟子が悪いのだから師匠に罪科を科する事はよいのか検討された。法然は甘んじて受けた。
流罪地は四国の土佐であったが、讃岐に変更となる。九条兼実の力。家臣が国司を務めていた。九条は4月5日に亡くなる。
三段階の赦免のされ方。まず讃岐に変更。12月8日、讃岐から摂津の国に変更。勝尾寺。口伝鈔によれば親鸞が教信沙弥を探した寺。5年ほどたって80歳になろうとするとき老いが加わってきた。老耄。西方指南鈔にでてくる。11月17日に勅免。法然に流罪のまま亡くなられたら困る。戒律を守り、智慧のある有名人。タタリがあるのではないかということを怖がった。嫌悪した。それで11月に勅免。同座したものも。反省して許したのではない、謝ったので許したのでもない。朝廷側の事情から。
京都に戻り、健康を取り戻すが、1月25日に亡くなる。西方指南鈔。

親鸞の越後時代について検証できる記録はほとんどない。唯一わかっているのは、勅免前に子どもが生まれたこと。明信。平雅行によれば、赦免前に子どもが生まれることをを許す国司は、親鸞に寛容、協力的。流人への対応は現地に任されていた。
親鸞は京都に戻らなかった。恵信尼は越後の豪族。関東へ行く、恵信尼はついていく。
この時代の人の行動としては変わっている。許されたなら普通は京都へ行く。関東へ行くというのは普通の人ではないということをあらわしている。婿取り婚。南北朝から嫁取り。恵信尼がついていくという事は考えられない。もし離縁となると生活する場所を失う。関東に行くことに、よほど大事な使命があった。恵信尼にはそれを信頼する気持ちがあったはず。
なぜ関東へ? こどもづれ。生活の保障があったはず。引き受ける有力者の存在。一緒に行く人がいた。親鸞の名乗りの持つ意味。

聖典400ページ「名之字」。「なのじ」と読んできた。しかし古い御伝鈔では「みょうのじ」と表記されている。「なのじ」では善信なのか親鸞なのか分からない。善信であると思う。親鸞はなぜそれは記さなかったのか。「善信」が罪名として使われたから。聖典398ページの「姓名(しょうみょう)」に対応する。姓は禿の字。名は名の字。
これは後の人への伝言である。私たちがきちんと読まなければ。
「善信」がそのまま罪名に使われた。「ぜんしん」ではなくて、「よしざね」。普通は「よしのぶ」と読むはず。源空は「藤井元彦」。「彦」は男。事件の元の男。

信を大切にしたのが親鸞。善信は大切な名前であった。聖典345ページ。如是の義。 選択集は三部経の確かめに終始している。書写を許され読み込んでいく中で、「綽空」ではこの本は受け止められないと思った。「善信」でなければならない。
その後、なぜ親鸞と名乗ったのか。「善信」を罪名に使われたから。法然が亡くなった。釈尊のような方。本師。天親と曇鸞の仕事、選択集の論を書く。仏滅後の仏弟子が、仏教と相応するのはどうしたらよいか。応答できるのか。それが論、論註の仕事。それをしようとしたのが親鸞という名乗り。三部経の了解に終始している選択集に対して、「親鸞」を名乗ったのは法然の死を契機として。「後序」ではなくて「流通附属分」。論をつくろうとした。京都ではこういう仕事はできない。しかし罪を許されたばかりの人間は書物を見せてもらえない。そういう状況のなかで関東を目指した。
選択集に応える様な論を書きたい。使命感。妻子をともなう。途方もない決意。

選択集の書写を許されたのは少ない。七人。この人がわたしの後をついでくれる。後のことを考えてくれる人ではないかということを見据えて法然は書写させた。亡くなってから版木となった。
法然の「没後起請文」。二か条。親鸞は西方指南鈔にそのうちの一条だけを引いている。載せなかったのは遺産相続の件。
「わたしの没後、弟子たちは、一つの場所に群がってはならない。かならず争いごとが起こる。」親鸞が関東へ行く理由の一つか。
「追善供養のためになにもするな。念仏だけにせよ。」しかし葬儀は天台的なものになった。

「浄土宗の人は愚者になりて往生す」
聖典603ページ。88歳。与えられた姓名は「藤井善信」。なぜ「藤井」なのか。前例主義。30年前の天台座主、明雲が後白河上皇によって流罪にあう。罪名「藤井松枝」。
しかし親鸞は「禿」を名乗る。愚禿。愚禿釈。姓は個人を示すものではない。自分だけの姓としたのではない。類。共通の姓。
禿は破戒者。その内容が愚。仏弟子が破戒を生きている。無戒名字の比丘。戒律を守ることが僧の基本。しかし、結婚している人はいた。聖覚、隆寛。妻帯は許された。しかし、建前としては戒律。親鸞は事実に戻して、破戒を生活の形態とする。破戒せずに生きていけない人と共に生きる。
供養されたものは食べていいのか? 現実の生活と矛盾する。人間として守れない。だから無戒名字の比丘を指針として行く。現実に即して。いなかのひとびと。そうした人々と共に生きる。それが愚禿。われら。
「一枚起請文」。亡くなる二日前の文章。浄土門の修行は愚痴に帰る。念仏一つ。
知者の法。「さかさかしきこと」。賢賢しい。念仏一つに定まって、念仏を生きる。
「往生必定すべし」。印可。「ものをもおぼえぬ」、記憶は文字を知らないとできない。読み書きが基本。念仏一つに定まった人たち。
「愚」。嘆徳文。愚禿鈔。聖典423の「賢者」は法然のこと。
いなかの人々と同じく愚禿の生活を送ろう。
ほほえみを通して、愚痴であることを忘れることが念仏から離れること。自分の中の愚かさ。ねんぶつひとつと定まること。愚かな身であるという反省と共に、人々と共に生きようとした。我々は、この言葉を指針にしなければと思う。門徒とは違うと、上に立ちたがる。

佐貫の三部経千部読誦について
恵信尼消息 619ページ。「まはさてあらん」 今はそうしよう。建保二年。関東では実朝が法華経、般若心経を読誦させる。京都で雨乞い。年貢減免。
親鸞も依頼されたのではないか。実実しく。衆生利益のため。
善導。355ページ、往生礼讃。「自信教人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報仏恩」衆生利益のためというのはおもいあがり。たすけられまいらすべし。歎異抄第二章。助けられなければならないのは私なのだ。共に弥陀によって救われるべき人間。
「弘」。普通の往生礼讃では「伝」。「礼懺儀」では「弘」。親鸞は後者を選んだ。私が弥陀に代わって伝えるのではない。信じる人が信じない人と共に救われる。

寛喜三年 二ねん6月9日、美濃武蔵に雪が降る。8月に京都で霜。大雨。季節が逆転。寛喜の大飢饉。寛喜3年。疫病。幕府が米を放出。餓死者。

人を助けるという思いあがり。助けられるという思いあがり。念仏ひとつを確認。人々と共に生きよう。上に立つこと、助ける立場とは念仏とはかけ離れたものである。偉くなったことではない、そういう縁に会うことができた。

「聖道門修行は智慧を極めて生死を離れ 浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まる」
八万四千の光明。八万四千は煩悩。摂取不捨の光明は人間の煩悩をみせることを内容とした光明。阿弥陀の光明は我々の眼で見れるものか。私が教えに触れて自分の煩悩を知った、それが光明が働いている事実。所照の自覚。自分の煩悩を知るということが照らされていることの中身。宇宙空間。遮るものがあって始めて光があることが分かる。
自分の煩悩を知ることに於いて、知らしめる光明に気づく。摂取不捨。
光をみたくてしょうがない。しかし、それは私にこういう煩悩があったのかとうなづけること。それを特別視してしまうとずれていく。煩悩があるとうなずける。自分に受け止めさせるのが摂取不捨の利益。
気づかせてくれたことをいただいていく。異常なことではない。ごく自然なこと。煩悩を見つめさせてくれるものに出会う。

聖典の言葉をちゃんと読んでいるということがこれまでなされていなかった。「藤井善信」。それが悪い意味を持つことを考えた人はいない。侮辱的意味があると考えたことがない。「名之字」、善信と書かないのはなぜかを確かめた人はいない。書かれたものを読む、拝読の仕方はあるとしても、意味を確かめることができていないと思う。穴ばかり。分かったつもりになっている。私は自分に得心が行くまで知りたい。

学ぶ事はいけないことなのか。こざかしくなるような学び方と事実を事実として受け止める学びは質が違う。

名づけられる。他人の願い、打算、思いが。意味が分からない。こたえきれない。
名乗り。自分で決めた。自分の中に理由がある。名乗ったことがないと分からない。
綽空は法然に付けられた。しかし、善信こそが適している。ところが善信を罪名にされる。屈辱的。
法然亡き後の課題として親鸞を名乗る。愚禿釈の鸞 禿は流罪を契機。

見下された人々が、本願に救われる人々なのだ。
元気を出す。生きて働いた言葉。愚者になりて往生す。
愚者、悪人と侮辱された人々が、そうではないと見直す基点となった。
侮辱された人々が、敬われていることに気づいていく。

「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」
関東だけに限るものではない。浄土宗、吉水の集いも含めて考えるべき。こういう姿勢が念仏するものには大切なのだ。親鸞に於いては、とすると矮小化。聖人だけは一人も持たなかった、他の人はよい、ではない。弟子を作るような広がりはおかしい。諍論が絶えない。念仏というものの教え自体がそういう性格のものなのだ。他の教えは弟子を作る。念仏はその感覚と違う。個人的な性格ではない。
こういう感覚がおかしいということに気づいていく。弟子を作るのではない。念仏を本当に喜ぶことにならない。偉ぶるものがでてくるのは専修念仏ではない。
それを気づかせたのは法然上人。七高僧の問題。そのもとは法然上人の浄土五祖。

先生に出合わなければならないという仏法ばかり。
出会っている人は感激が強すぎる。教えを自分の姿勢にしている人は少ない。
念仏は師を仰ぐ仏道。常に弟子。弟子の道を歩む。

2007年03月28日

●植木等さん

亡くなられました とても悲しいです

本日のお講は植木等さんと 植木徹誠さんのお話しをすることにしました

南無阿弥陀仏 合掌

2007年03月27日

●同朋会レジメ

信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、
「信心を獲得し、仏を見て、敬い、大いに喜べば、」

すなわち横に五悪趣を超截す。
○五悪趣 地獄・餓鬼・畜生・人・天。修羅が加わると六道。
 流転する迷いの世界。
○超截  切って超えてしまう。
「すなわち、よこざまに、迷いを断ち切ります。」

一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、
「善人も、悪人も、どんな人も、
 阿弥陀如来の本願の教えを、聞信すれば」

仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。
○広大勝解 よくわかった
○分陀利華 白蓮華
「仏は、「よくわかったな」と、おっしゃいます。
この人を白蓮華と名づけます。」

弥陀仏の本願念仏は、 邪見驕慢の悪衆生、
○邪見 よこしまな見方をもつこと。
○驕慢 おごり高ぶって見下す。また、そのさま。
「阿弥陀仏の本願念仏の教えについて、
よこしまな見方をもち、教えを見下す人々が」

信楽を受持すること、はなはだもって難し。難中の難、これに過ぎたるはなし。
○信楽 信じ、ねがうこと。
「信心を受け、たもつことは、とても難しい。
難中の難です。これ以上難しい事はありません。」

(補足)「聞信」について 涅槃経より

「信不具足」
 また言わく、善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといえども、推求するにあたわざる、このゆえに名づけて「信不具足」とす。
 信にまた二種あり、一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞より生じて、思より生ぜず、このゆえに名づけて「信不具足」とす。
 また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて「信不具足」とす。
 また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。因果あり、仏・法・僧ありと言わん、これを信正と名づく。因果、三宝の性、異無しと言いて、もろもろの邪語富闌那等を信ずる、これを信邪と名づく。この人、仏・法・僧宝を信ずといえども、三宝の同一性相を信ぜず。因果を信ずといえども得者を信ぜず。このゆえに名づけて「信不具足」とす。この人、不具足の信を成就す、と。

「聞不具足」
 いかなるをか名づけて「聞不具足」とする。如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じて未だ六部を信ぜず、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。
 またこの六部の経を受持すといえども、読誦にあたわずして他のために解説するは、利益するところなけん、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。
 またこの六部の経を受け已りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有のためのゆえに、持読誦説せん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす、と。