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2013年04月04日

●同朋会法話動画

3月30日のお話を動画にしてみました。不十分な点もありますが、試みとしてURLを張ります。

ここをクリックしてください。

次回は4月27日です。

2011年11月29日

●前住職 本山御正当参拝

28日早朝から前住職が本山に向かい、御正当にお会いしてきました。
大変な参詣者の数で御影堂に入ることはできず、阿弥陀堂でお参りしましたが、心から喜んでいました。
29日の動座式にもお参りしました。
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2010年09月30日

●第11組解放運動研修会ノート

講師 訓覇浩 文責は流星にあり

問題を学ぶのではなく 問題に学ぶ
ハンセン病問題になにを学ぶのか 一人一人で変わってくる
解放運動を学ぶことで 様々な問題が課題として位置付けられてくる

「社会を問題にしている人たちは 自分が問題になっているんだろうか?」
そのように問われることがある しかし真宗はそこにある
自己を問えと言う自分には 部落差別をする心がある 靖国という非真宗を受用できる
戦争を否定しきれない 問わなくてはならない自己そのものが 問題に照らされる
私と 問おうとしている自己が切り離されてしまい 違う自分を問うていく
社会から問われている自己を 受け止めきれない 受け止めない方向に進んでしまう

「靖国やっている暇がない 国を問う 教団を問う暇がない」
同朋会運動において 自己を問うことが 国を問う 教団を問うことと一つになっていなかった

「自己の差別性に目が向く 大谷派ほど自己批判する教団はない」とも言われる
なぜ 私は差別をしますと 簡単に言えるだろうか
自己に向き合っているようにみえるが そうだろうか 自己満足?

心の問題に収斂できるようなことではない なぜ 差別する 排除する人間になったのか
社会で生きている私だからこそ 差別心が具体的な形になる
我執が 縁によって 人間の命を奪うまでになる 形をとるものとして問題になる
ハンセン病の嫌い方が作られていく要因があった
国のあり方 社会のあり方と切り離せない

排除の究極は 忘れ去ること ハンセン病患者は忘れ去られることが使命とされた
国 社会による 知らない私の存在 隔離政策の仕上げ
差別心の問題ではない 存在を許さない社会観 国家観が問題なのである

隔離政策は 隔離されている人を救っているという意識の下で行われた
隔離政策を懸案した人々は それが人権侵害であり 隔離する必要はないと分かっていた
よいことをしているつもりだった
善意を盾にすると 患者を嫌う気持ちと葛藤することがなくなる
新憲法のもとでも らい予防法が憲法に抵触するとは思わなかった
予防法が もう必要ないからなくすのではない
違憲訴訟によって はじめて違憲だということが明らかになった

大逆事件について その背景は社会主義が民衆と結びつくことを恐れた 
絶対権力者ではなく絶対救済者としての天皇を作り出すことが山県有朋の狙い

本当の人間の救済とは? 救済する側 される側に分離されるところにはない
互いを同朋として見出す 超個とは違う 丸ごとの自分で生きること

2010年09月16日

●「振起」新聞記事

今朝の北日本新聞に「振起」の出版と記念講演についての記事が掲載されました
画像はクリックすると拡大します

記念講演会のチラシはこちらです
私もパネリストとして参加することになりました ご来場をお待ちしています

2010年09月07日

●玉永寺通信 38号web版

第38号の印刷が終わり これから郵送作業に入ります

こちらでは一足早く、web版をご覧ください

http://www.gyokueiji.net/1009.pdf

2009年07月10日

●「光華」(教区坊守会 会報)第44号原稿

 華の会(第13組若坊守学習会)にお話に行くようになって、5年余りたちました。故 佐賀枝弘子さんの後を受けて、正信偈からはじまり、和讃、回向、御文と、大谷派勤行本に掲載されているお聖教を中心に共に学ばせていただいてきました。佐賀枝さんは豊富な知識をお持ちで、いつも女性であること念頭に置いたお話をされた方だという印象を持っています。その会で私にどんなことが話せるのか、不安を抱えたスタートでしたが、参加者の方々に育てていただいたことに、感謝をしています。
 昨年の12月、「白骨の御文」についてお話し、蓮如上人が娘、見玉尼の死について書かれた「見玉の御文」を紹介したところ、座談会で参加者から御文二帖目第一通「お浚えの御文」についてのエピソードを教えていただきました。
 見玉尼は20代半ばで吉崎で亡くなられたのですが、蓮如上人と共に「多屋内方」たちも、念仏を称えつつ往生された様を看取りました。その一周忌に書かれたのが「見玉の御文」であり、その死をきっかけとして、多くの女性たちが吉崎での教化活動に主体的に関わるようになりました。それから報恩講お七夜が終わった翌朝、11月29日の勤行において女性を対象とした「お浚えの御文」を拝読することが始まったというのです。感ずることの多いエピソードで、参加者の中から次のテキストとして「御文」をさらに読み進めたいという要望が出て、私もそれをお受けすることになりました。
 それから私は悩みました。思い起こせば、佐賀枝さんが「あさましき女人」といった表現を深く読み込み、わが身の苦悩を聞き取ったと話されていたのをお聞きした記憶があります。しかし今、これに対しては女性差別ではないかという議論を呼んでいます。現代の女性に「御文」についてどのようにお話したらよいのか。
 3月の会で、私はあえて「お浚えの御文」を取り上げ、女性を貶める表現が使われる背景と現代につながる課題についてお話しました。仏教以前から存在したヒンズー教からの影響、仏教が経由していった中国儒教からの影響、立山信仰に登場する血の池地獄(赤穢)との関連、御文教化がもたらした女性への差別意識、そして明治維新以後も、兵士となる男性を補佐するべきものとして位置づけられた女性の立場。
 蓮如上人もまた、時代の差別意識の中にいたけれども、女人往生を課題とされたからこそ「女人の身は、十方三世の諸仏にもすてられたる身にて候うを、阿弥陀如来なればこそ、かたじけなくもたすけましまし候え。」と書かれたと話しました。
 そして、蓮如上人の写本によって現在に伝わっている「歎異抄」より「学問せば、いよいよ如来の御本意をしり、悲願の広大のむねをも存知して、いやしからん身にて往生はいかが、なんどとあやぶまんひとにも、本願には善悪浄穢なきおもむきをも、とききかせられそうらわばこそ、学生のかいにてもそうらわめ。」(第12章)を紹介し、これこそが私たち真宗門徒の基本線であるとしてお話を終えました。
 佐賀枝さんなら「お浚えの御文」についてどのように話されたでしょうか。自覚の言葉として読み込まれたかもしれません。しかし、こうした言葉を「いいおどろかす」、他者を抑圧し差別するために使ってはいけない。歎異抄が「法の魔障なり。仏の怨敵なり。」とまで歎異された内容を、現実の生活の中で、私は確かめていきたいと思っています。

2009年04月24日

●第13組 華の会(若坊守学習会)

朝日町 宮崎 明光寺にて
月刊「同朋」に 95年7月から96年4月まで10回にわたって連載されていた
蓑輪秀邦「真宗シリーズ 「御文」に学ぶ 女性差別の問題をとおして」から
最終回「現代の視点からの提言」をテキストにしてお話しました

日ごろ真宗に触れないままに御文を読んだり 拝読に立ち会ったとき
御文の女性差別表現は 現代人への真宗教化を妨げてきたのではないか
法話による御文教化は 蓮如上人の思いとはうらはらに
女性差別のパラダイムを強化してきたという事実がある
「プロテスタントが教会での聖書読み上げから女性差別や身体的差別の表現をはずすことによって
かえって現代人の共感をよび、聖書への一般人への親鸞を高めたような勇気を
私たちの宗門ももてる日のくることを願っています」以上 蓑輪さんの意見です

そのほか、女性原理の是非 人権と仏性の比較検討などについてもお話しました
座談会では 蓮如自身は御文をどのような意図で書いたのか
「はずす」ならばどのような方法が適切なのか
当時の仏教界における女人成仏思想の独自性 などが話し合われました

次回から 蓑輪さんの連載を さらに輪読することになりました

2009年04月21日

●第11組 解放運動推進学習会 第3回

富山市人権啓発コミュニティセンターにて
講師は吉田樹さん(部落解放にとりくむ富山県連会議事務局次長)
講題「富山県における部落差別の現状と課題」
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差別事象ががなかなか顕在化しない富山・北陸の事情
役員就任をめぐる差別の事例 結婚差別
身元調査の発覚 県内戸籍の不正取得についてお聞きしました
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二階にある御内仏にお参りし 御消息塗布事件の説明を受け
周辺の現地学習を行いました 門徒、住職 総勢13人 実りある学習となりました

次回は最終回 6月23日 カミール4階
大谷派 解放推進本部委員 訓覇浩さんを迎えて開催します

2009年04月17日

●第10回女性会議

13日~14日 研修道場にて テーマ「真宗と人権 女性教化と五障三従」に参加しました
初日の講義は加来知之氏
「現代において女性が機の深信を得るのに、ことさら五障三従を持ち出す必然性は感じられない。
 よって儀式のなかで、あえて五障三従を取り上げなければならない理由も感じられない。」(趣意)
二日目のパネルディスカッションではさまざまな方面から女性差別についての問題提起がありました
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2009年03月02日

●第11組共同研修会 第1回

講師 辻俊明氏 会場 カミール 以下は流星の聞書

「帰する」 重い言葉 捨てて帰す 何を捨てて どこに立つのか
やめて別のことをするということではない
だめならこっちというように移り変わるようなことではない
捨てるというのは 打ち込んでいたからそう言える
捨てるものがはっきりすれば 依って立つものがはっきりする
「捨てる」と「帰する」は対応している

無間地獄は往生要集に「われ今帰する所なし 孤独にして同伴するものなし」とある
精神的な状況が地獄である
戦争で地獄を見てきたとも言われる 地獄はいろいろな場面で言われる
平生の心とは違う 戦争時の人間の心の むき出しになった姿についても言われる

「同伴するものなし」心を許し語り合える 生きてきたことを悩み願いを共にする人がだれもいなかった
それが地獄 私たちはそれを痛みとして語ることさえ忘れている?

「本願に帰す」というのは 個人的な体験というより 共に歩んでいける道があったということ
「流転輪廻」 依るところ 帰するところがない それが 私の現実の姿であることがうなずかれる
「疑情」本当のことに触れていないから そのときの教養を振り回す自分
その元になっている我執に目が開かれていない
「真の知識」にあうことによりうなづかれる
「難中の難」出会いが少ないとか 遠いところにある とも受け取られるかもしれないが
いつも会っていても その人にあえていない
自分を問い詰めてくる人は 怖い 足がすくむ
重い言葉 キーワードを言ってくれる 自分を照らす 立ち止まらせる言葉を言ってくれる人
憶念する言葉 響く言葉に出会うことが 人に出会うということ 先生の奴隷になるのではない
私はもっと明るく悩めないかと師に言われたことがある 互いを比べて 悩みを比べてもしょうがないと
悩んでいけるものがみつかったときに 悩みは 軽くならないかもしれないが 引き受けていけるということがある
曽我量深の言葉「悩まされているというのは無自覚である 悩むというのは自覚である」
被害者意識に苦しめられ 私ほど悩みの尽きないものはいないと仏法に逃げ道を求めるということがある 
「千の風に乗って」アメリカ原住民の死生観 だが私たちの人生観にはならない
なぐさめ 素朴 なにもかもが一つの命に生きている 素朴な形の死生観 しかし情緒的なところでは終わらない
自分はどこへいくのかという感情があるということは踏まえておいて
そこから 私はどこへ行くのか 私はどこへ行きたいのか
他人事ではない そこが仏教 あなたは腹の中に何を持っているのか
それが分かれば どこへ行くか分かる そんな綺麗なところへいけるはずがない
「流転輪廻のきわなきは」他人事ではない 自分の心の動きの中にある
「後世を祈る」人間的には深い感情 どこへ行きたいのか 極楽へ行きたい
ならどうしたらいいのか 実際には何を持っているのか
それによって行き先が決まるなら ろくなものしかもっていない
「弥陀をたのめ」とは 悪いことがあっても気にするなということ?
自縄自縛する意識 自力の計らい 自分のおろかさ 至らなさ 煩悩熾盛と知ってしんどくなる

法然と弟子の会話
念仏をしていても心が散る 一心に念仏申せというが どうしたものか
「源空も力及ばず」 それをどうしたらいいのか 本当の念仏にならないのでは
「散れども み名を称すれば 仏の願力に乗じて往生すべし」
人間に生まれたものには散る心がある 散る心をなくしてというのは筋が通らない
散る心のままに念仏を称えよ

法然の放つ光明 はっきりしない悩める人に対して
その心を照らすように明らかにして 念仏を勧める おおらかに 鋭く

散る心のままに もっと大きな世界に開かれていく
機を攻めるだけでは 自縄自縛
状況も根性も変わらないが 自力の世界が破られる
どうにもならない自分が見えてくる それを「自力のはからい」と言う
この因縁の世界は 思いを超えている

横超 本願を憶念して自力の心を離れる

2008年12月10日

●見玉尼と「おさらえの御文」

昨日 華の会(第13組若坊守学習会)にて「白骨の御文」についてお話しました
その時 関連して「見玉の御文」を紹介しましたら
出席者から高桑駐在教導から聞いたということで
面白い話がでたので いま 電話で確認したところです
「文明五 八月二十二日」に「見玉の御文」が書かれ
見玉尼を看取った多屋内方たちに向けて
「文明第五 十二月八日」に「おさらえの御文」(二帖目第一通)が書かれる
その次の年から現在に至るまで
御正忌報恩講において十一月二十九日のお朝事に
「おさらえの御文」が拝読されることになったという話です
出典は今のところ不明ですが 非常に興味深い内容ですね

2008年11月20日

●「三福」について

先日 組同朋の会においてお話した 観無量寿経に出てくる「三福」について考え続けています

釈尊が突然 三福について話すのを聞いて
韋提希はどう思ったかについて
ほとんどの講師は わが子に殺されそうになった状況を省みて
いたたまれない思いで聞いていただろうと 話しているようです

しかし 私は読み返すうちに 違うことを考えるようになりました
というのは 一般的な解釈では 釈尊がここで三福を話す理由が明確でないように感じるのです

もしかしたら 韋提希は釈尊の話す三福の教えを
目を輝かせて聞いていたのではないかと考えるようになりました

寺でも法話を聞かれた方から こういう感想をよく聞きます
「今日のお話は ほんとうにいい話でした
 家の息子にこそ 聞かせてやりたいものです」

もちろん自分が感動した法を 身近な人にも勧めたいという気持ちもあるでしょうが
自分を棚に上げて 他人を咎めるための道具のように
法話を 聞いているということもあるわけです
私も「この話 オレはいいからあいつに聞かせてやりたいもんだ」
なんて 考えてしまうことがあります

一者孝養父母、奉事師長、慈心不殺、修十善業。
二者受持三帰、具足衆戒、不犯威儀。
三者発菩提心、深信因果、読誦大乗、勧進行者。

韋提希はわが子 アジャセにこそ聞かせてやりたいと思って
釈尊の三福についての話を受け取っていたのではないか

「福」という言葉は 仏教において
「福徳」「福田」のように 称える意味としても使われます
しかし「罪福」「禍福」のように 災いを恐れる心情の裏返しとして
いわゆる不幸を恐れる 人の心の弱さを示す言葉としても使われます

三福は 世間でも仏教においても
これ以上なく 当たり前に善いこととされるような内容です
ですが 災いを逃れる術として行うことに問題はあります
実践しようとしてできなければ 自分を貶めたり 逃避してしまう
逆に 私にはできると誇り 他者を見下すこともある
こうしたニュアンスを込めて「福」という言葉が使われているのではないか

釈尊は 悲劇から逃れたい韋提希の心情を見抜いて
まず三福から話したのではないか

そして続けさま定善について話すことで
「思惟」「正受」を求める韋提希の要求に応じて
さらに本願念仏へと話を展開していく

善導はここはまだ序分であり
正宗分には入っていないと読んでいる ということもありますね

このように 考えをめぐらしています

学ぶほどに 公表できるほど 十分に読み込んでいなかったと 反省しています

2008・12・17

2008年07月15日

●華の会

十三組若坊守会 御文五帖目第一通について話す

蓮如の生涯と功績 御文の構成について説明
聖覚「唯信抄」によって 諸行往生と念仏往生の違い 法蔵菩薩の物語をおさらい
大経 第十八願の因願と成就文を確認
親鸞独自の第十八願の読み方を紹介

坊守さんから一帖目第三通についての質問がでる
聞けば 漁師さんのお講で読み合わせるそうだ
生活と深く結びついている真宗の営みに触れることができた

まず、当流の安心のおもむきは、あながちに、わがこころのわろきをも、また、妄念妄執のこころのおこるをも、とどめよというにもあらず。ただあきないをもし、奉公をもせよ、猟、すなどりをもせよ、かかるあさましき罪業にのみ、朝夕まどいぬるわれらごときのいたずらものを、たすけんとちかいまします彌陀如来の本願にてましますぞとふかく信じて、一心にふたごころなく、彌陀一仏の悲願にすがりて、たすけましませとおもうこころの一念の信まことなれば、かならず如来の御たすけにあずかるものなり。このうえには、なにとこころえて念仏もうすべきぞなれば、往生はいまの信力によりて、御たすけありつるかたじけなき御恩報謝のために、わがいのちあらんかぎりは、報謝のためとおもいて念仏もうすべきなり。これを当流の安心決定したる、信心の行者とはもうすべきなり。あなかしこあなかしこ。 文明3年12月18日

2008年06月30日

●等通寺 正信会

先々代の御住職の頃に始められた 地域の聞法会
現在も継続され 30人ほどの参詣がありました
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上の絵本を使う「私たちの釈尊」と名づけた法話をお話しました

2008年04月19日

●組同朋の会

阿弥陀経についてのお話を終え
今回から観無量寿経を読むことになりました

耆闍崛山から王舎城へと 舞台がいきなり切り替わるわけで
聞き手が経典には珍しく女性であるという点においても
改めて観経というのは 実におもしろくて
ドラマチックな内容なのだと再認識しました

座談では さっそく 家庭問題や死刑制度についてなど
現代の私たちが直面している課題からの問いかけがありました

「阿弥陀経や無量寿経の聞き手たちとは違い
 耆闍崛山には私たちとはかけ離れた人たちだけが集まっている」
そんな感想をおっしゃる方があって 鋭いなぁと思いました

新しいテキストを準備中です
これからの展開が楽しみになってきました

2008年04月17日

●13組華の会

下の内容で聖徳太子についてお話してきました

話しながら気づいたのは
聖徳太子は男性で その本地である観音菩薩は女性で
いずれにせよ 有情を護持養育する「親」というイメージを
親鸞はもっていたんだなぁ そして

「護持養育」は化身土巻の末法灯明記から
「無戒名字の比丘」とセットで出てくる言葉であって
延暦寺の最澄に 法難関連でこういうことを語らせるというのは
皮肉なのか もっと広い心でものを言っているのか
親鸞はどういうつもりだったんだろうかなぁ と思いました

2008年04月14日

●聖徳太子

17日に「皇太子聖徳奉讃」について話します
聖人は法然の伝記「西方指南鈔」と同様に、
晩年に聖徳太子の和讃を集中して製作されたと言われています。
これまで これらの和讃をどのように捉えたらよいのか分からなかったのですが
最後の和讃の「護持養育」が手がかりになりました

聖徳皇のおあわれみに
護持養育たえずして
如来二種の回向に
すすめいれしめおわします

「護持養育」と言いますと、化身土巻の大集経からの引文に頻繁にに出てくる言葉です
そのあたりは、藤場俊基さんが著書で
「無戒名字の比丘」や法難との関連を指摘している箇所

吉水教団を弾圧した権力者は いかなるものを仏教としていたのか
それに対して親鸞の時代に聖徳太子信仰を支えたのは いかなる人々であったか
このように考えれば かなり整理して 聖徳太子の和讃について語れそうです

2008年01月18日

●組同朋会

テキスト阿弥陀経で いよいよ流通分に入る

経典構成の解説 本文の説明
金城幸子さん講演を紹介し ハンセン病差別の実態を話し
釈尊は「平等・対等」ということを体現した人物であったこと(藤場さん新刊受け売り)
阿弥陀経の「ただ念仏」の教えは「平等・対等」を具体化する方法
だからこそわれわれ悪衆生にとって 男女老少を言わない法は
「難信の法」と言い表わされるのだ
このような展開でいきました

「難信」というと 「たまわりたる信」であって「自力の信」ではないから
という問題もあるのですが これは大事な問題ですが
阿弥陀経でこのことを話すことはできるのか 整理できていないので
来月 阿弥陀経最終回までに宿題にしました

阿弥陀経の次は 「現代の聖典」をテキストにして
観経についてお話しすることになりました

2008年01月01日

●修正会

御門徒さん 御近所の方々に
多数 参詣いただきました
心から御礼申し上げます

2007年12月21日

●真仏土巻輪読会

昨夜 野々市 常讃寺にて
参加者8名だったかな
熱気あふれる場所で大好きなのですが
話された内容 どうも まだ 整理できていません

ゲットしました

2007年12月17日

●難信

18日は組同朋会

テキスト「おつとめのほん」 阿弥陀経 流通分に入る あと3回で終了する心づもり

この本の第十九講、第二十講を読み込んで
自分の言葉として「難信」あるいは「善知識」についてお話したい

2007年12月11日

●華の会 本番

恵信尼文書の現代語訳プリントを持参して 行ってまいりました
「生死大海の船筏なり」
ほら 映画「タイタニック」でデカプリオが沈んじゃったでしょ あの情景ですよ!
なんて 調子に乗って話し終えたのはよかったんですが
「善知識に出会えないと ダメなのですか」
「教えを学ぶということも 雑行雑修なのですか」
直球ストレートの質問に たじだじとなってしまいました
なお ネットで質問されても答えませんから
リアルでないと わたしゃ 答えません

2007年12月10日

●華の会準備

明日は「華の会」第13組若坊守会にお話しに参ります
大谷派勤行集に収録されている和讃を読んでいて 今回は正像末和讃
<第三十一首>
無碍光のみことには 未来の有情利せんとて
大勢至菩薩に 智慧の念仏さずけしむ

<第三十二首>
濁世の有情をあわれみて 勢至念仏すすめしむ
信心のひとを摂取して 浄土に帰入せしめけり

<第三十三首>
釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる
信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

<第三十四首>
智慧の念仏うることは 法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば いかでか涅槃をさとらまし

<第三十五首>
無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

<第三十六首>
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず

やや迷いがあるのですが 勢至菩薩を法然上人と重ねて読もうかと考えています
末法の時代に師に会えた喜び
しかし師は 崇拝の対象というよりも
念仏の道を教えてくれた人 如来よりたまわりたる信心をともに喜んでくれた人
このあたりを 「たまわりたる信心」の話 恵信尼消息三 歎異抄第二章 恩徳讃などで
彩ってみようかと思います

報恩講で恩徳讃を なんどもなんどもお勤めしています
以前は なんのことやら分からずに称えていたのですが
生きていることの歓びであり 生まれた意義 人生との和解の発露です
恩徳なんてすぐに忘れてしまうとか せせこましいこと言わんでもいい
称えることをためらう 必要なんてないんだな

このごろ そんなふうに 思うようになりました

2007年11月28日

●いとこ煮

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大根、里芋、人参、こんにゃく、小豆が入っています 味噌仕立て

金沢のカボチャと小豆の煮物の「いとこ煮」を記事で見かけますが
このあたり(富山県東部?)のものとは まったく違いますね

2007年10月17日

●常讃寺輪読会

昨夜 9人の参加がありました

安田理深「真仏土巻聴記」を読んできたのですが
その前に真仏土巻自体を輪読し始めたのが
段々そちらの方に重点が移ってきているような気がします

昨夜は玄義分からの引文 「是報非化」
弥陀の浄土は報土であり化土ではないという部分でした
仏身仏土を光の働きとしてぎりぎり形容することはできるとしても
人が形容すれば すべては「色」で形容されている以上、化土でしかありえない
しかし報土も化土も、人の為に表現されたのであって
仏の大悲から生じているということですから
そこを離れたら、なにがなんだか分かんなくなっちゃいますよ
って感じでしょうか

浄土とは何か、というテーマについて直接、論じていて
ここが読めれば かなりすっきりする
ここを受けて化身土巻が開かれていくんでしょうね
だから すごく大事なところだったと思います

藤場さんの関心は論註に行っているようで
真仏土の輪読が終わったら もっかい最初から読んでもいいけど
論註と真仏土巻聴記を平行して読んでもいいんじゃないでしょうか

次回は12月20日

2007年10月02日

●今日の法話

オレ流 親鸞聖人のご生涯

真宗宗歌と三信

「しんらんさまはなつかしい」 「報恩講」とは

両親との別れ 出家 比叡山の修行

赤山明神 吉水教団へ

法然の出家 吉水教団とは 熊谷直実(蓮生坊) 平重衡  式子内親王

親鸞の結婚  選択集書写 信心一異の論争

法難 住蓮、安楽死罪 法然「この首切られるるとも」

流罪 愚禿釈親鸞のなのり 非僧非俗

越後から関東へ 善光寺 三部経千部読じゅ中止

いなかの人々との出会い 御同朋御同行 教行信証

帰京 善鸞事件 歎異抄第二章

「しんらんさまはなつかしい」

2007年09月19日

●組同朋の会

テキストは「おつとめの本」 阿弥陀経

六方段について 諸仏称賛 善知識とはなにかについて話す

「一心不乱」とはどういうことなのか そうなれるのかという質問がでる

三願転入 隠顕の義という言葉が喉まで出るが

それを言ってしまうと どうせ一心不乱にはなれない ということになりそうで

もどかしく 曖昧模糊と いろいろ言葉を重ねてみる

そこで「浄土とはどこにあるのか」という質問がでて 座談が盛り上がる

三願転入 隠顕の義というのは きわめて実践的な課題だったんだなと実感する

次回は 阿弥陀経で釈尊はなぜ一心不乱、実体的浄土を説いたのか

聖人はそれをどのように読み解かれたのか

正面からお話できそう だ

2007年08月26日

●ご意見ご感想をお願い申し上げます

合寺令事件と松本白華 ー教団の近代化ー(草稿)

今日は半日 この課題に取り組むことができました

まだ文章表現がおかしなところもありますが

ご意見ご感想をお願い申し上げます

2007年07月18日

●組同朋の会

テキストは阿弥陀経

今日は 倶会一処 執持名号 一心不乱

ある意味 阿弥陀経の核心部分でして

ずっと どう説明したらいいのか 頭 かかえてました

ここで文章化することもできない すごい複雑

親鸞聖人が あれだけ ごちゃごちゃ書いてるのが分かるというか。。。


終わった今も 気分が落ち込んでます


ふと 気がつきました

こんなにすごいこと すばらしいこと 聖人はいってるんですよーってことなのに

こんなあたま抱えてたら 聞いてる人たちも いやーな気分だったろうなって

よっぽど難しいんだろうなって 思われるだろうな


反省するならサルでもですが

そんなことに いまごろ 気がつきました とさ

2007年06月16日

●明日の法話 二席目

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる

善導「往生礼讃」より

「微塵」は聖人が挿入した言葉 「こまかなるちり」

「衆生」生きとし生けるもの

廣瀬たかし「罪悪深重」 食し、殺して成り立つ生

ジビ王の物語 いのちは平等

無数のいのちが訴えていること

法蔵菩薩の物語 「説我得仏 不取正覚」

「摂取して捨てない」 えらばず きらわず みすてず 竹中智秀

多くのジャータカ物語

ジャータカ→釈迦
法蔵菩薩→阿弥陀

そして釈迦が「摂取して捨てない」という働きを「阿弥陀と名づけた」

法蔵菩薩の物語の意味

聖人のつねのおおせには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐そうらいしことを、いままた案ずるに、善導の、「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた、つねにしずみ、つねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」(散善義)という金言に、すこしもたがわせおわしまさず。

「そうすればこそ、腹も立ち、欲も起こり、どうにもこうにも始末のできない親鸞が、私一人を助けんがための弥陀の本願を明らかに聴聞され、長いあいだあなたを引きずりまわいて参りましたが、どうにもならない私が、どうもなって助かるんじゃない。どうもなれんままを引き受けたもうという、如来の本願に目覚められたそのときには、もうおのれ忘れてこんなやつめをようこその目覚めが、「至心信楽己を忘れて、速やかに無行不成の願海に帰す」。」祖父江省念

2007年06月02日

●高岡第8組同朋大会

終わった直後は、期待された内容とは違ったかもしれないけれども、
こちらの伝えたい事は話せたと、強気だったんですが。

帰りの車のなかで、反省しました。

はい、サルです。

また、あおさんからアドバスいただけたら幸いです。
スタッフのみなさん、お世話になりました。ありがとうございました。

2007年06月01日

●戦争と寺院

 道綽と廃仏毀釈の関連を調べていたら、こういう記事を見つけた。

 道綽禅師は十四歳で出家されました。中国社会の混乱の中で、静かな深い教えをもとめ
て仏教に帰依されたことが出家の動機であったでしょうが、生活苦も理由の一つであった
といわれます。
 ところが、道綽禅師が十六歳になられた五七七年、北周の武帝は北斉を滅ぼして中国北
朝を統一し、仏教と道教の禁止令を発布しました。一部の僧は南朝に逃れたり、山深い地
に隠れたりしましたが、ほとんどの僧は還俗させられました。道綽禅師も還俗させられた
一人でした。
 北朝統一前の北周では、富国強兵策をすすめるために仏教と道教を禁止し、寺院やその
田畑を没収し、仏像などの金属品を鋳溶かして工具や兵器にし、僧侶は還俗させて徴兵し
て軍備を増強しました。仏教側から道安などが皇帝の前で廃仏の非を切々と説きましたが
受け入れられず、仏教を捨てることができない人々は身を隠し、衣食住に苦しみながらも
細々と教えを護っていました。

http://www.biwa.ne.jp/~takahara/
http://www.biwa.ne.jp/~takahara/shosin22DS.htm

 富山藩合寺事件の際にも、仏具と梵鐘が供出させられ、弾丸や大砲にされた。武器の倉庫や工場にされて、打ちこわしを免れた、寺の本堂もあった。明治維新の富国強兵の気運にのって、富山藩は軍隊の強化を目指していた。そこには仏教を貶め、軍国主義を民衆に対して示威していくという狙いもあった。

 「廃仏毀釈」の歴史には、こういう兵器との関連があるということだ。

 もしも、安倍首相から「美しい国、安全な国づくりのために、宗教者も痛みを分かち合っていただきたい。」と、仏具や梵鐘の供出を依頼されたら、いまの我々はどうするだろう。

 じっさい、玉永寺も梵鐘仏具を昭和に入って、国に供出している。梵鐘を供出する際には、鐘に衣を着せて、門徒とともに法要が勤められている。探せば、写真があるはずだ。彼らは「お国のため」と喜んでいたのだろうか、それとも悲しんでいたのだろうか。そして、ご存知のように、住職が二人、徴兵され、中国と南方で戦死している。

 玉永寺がこうした「縁」に遇っている以上、戦争という問題に無関心では、いられないと思っている。

2007年05月23日

●「不安に立つ」プレゼン

合寺事件の影響

明治憲法

信教の自由が
もりこまれる

仏教の近代化

大きな問題
をはらむ

仏教復興運動

石仏の建立

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廃仏毀釈は
なぜ起こった?

富山藩の財政危機

富国強兵

廃仏論

出世間主義
に対する

儒教・国学の攻撃

この世は
迷いの世界



修羅
畜生
餓鬼
地獄

六道輪廻の一部

仏教の目標

解脱による成仏

瞑想、学問、儀式、慈善、道徳。。。

様々な方法

それで
迷いを離れられる?

往生→浄土

「ただ念仏」

念仏は善根?

浄土ではなく

天上界を
目指しては
いないか



人⇔浄土

三願転入

久しく万行諸善の
仮門を出でて

ながく双樹林下の
往生をはなる

善本徳本の
真門に回入して

ひとえに
難思往生の
心をおこしき

しかるにいま

まことに
方便の真門をいでて

選択の願海に
転入せり

すみやかに
難思往生の
心をはなれて

難思議往生を
とげんとおもう

19願→20願→18願

双樹林下往生→
難思往生→難思議往生

第十八願でゴールですか?

果遂の誓い
まことに
ゆえあるかな

ここにひさしく
願海にいりて

深く仏恩を
知れり

自力が廃れたと
いうことではない

捨てられないという
悲歎のままに

内にありながら
外に走るものを

なお取り込んで
内に抱くという

広大無辺の
仏恩の随喜である

「不安に立つ」

2007年05月19日

●真宗と廃仏毀釈・法難

23日 小松へお話に行きます。
来年の富山教区法要において富山藩の合寺令、廃仏毀釈を取り上げることを紹介しようと思っています。
それで、なぜ明治維新のときに廃仏毀釈が起こったのかを考えつづけています。

明治政府の意向。どういう国づくりをしたかったのか。
そのとき仏教はどのように見られていたのか。
そして、真宗だから、弾圧を受けたと言えるのかどうか。
真宗教義は権力から危険視される内容をもっているのか。

そうなると、教行信証の成立と法難との関係も考えざるを得なくなるんです。
法難を受けて、教行信証が書かれたと、どういう点で言えるのか。
教行信証の中で法難は、なぜ取り上げられているのか。
教行信証があるから弾圧を受けるのか。
それとも全く関係はないのか。

23日までなにか結論は出せるだろうか??

このあたり、お考えを御持ちの方、コメントしていただけると幸いです。

2007年05月18日

●組同朋の会

テキスト阿弥陀経。

いつも当日まで悩みに悩む。

今回は六道輪廻(天)と往生浄土の違い。
善因善果、悪因悪果によって輪廻していくことを迷いと見定めたのが仏教。
いわゆる善根によってではなく、
ただ念仏によって輪廻の鎖を断ち切るのが往生極楽の道。
そして光明無量と寿命無量は「いつでも どこでも だれでも」。
光の性質についていろいろ語ったりしました。
混迷するかと思いきや、意外とすっきり話せました。

質疑応答座談もけっこういろいろ話が出て、
最後に床の間にかけてあった曽我量深「開神悦体」が話題になって、
「教えを理解しているつもりでも身体はどこか緊張したりしているもの
 本当に教えをいただいたならば体がよろこぶものです」
といった話を、会の長老のような方が切々と語られた。

なんかすごいなーと、拝聴してました。

2007年04月22日

●「しんらんさまはなつかしい」waveファイル

http://www.gyokueiji.net/blog/2007/04/post_521.html

4月9日 多磨全生園、和光堂での花まつりにて歌われた「しんらんさまはなつかしい」。
途中からですが、携帯で録音したものをUPしました。

http://www.gyokueiji.net/natukasii.wav

20日の13組若坊守会では、プロジェクターによるプレゼンテーションとあわせて
この歌を聴いていただきました。


全生園で「こころのみおや」「わがちち」として歌い続けられてきた「しんらんさま」。

私もその一員ですが、今の大谷派が「宗祖」としている「本願寺の聖人」。

そのギャップを感じています。

2007年04月21日

●育成員研修会

17日から19日まで研修道場で行われました。
講師は高田教区の井上円さん。
高田での行われている御流罪法要の熱気を京都まで運んでくださいました。
以下の太字は講義ノートの抜粋です。文責は私にあります。

三日間、さまざまな議論を参加者やスタッフと交わしてきました。
最終日、閉会式、やれやれと息をついておりましたら、参務挨拶が「『主上臣下、法に背き』という言葉について学んだと思うが、法難は聖人の生涯の一部に過ぎない。」からはじまり、愕然としました。
「「真宗聖典」の教行信証は何ページから始まっているかが言えなくては僧侶と胸を張って言えない」。
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」をテーマとした今回の講義は、いったいなんだったんでしょう。

参務挨拶と研修内容が噛み合わない事は、修練などで何度も経験してきました。それでも今回はかなりガックリしました。社会運動する僧侶は寺をないがしろにし、 自分自身を見失っているという趣旨のこともおっしゃったことでした。

以上、研修会参加についての感想でした。

高田教区の「御流罪法要」について。なぜ御流罪法要を大事にするのか。昭和31年に前回行われた。御流罪の地。親鸞の亡くなった日を機縁とする法要を大切にしてきた。聖人御自身が大事にした日。この日は忘れてもらっては困る。
教行信証の最後の文章。後序ではなく「流通附属分」と読みたい。
承元の法難。死罪流罪。赦免。法然の死。時間が逆転し、29歳、33歳で終わる。この出来事は念仏を大事にする人たちには忘れないでほしい。それが流通附属分の持つ意味。だからこの法要を一教区の事業と位置づけることはできない。それに多くの人が賛同してくれた。教行信証流通附属分を大事に思っている人は多いことが分かった。

御流罪は古い言葉。浄土宗、日蓮宗でも、流罪にあわれたところで使われていた。江戸時代の講本にもある。何か悪いことをして流されたのではないとする、門弟の気持ち。

第八章。大悲に生きる。法語はご消息と歎異抄が中心。

赦免 流通附属分 「予はそのひとりなり」 そのいちなり ひとつなり
なぜ許されたのか。遠流は死罪に次ぐ重い罪。許された理由は、法然の体調が悪かったから。法然を流罪にしたまま亡くなっては朝廷が困る。西方指南鈔。後白河上皇や九条兼実が心酔。法然は幅広い層に影響。朝廷は法然を処罰するかどうかを検討した。弟子が悪いのだから師匠に罪科を科する事はよいのか検討された。法然は甘んじて受けた。
流罪地は四国の土佐であったが、讃岐に変更となる。九条兼実の力。家臣が国司を務めていた。九条は4月5日に亡くなる。
三段階の赦免のされ方。まず讃岐に変更。12月8日、讃岐から摂津の国に変更。勝尾寺。口伝鈔によれば親鸞が教信沙弥を探した寺。5年ほどたって80歳になろうとするとき老いが加わってきた。老耄。西方指南鈔にでてくる。11月17日に勅免。法然に流罪のまま亡くなられたら困る。戒律を守り、智慧のある有名人。タタリがあるのではないかということを怖がった。嫌悪した。それで11月に勅免。同座したものも。反省して許したのではない、謝ったので許したのでもない。朝廷側の事情から。
京都に戻り、健康を取り戻すが、1月25日に亡くなる。西方指南鈔。

親鸞の越後時代について検証できる記録はほとんどない。唯一わかっているのは、勅免前に子どもが生まれたこと。明信。平雅行によれば、赦免前に子どもが生まれることをを許す国司は、親鸞に寛容、協力的。流人への対応は現地に任されていた。
親鸞は京都に戻らなかった。恵信尼は越後の豪族。関東へ行く、恵信尼はついていく。
この時代の人の行動としては変わっている。許されたなら普通は京都へ行く。関東へ行くというのは普通の人ではないということをあらわしている。婿取り婚。南北朝から嫁取り。恵信尼がついていくという事は考えられない。もし離縁となると生活する場所を失う。関東に行くことに、よほど大事な使命があった。恵信尼にはそれを信頼する気持ちがあったはず。
なぜ関東へ? こどもづれ。生活の保障があったはず。引き受ける有力者の存在。一緒に行く人がいた。親鸞の名乗りの持つ意味。

聖典400ページ「名之字」。「なのじ」と読んできた。しかし古い御伝鈔では「みょうのじ」と表記されている。「なのじ」では善信なのか親鸞なのか分からない。善信であると思う。親鸞はなぜそれは記さなかったのか。「善信」が罪名として使われたから。聖典398ページの「姓名(しょうみょう)」に対応する。姓は禿の字。名は名の字。
これは後の人への伝言である。私たちがきちんと読まなければ。
「善信」がそのまま罪名に使われた。「ぜんしん」ではなくて、「よしざね」。普通は「よしのぶ」と読むはず。源空は「藤井元彦」。「彦」は男。事件の元の男。

信を大切にしたのが親鸞。善信は大切な名前であった。聖典345ページ。如是の義。 選択集は三部経の確かめに終始している。書写を許され読み込んでいく中で、「綽空」ではこの本は受け止められないと思った。「善信」でなければならない。
その後、なぜ親鸞と名乗ったのか。「善信」を罪名に使われたから。法然が亡くなった。釈尊のような方。本師。天親と曇鸞の仕事、選択集の論を書く。仏滅後の仏弟子が、仏教と相応するのはどうしたらよいか。応答できるのか。それが論、論註の仕事。それをしようとしたのが親鸞という名乗り。三部経の了解に終始している選択集に対して、「親鸞」を名乗ったのは法然の死を契機として。「後序」ではなくて「流通附属分」。論をつくろうとした。京都ではこういう仕事はできない。しかし罪を許されたばかりの人間は書物を見せてもらえない。そういう状況のなかで関東を目指した。
選択集に応える様な論を書きたい。使命感。妻子をともなう。途方もない決意。

選択集の書写を許されたのは少ない。七人。この人がわたしの後をついでくれる。後のことを考えてくれる人ではないかということを見据えて法然は書写させた。亡くなってから版木となった。
法然の「没後起請文」。二か条。親鸞は西方指南鈔にそのうちの一条だけを引いている。載せなかったのは遺産相続の件。
「わたしの没後、弟子たちは、一つの場所に群がってはならない。かならず争いごとが起こる。」親鸞が関東へ行く理由の一つか。
「追善供養のためになにもするな。念仏だけにせよ。」しかし葬儀は天台的なものになった。

「浄土宗の人は愚者になりて往生す」
聖典603ページ。88歳。与えられた姓名は「藤井善信」。なぜ「藤井」なのか。前例主義。30年前の天台座主、明雲が後白河上皇によって流罪にあう。罪名「藤井松枝」。
しかし親鸞は「禿」を名乗る。愚禿。愚禿釈。姓は個人を示すものではない。自分だけの姓としたのではない。類。共通の姓。
禿は破戒者。その内容が愚。仏弟子が破戒を生きている。無戒名字の比丘。戒律を守ることが僧の基本。しかし、結婚している人はいた。聖覚、隆寛。妻帯は許された。しかし、建前としては戒律。親鸞は事実に戻して、破戒を生活の形態とする。破戒せずに生きていけない人と共に生きる。
供養されたものは食べていいのか? 現実の生活と矛盾する。人間として守れない。だから無戒名字の比丘を指針として行く。現実に即して。いなかのひとびと。そうした人々と共に生きる。それが愚禿。われら。
「一枚起請文」。亡くなる二日前の文章。浄土門の修行は愚痴に帰る。念仏一つ。
知者の法。「さかさかしきこと」。賢賢しい。念仏一つに定まって、念仏を生きる。
「往生必定すべし」。印可。「ものをもおぼえぬ」、記憶は文字を知らないとできない。読み書きが基本。念仏一つに定まった人たち。
「愚」。嘆徳文。愚禿鈔。聖典423の「賢者」は法然のこと。
いなかの人々と同じく愚禿の生活を送ろう。
ほほえみを通して、愚痴であることを忘れることが念仏から離れること。自分の中の愚かさ。ねんぶつひとつと定まること。愚かな身であるという反省と共に、人々と共に生きようとした。我々は、この言葉を指針にしなければと思う。門徒とは違うと、上に立ちたがる。

佐貫の三部経千部読誦について
恵信尼消息 619ページ。「まはさてあらん」 今はそうしよう。建保二年。関東では実朝が法華経、般若心経を読誦させる。京都で雨乞い。年貢減免。
親鸞も依頼されたのではないか。実実しく。衆生利益のため。
善導。355ページ、往生礼讃。「自信教人信 難中転更難 大悲弘普化 真成報仏恩」衆生利益のためというのはおもいあがり。たすけられまいらすべし。歎異抄第二章。助けられなければならないのは私なのだ。共に弥陀によって救われるべき人間。
「弘」。普通の往生礼讃では「伝」。「礼懺儀」では「弘」。親鸞は後者を選んだ。私が弥陀に代わって伝えるのではない。信じる人が信じない人と共に救われる。

寛喜三年 二ねん6月9日、美濃武蔵に雪が降る。8月に京都で霜。大雨。季節が逆転。寛喜の大飢饉。寛喜3年。疫病。幕府が米を放出。餓死者。

人を助けるという思いあがり。助けられるという思いあがり。念仏ひとつを確認。人々と共に生きよう。上に立つこと、助ける立場とは念仏とはかけ離れたものである。偉くなったことではない、そういう縁に会うことができた。

「聖道門修行は智慧を極めて生死を離れ 浄土門の修行は愚痴にかえりて極楽に生まる」
八万四千の光明。八万四千は煩悩。摂取不捨の光明は人間の煩悩をみせることを内容とした光明。阿弥陀の光明は我々の眼で見れるものか。私が教えに触れて自分の煩悩を知った、それが光明が働いている事実。所照の自覚。自分の煩悩を知るということが照らされていることの中身。宇宙空間。遮るものがあって始めて光があることが分かる。
自分の煩悩を知ることに於いて、知らしめる光明に気づく。摂取不捨。
光をみたくてしょうがない。しかし、それは私にこういう煩悩があったのかとうなづけること。それを特別視してしまうとずれていく。煩悩があるとうなずける。自分に受け止めさせるのが摂取不捨の利益。
気づかせてくれたことをいただいていく。異常なことではない。ごく自然なこと。煩悩を見つめさせてくれるものに出会う。

聖典の言葉をちゃんと読んでいるということがこれまでなされていなかった。「藤井善信」。それが悪い意味を持つことを考えた人はいない。侮辱的意味があると考えたことがない。「名之字」、善信と書かないのはなぜかを確かめた人はいない。書かれたものを読む、拝読の仕方はあるとしても、意味を確かめることができていないと思う。穴ばかり。分かったつもりになっている。私は自分に得心が行くまで知りたい。

学ぶ事はいけないことなのか。こざかしくなるような学び方と事実を事実として受け止める学びは質が違う。

名づけられる。他人の願い、打算、思いが。意味が分からない。こたえきれない。
名乗り。自分で決めた。自分の中に理由がある。名乗ったことがないと分からない。
綽空は法然に付けられた。しかし、善信こそが適している。ところが善信を罪名にされる。屈辱的。
法然亡き後の課題として親鸞を名乗る。愚禿釈の鸞 禿は流罪を契機。

見下された人々が、本願に救われる人々なのだ。
元気を出す。生きて働いた言葉。愚者になりて往生す。
愚者、悪人と侮辱された人々が、そうではないと見直す基点となった。
侮辱された人々が、敬われていることに気づいていく。

「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」
関東だけに限るものではない。浄土宗、吉水の集いも含めて考えるべき。こういう姿勢が念仏するものには大切なのだ。親鸞に於いては、とすると矮小化。聖人だけは一人も持たなかった、他の人はよい、ではない。弟子を作るような広がりはおかしい。諍論が絶えない。念仏というものの教え自体がそういう性格のものなのだ。他の教えは弟子を作る。念仏はその感覚と違う。個人的な性格ではない。
こういう感覚がおかしいということに気づいていく。弟子を作るのではない。念仏を本当に喜ぶことにならない。偉ぶるものがでてくるのは専修念仏ではない。
それを気づかせたのは法然上人。七高僧の問題。そのもとは法然上人の浄土五祖。

先生に出合わなければならないという仏法ばかり。
出会っている人は感激が強すぎる。教えを自分の姿勢にしている人は少ない。
念仏は師を仰ぐ仏道。常に弟子。弟子の道を歩む。

2007年03月28日

●植木等さん

亡くなられました とても悲しいです

本日のお講は植木等さんと 植木徹誠さんのお話しをすることにしました

南無阿弥陀仏 合掌

2007年03月27日

●同朋会レジメ

信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、
「信心を獲得し、仏を見て、敬い、大いに喜べば、」

すなわち横に五悪趣を超截す。
○五悪趣 地獄・餓鬼・畜生・人・天。修羅が加わると六道。
 流転する迷いの世界。
○超截  切って超えてしまう。
「すなわち、よこざまに、迷いを断ち切ります。」

一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、
「善人も、悪人も、どんな人も、
 阿弥陀如来の本願の教えを、聞信すれば」

仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。
○広大勝解 よくわかった
○分陀利華 白蓮華
「仏は、「よくわかったな」と、おっしゃいます。
この人を白蓮華と名づけます。」

弥陀仏の本願念仏は、 邪見驕慢の悪衆生、
○邪見 よこしまな見方をもつこと。
○驕慢 おごり高ぶって見下す。また、そのさま。
「阿弥陀仏の本願念仏の教えについて、
よこしまな見方をもち、教えを見下す人々が」

信楽を受持すること、はなはだもって難し。難中の難、これに過ぎたるはなし。
○信楽 信じ、ねがうこと。
「信心を受け、たもつことは、とても難しい。
難中の難です。これ以上難しい事はありません。」

(補足)「聞信」について 涅槃経より

「信不具足」
 また言わく、善男子、信に二種あり。一つには信、二つには求なり。かくのごときの人、また信ありといえども、推求するにあたわざる、このゆえに名づけて「信不具足」とす。
 信にまた二種あり、一つには聞より生ず、二つには思より生ず。この人の信心、聞より生じて、思より生ぜず、このゆえに名づけて「信不具足」とす。
 また二種あり。一つには道あることを信ず、二つには得者を信ず。この人の信心、ただ道あることを信じて、すべて得道の人あることを信ぜず、これを名づけて「信不具足」とす。
 また二種あり。一つには信正、二つには信邪なり。因果あり、仏・法・僧ありと言わん、これを信正と名づく。因果、三宝の性、異無しと言いて、もろもろの邪語富闌那等を信ずる、これを信邪と名づく。この人、仏・法・僧宝を信ずといえども、三宝の同一性相を信ぜず。因果を信ずといえども得者を信ぜず。このゆえに名づけて「信不具足」とす。この人、不具足の信を成就す、と。

「聞不具足」
 いかなるをか名づけて「聞不具足」とする。如来の所説は十二部経なり、ただ六部を信じて未だ六部を信ぜず、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。
 またこの六部の経を受持すといえども、読誦にあたわずして他のために解説するは、利益するところなけん、このゆえに名づけて「聞不具足」とす。
 またこの六部の経を受け已りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有のためのゆえに、持読誦説せん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす、と。

2007年03月24日

●スピリチュアルな阿弥陀経

明日、午後から組同朋会です。
テキスト阿弥陀経で、正宗分に入ります。
阿弥陀経に取り組むのは初体験。
「極楽」っていいですよねぇ。
もう、すぐ行ってしまいたい気分になるほど、読めば読むほど夢心地になってしまいます。
しかし、親鸞は「極楽」って言葉はあまり使わなかったし、阿弥陀経の荘厳についても取り上げていない。
私なんかも、意外に、こういう極楽世界のことについては、法話とか聞いたことがない。
だから、悩みました。
どう話したらええのやらと。

香山リカ「スピリチュアルにハマる人、ハマらない人」を読んだことが、一つ、突破口になりました。
教祖との個人的一体感とか、利他主義的な考え方が皆無というのは、もろ第二十願の問題ですよね。
「読み解く」第五巻 p172にある三心釈の配当においても、真門は深心釈(二種深信)だけで、至誠心、廻向発願心からの引文はない。けっきょく、利己的で、自己完結の世界と親鸞は見てる。すんごい、きびしい見方だと思うけど。

スピリチュアルと阿弥陀経の世界観というのは、けっこう重なるかもしれない。
そのあたりから話せたらなーと、思ってます。

2007年03月16日

●小松教区連続講座プロローグ(完成版)

1980年に出版された「不安に立つ」という対談で、安田先生は以下のように話しておられます。

歴史的、社会的現実というものが大事じゃないのかな。

それをどこまでも思想的に内面化していく。

この生々しい現実というものの問題がはっきりしてくれば、日本だの本願寺だのではない、人類が救われるんだ。

こういうことを普遍概念としていくというのが、教学でしょう。(略)

それ以外に、われわれの身をおくところはないじゃないか。

全世界の重圧を引きうけにゃならん。

このいちばん浅薄な、腐ったような現実の中に身をおかにゃならんでしょう。

教理や理論ではなくてね、悩みぬかなければならんわね。

そういうところに立たんと、教学も出てこないのじゃないのかね。

このお言葉を、多磨全生園(国立ハンセン病療養所 東京)の真宗報恩会で歌い継がれている「しんらんさまはなつかしい」という唄を通して、掘り下げてみたいと思っています。

2007年03月15日

●カルト問題研修

この時期の寒波は堪えます。お参りに家々をまわっていると、頭痛がしてきます。

午後から教区の研修会に参加しました。以下、メモ。

どういうものがカルト宗教か。

自分達だけが絶対に正しい。他の人は地獄に落ちる。他を極端に否定する。

情報遮断。否定的な人間からの情報を遮断するようにコントロールされている。新聞もウソ。否定するものの情報は一切聞こうとしない。

勧誘。信者開拓を義務的に行う。極端に行う。

抜けられない。そこが極楽であり、そこを抜けるのは地獄。恐怖感が植えつけられている。脱会自由といわれているが、自分の中のサタンを押さえるように人格形成されている。

マインドコントロール。1980年代。統一教会事件。山崎浩子が記者会見で言った言葉。洗脳とは違う。洗脳は薬物や暴力によって刑事罰を受ける。マインドコントロールは罪に問われない。同じことを何度も繰り返し。外界遮断。何時間も勉強会。すし詰め状態で人格を変えていく。

なぜ、カルト宗教は悪いのか。
入り口で嘘をついて勧誘している。宗教色を最初は見せない。

信教の自由。脱会させるために活動しているのではない。子どもが親とこれからどう対話するのか。強制脱会の後のケア。正しい教えはどこにあるのかと議論すると、両者を天秤にかけることになる。もどってきたときに怒らない。ふるさとは家である。受け皿になる土壌を大切に。
間違いをきづかせるのは困難。脱会させるという接し方は無理。仲間になる。家族に危険性を伝える。話し相手や相談相手になる。信仰を変えることはできないが、相談相手になる。

あまりの寒さに、挨拶ばかりで、早々にお参りをすませていたのですが、これじゃあかんなと思いました。

2007年03月09日

●法然と親鸞 その5

華の会、終わりました。 

まず、出家と法難を中心に法然の生涯を追ってから正信偈の文言へ。
選択本願の説明と浄土宗開宗の意義についておはなしました。

若坊守さんたちが、ぐいぐい内容に入ってこられるのを感じました。
法然上人の教えは、実に明快で分かりやすい。
聞く人に、ぐっと迫るものがあるんだと実感しました。

しかし、一番仏教から遠いとされていた人々こそ、弥陀の救いの対象なのであるという、法然の逆転の発想は、理解できたとしても本当に信じる事は、とても難しい。世の中はしっかりエリートを頂点としたピラミッドになってるし、自力中心の考え方は、人の本能といってよいほど抜きがたい。信じることができたと意識したとしても、今度は称える念仏を、自らの救いの手段にしてしまう。仏智疑惑が終わらない、人の本性。

正信偈源空章の後半に、「疑情」と「信心」という言葉を親鸞が選んだ意味が分かりました。ここからの問題を、この後の信巻と化身土巻で展開したんだなぁと、思い当たったことでした まる

2007年03月08日

●法然と親鸞 その4

華の会はいよいよ明日になった。
選択集、本願章からの一文を配布することにした。

念仏は易きがゆえに一切に通ず。 諸行は難きがゆえに諸機に通ぜず。

しかればすなわち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、
難を捨て易を取りて、本願となしたまへるか。

もしそれ造像起塔をもって本願とせば、
貧窮困乏の類は定めて往生の望みを絶たむ。
しかも富貴の者は少なく貧賎の者は甚だ多し。

もし智慧高才をもって本願とせば、
愚鈍下智の者は定めて往生の望みを絶たむ。
しかも智慧の者は少なく愚痴の者は甚だ多し。

もし多聞多見をもって本願とせば、
少聞少見の輩は定めて往生の望みを絶たむ。
しかも多聞の者は少なく少聞の者は甚だ多し。

もし持戒持律をもって本願とせば、
破戒無戒の人は定めて往生の望みを絶たむ。
しかも持戒の者は少なく破戒の者は甚だ多し。

自余の諸行これに准じて知るべし。

まさに知るべし、上の諸行等をもって本願とせば、
往生を得る者は少なく往生せざる者は多からむ。

しかればすなわち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、
普く一切を摂せむがために、
造像起塔等の諸行をもって往生の本願となしたまはず。
唯称名念仏一行をもってその本願となしたまへるなり。

これで「選択本願」について話そうかと。
うーん、何度読んでも、法然上人はすごいなと思うところだ。
昨日の山内さんの講義から、たくさん刺激を受けたが、↓の抜粋にあるように、法然上人の教えを簡潔に語られる場面があった。「ただ念仏」というのは日頃、浄土真宗の教えとしてなじんていることだ。「真宗教証興片州」、宗祖は親鸞であるという頭が私にあるのだが、親鸞自身は「真宗」とは法然の教えである、といただいていたはずだ。わたしが「真宗」としていただいている教えは、法然の説かれたことではなかったか。
ならば、「教行信証」は親鸞の独自性を示したものではないのか。教行信証で語られる教・行・信・証はすべて他力回向の成就だ。ということは、いわば人間の領域にあることを語ってはいない。人間の行ということについては法然の「ただ念仏」に尽きている。教行信証で語られる信の問題はいわゆる法の問題としてである。だから信心を磨いて三願転入して第十八願の信心でゴールということではない。選択集は人の行を示し、教行信証は仏の仕事を示している。
とはいえ、「選択本願」という仏の仕事を選択集は示している。選択集に他力の要素がないわけでもない。

「尊号真像銘文」。「源空聖人」の真影に「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」、三選の文、そして「、生死の家には疑を以て所止 と為、涅槃の城には信を以て能入と為。」、選択集の三箇所からの引文が添えてある。教行信証には選択集から同じ三箇所だけが引かれている。親鸞とすれば、やはりこの3つに文にこだわりがあったということだ。

正信偈。「生死輪転の家に還来ることは、 決するに疑情をもって所止とす。速やかに寂静無為の楽に入ることは、 必ず信心をもって能入とす、といえり。」がよく分からないと書いてきた。それは「信心」ということに戸惑ったのであった。ただ信ぜよといわれても、なんだかな、みたいな。しかし、疑情と信心の対象は「選択本願」であると考えたら、なんとなく、すんなりキタような気がしてきた。

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。

●小松教区連続講座プロローグ

 東京都東村山市に多磨全生園という国立ハンセン病療養所があります。
 そこにある真宗報恩会という集いで歌い継がれている、「しんらんさまはなつかしい」という唄をみなさんに御紹介しようと思っています。

 国の政策によってふるさとを追われ、親鸞聖人を心の親として生きた人々がいます。
 出家、師との出会い、法難、流罪、関東、義絶と、救いの道を求めつづけられた聖人の生涯に、みずからの人生を重ねて生きた人々がいます。

 あらためて聖人の生涯をふり返り、「しんらんさまはなつかしい」を通し、そこから念仏者の人生観についてご一緒に考えたいと思っています。
(推敲中)

2007年03月07日

●山内小夜子「靖国問題に学ぶ」ノート抜粋

真宗と神祇・国家と宗教。聖人の時代からこの問題はあった。承元の法難から800年。住蓮、安楽が首を切られる。真宗の教えは、シンプル。弥陀の本願を信じて、念仏申せば仏になる。どうして、シンプルなのか。それしかできない人のための教え。寄進ができない生活者、出家をすることができない生活者。ひとり残らず救われる道を求めたのが法然。真宗門徒は弥陀一仏。摂取不捨の本願。善悪浄穢なき。必ずすくい取ります。念仏の行者のライフスタイル。
身体は世間に生きている。娑婆。守らなければ成らない秩序。善悪。車座の文化。花見。それぞれがそれぞれの枠をはみ出ないように、監視しあっている。他者に対しては傍若無人。内側に向かっては一定の秩序。外は省みない。車座という世間。共同体の質の問題。部落差別、靖国問題と関わる。
世間における善悪、秩序、利害。世間の善悪は時としては宗教性を持つ。神祇と関係がある。地域社会、世間の権力を統合していく、裏打ちしていく権威。
1945年以前の日本。天皇が一番偉かった。天照大神によって権威付けられた。共同体の宗教として生きていた。そこで弥陀一仏、阿弥陀だけと言ってしまうと、そのまま権力を否定することになった。拒否、なじまない。反権力。非国民。国賊というレッテル張りとなう。神祇は厳しい内容を持つ。
靖国も権威を裏付ける。信心が問われる。権力を裏付ける権威について考えることは、どういう国や共同体、世間を願うのかということである。宗教的権威を国が利用することもある。神祇という宗教性をもって共同体の宗教として、大衆を統括しようとする。
9・11 アメリカ。ブッシュによる派兵。政治的行為を聖書に誓いを立てながら。正当化した。権威化する為に宗教を使う。1945までは国家神道。現人神を中心とした国家作りをしてきた。宗教と権力、権威。政治が宗教を使う。→人間宣言
日本が仏教が入ってから、この問題はあった。神祇に裏打ちされた国家。1207年。承元の法難。興福寺奏状。吉水教団へ。嘉禄の法難。比叡山からの奏状。
阿弥陀一仏の念仏者に対して、後鳥羽上皇は法難を。国権力が仏教徒の首をはねる。その理由。興福寺奏状。叡山奏状。その共通する項目。
1、私に宗教を立てる。聖人の時代の公は公家。
2、神明・霊神に背く。「吾が朝は神国なり、神道を敬うを以って、国の勤めとす」
王法を軽んじる。霊魂を教えない。日をみない。神祇を軽しめる。
戦後世代の靖国問題。3つの課題が絡まっている。
1、私はどういう国を願うのか。仏国土にいきたいと思って穢土を生きている。
2、歴史認識。戦争で亡くなられた人が祭られている。近代史、現代史を学んでいない。どういう歴史にのうえにあるのか
3、他者とどこで出会えるのか。日本人としての自分が他国の人々とどのように出会っていけるのか。出会える場。なにを拠り処に生きているのか。

よい死に方、悪い死に方? 真宗への冒涜、臨終の際を問わない。凡夫の生を生き、死す。ただの死を死んでいく。どう死んだかは、どう生きたかということ。死をほめたたえられる事は耐えられないこと。どの人の死でも悲しい、痛ましいこと。残った我々は、亡き方の視線をいただきながら、どういう願いをもっているかを考える。
住蓮、安楽を聖人はどう扱ったのか。二人を殉教者としては扱わない。どうして彼らが死んでいかなければならなかったのか。後序。歎異抄。どうしてこういう関係が生まれたのかを考えた。なぜこれがおこったのかを批判。仏教であることの根拠とはなにか。ほめたたえたら、弾圧の不当性は見えなくなる。戦死、戦争反対の死、両方をしっかり見ていく。亡くなられた方々と向き合っていく。
市川白玄 仏教者の戦争責任 仏教者の戦争に対する罪責 戦争の勃発と同時に起こるのではなく、平和への罪責として起こるのである。過去から罪や責任を学ぶこと。
ここにある私は、先祖達の歴史の流れにある。それはしなかったことも相続して、頂いている。また次に手渡さなければならない。どう手渡すのかというのが責任。個の自覚。存在するものの責任を継ぐこと。選ぶのではなく、信心をうる主体性の回復。

2007年03月06日

●法然と親鸞 その3

そして先日、それこそ20年ぶりに井上円さんとお会いした。
歎異抄「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」について、面白いことを話された。
親鸞という人は、弟子をつくる人ではなかった。
師を次々に見つけ出していった人であったということだ。
親鸞が見出していった七高僧たちは、様々な位置づけをされているが、それなりにさかのぼっていくことができる。(天親→龍樹は無理かな。曇鸞→龍樹だ。)
親鸞は浄土教における到達点、頂点であると、宗派の教学に携る方々はよく話されるが、かなり危険なことだと思う。親鸞にしてみれば、七高僧たちがすでに見出してきていたことを、自分の時代状況と問題意識の下で確かめたのが、教行信証なのであろう。
だから、親鸞には法然にはない要素があると書いたが、正確には法然からさかのぼった曇鸞のなかに大切なものを見出したということだ。

まぁ、そんなこんなで、なぜ親鸞が選択集の中から「生死の家には疑を以て所止 と為、涅槃の城には信を以て能入と為。」だけを正信偈に抜き出したのかについては、結局、ピンとくる理由が見つからない。

2007年03月04日

●法然と親鸞 その2

 先日、池田勇諦さんの秋安居を拝聴して、いろいろ刺激を受けました。証巻についての講義でした。
 教行信証においては、「必至滅度の願」、第十一願が「証」の根拠として示されています。証巻に取り上げられているのは、いわゆる「往生」ではなくて、「住正定聚」であり、「必至滅度」なんです。「住正定聚」も「必至滅度」も、どちらも「成仏」ということを念頭に置いた言葉です。
 親鸞は教・行・信・証の根拠ををそれぞれ、大経の願文に尋ねて示しています。証を第十一願に尋ねることによって、当時の日本浄土教にはなかった要素が生まれました。法然では臨終往生の色合いが強かった念仏の証果を、親鸞は成仏へと至る道程として表現したということです。往生とは歩み続けること。
 浄土教は寓宗、添え物にしかすぎないという蔑視の中で、法然が善悪の凡夫を救う「浄土宗(真宗)」こそ本当の大乗仏教であるという名乗りを上げたことが「法難」の引き金になりました。親鸞に教行信証を書かせた動機はこの法難であったという考え方を、池田先生もされていました。
 親鸞の第十一願への注目は、曇鸞の論註、三願的証の流れを汲んでいます。「親鸞」という名乗りは、法難の後であるという意見も思い起こされます。師、法然にはなかった要素に、親鸞は法難後に注目したのではないかということです。

●法然と親鸞

9日華の会、テキスト正信偈にていよいよ最終の源空章です。

本師・源空は、仏教を明らかにして、 善悪の凡夫を憐愍せしむ。
真宗の教証、片州に興す。 選択本願、悪世に弘む。
生死輪転の家に還来ることは、 決するに疑情をもって所止とす。
速やかに寂静無為の楽に入ることは、 必ず信心をもって能入とす、といえり。

後半部分の出典は選択集、三心章です。
次に深心とは、謂はく深信の心なり。当に知るべし、生死の家には疑を以て所止 と為、涅槃の城には信を以て能入と為。故に今二種の信心 を建立して、九品の往生を決定する者なり。又此の中に一切の別解・別行・異学・異見等と言ふは、是聖道門の解行学見を指すなり。其の余は即ち是浄土門の意なり。文に在りて見るべし。明らかに知りぬ、善導の意亦此の二門を出でざるなり。

選択集といえば、二門章、二行章、本願章が有名で、三心章は善導の三心釈の引文がほとんどです。また、太線の部分は尊号真像銘文にはありますが、教行信証の他の場所には出てきません。なぜ三心章の上記の箇所をあえて正信偈に取り上げているのか、考えていました。
いま、思うところは、正信偈、源空章は、親鸞が独自の視点で選択集のポイントを押さえているということです。前半部分は、三心章にいたるまでの選択集の展開を四句で表している。そして後半部分は、善導三心釈(信心)に対する、法然の受け止め方を一番示しているとして、親鸞が選んだ四句ではないかと。
親鸞の三心釈の受け止めは、己証として信巻、そして化身土巻にて展開して行きます。その前に、師からの伝承を正信偈で押さえたということでしょうか。

時間があるので、選択集に引文されている善導三心釈と往生礼讃の部分が、教行信証ではどのように取り上げられているのかを見比べるということもやりたいと思っています。

2007年02月18日

●組 同朋会

阿弥陀経二回目。

仏典童話「パンタカ兄弟」の大谷派ビデオを使用。

そこから、舎利弗を目連と対比させて説明。

さらに、なぜ阿弥陀経の対告衆が舎利弗なのかを話した。

このところ、プロジェクターのプレゼンが続いていたのが
今回はビデオ学習はあるものの、従来の黒板を使った法話スタイル。

座談会というか、質疑応答での反応を鑑みると、
内容が伝わっていないような気がして、非常に不安になった。

聴衆との間に機械を挟むことによって、オレは安心感だけを得ていたのかな。
「伝わっていた」という感覚は、まぼろしだったのかな。

って、思ったりしたり、してます。

2007年02月11日

●「聖人の生涯」プレゼン

親鸞聖人
のご生涯

4月1日

宇治に近い
日野の地に

親鸞聖人は
誕生された

聖人は両親と

早く別れられた
と言われている

9歳で得度

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あすありと

おもうこころの

あだざくら

よわにあらしの

ふかぬものかは

29歳
比叡山を下りて

法然上人に
であう

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わたしの信心と

法然上人の信心は

おなじです

阿弥陀仏から

たまわりたる
信心だから

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35歳
法難

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聖人は
越後に流罪

42歳
関東へ移住

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愚禿釈親鸞
と名のり

20年あまり

いなかの人々と

苦楽を
ともにされる

82歳
長男善鸞を義絶

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90歳
11月28日

生涯をとじられる

ハンセン病療養所を
訪ねて

2006年4月13・14日
多磨全生園

東京都東村山市

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真宗報恩会に
つたわる歌

「しんらんさまは
なつかしい」

かぜもないのに
ほろほろと

だいちのうえに
かえりゆく

はなをみつめて
なみだした

しんらんさまは
なつかしい

よはのあらしに
はなはちる

ひともむじょうの
かぜにちる

はかないうきよに
なみだした

しんらんさまは
なつかしい

とうさまかあさま
うしのうて

ひとりるてんの
さびしさに

こころのみおやを
さがします

しんらんさまは
なつかしい

じひのなみだに
めがさめて

くおんのみおやを
ふしおがみ

ほとけのいのち
たたえます

しんらんさまは
なつかしい

やみにさまよう
われらをば

みむねにしつかと
いだきしめ

ひかりにかえれと
しめします

しんらんさまは
なつかしい

まずしきものの
てをとりて

われもさびしき
ぼんぶぞと

だいちのうえに
ひれふした

しんらんさまは
なつかしい

あらしいばらじ
ふみこえて

ただしんじつの
びゃくどうを

あゆみつづけし
わがちちの

しんらんさまは
なつかしい

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本願力に
遇いぬれば

むなしく
すぐる

人ぞなき

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孤独の闇から

響きあう
世界へ

2007年02月01日

●明日のプレゼン

第10組門徒会の方々対象に
富山教区御遠忌テーマ「差異 つながり そして、いのち -孤独の闇から響きあう世界へー」
について一時間弱の話をせよとのご依頼です。

いろいろ考えたのですが、先回の「ハンセン病療養所を訪ねて」のプレゼンを、
以下の言葉を加えて、そのまま使うことにしました。
ーーーーーーーーーー
富山教区
御遠忌テーマ

ちがい
差異

つながり

そして

いのち

ちがい つながり
そして、いのち

大信海
を案ずれば

貴賎・緇素
をえらばず

男女・老少
をいわず

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孤独の闇から

響きあう
世界へ
ーーーーーーーーーーーーーーー
療養所の報告から御遠忌テーマへどのように移行するのか。

出たとこ勝負、かな。

2007年01月31日

●五劫思惟像 再調査

尾田さんからのご依頼で昨年の九月に載せた絵像をお借りして、調べました。
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裏書はなかったのですが、「五劫思惟 阿弥陀如来」という文字が確認できました。

2007年01月28日

●住職修習講義ノート

真宗学をするならいなかのおじいさんおばあさんの顔を見ながらにしなさい。聖人が、とも同行の人々と生きたように、観念的になってはいけない。寺で生活するとは法要をすることだけではない。聞法求道を生活とする場である。どうしたら聞法求道の場となるのか。どうかご門徒といっしょに。指導者意識をすてて共に歩むことが念仏するものの道です。問いを持続することを精進というのです。
求められるのは答え。あなたはなにを問いとしていますか。答えが求められる。丸かバツか。正しい答えを出して優秀な答えを出すことが求められている。
辛抱、辛さを抱える。問いを抱えることが一番辛い。なぜ生まれてきたのか。寺とは何か。門徒とは何か。どう生活したらいいのか。それに対して、答えを学ぼうとしている。それは役に立たないだろう。マニュアルはない。辛→幸 幸せの求め方は曖昧。問いを持続することが重要。よき人との出会いがなければ学び続けられない。
継職。なにを継ぐのか。日本人一般は、長男に家をついでほしい。家を継承するため。家は先祖祀り。われわれの幸不幸に関わるから。慰霊鎮魂。本家の息子の仕事。混乱しないように司祭権を持った人間が一族をまとめる。住職継承はそれと同じか? 真宗は先祖祀りはしない。職とは何か。聞法求道。教えを聞き、教えを相続する立場。なにを継ぐのか。なにを継いでほしいのか。本堂? 財産? 寺とはなにをするところなのか。聞法求道の場をどのように実現するのか。在る寺から成る寺へ。建物、法人としてあるものが、聞法求道の場にならなければ。責任は建物の維持管理だけではない。本当の命の拠り処を公開していけるかである。本当の寺になるにはどうしたらいいのか。問いを抱えていく。
自分の寺の状況の中で、住職と総代が話し合う。責任の重さ。自分の立場でなにができるか。そういうところに立って、生きる。同朋という言葉を使って課題を共有する。
大谷派がなにを願いとする教団なのか。宗憲前文に「同朋」が5回出てくる。宗門存立の本義。立教開宗の本義。本義。同朋社会の顕現。同朋会運動を推進する。
同朋とは「とも」。同胞の意味。はらから。胞衣、えら(あかちゃんをつつむ膜)はらから。親を同じくする。血のつながり。それは上方志向を持ちやすい。優位に立ちたい。血のつながりの共同体。他よりも上でありたい。ゆがみやすい。オリンピック。他の血のつながりに劣ることを許さない。一番になれ。最上尊。金メダルで無いとダメ。←→無上尊。かわりようがない。どの花見ても。あなたはあなたのままでいい。比べる必要は無い。無上尊の人間の関係が同朋。釈迦、諸仏を師とする。釈迦と、教えを相続してきた人々。一列平等の関係。親鸞は弟子一人も持たず。
はらから、同胞が人間の生き様。そういう生き方をしている我々がそのことを自覚し、なおかつ同朋という生き方に生きていこうとする。同胞、そのことだけに執着していてはならない。御同朋御同行といいながら背いてきた歴史がある。何が正しいか、何がゆがんでいるのか分からなくなる。見えなくなる。
同朋会運動の点検総括。大谷派の課題。個の尊厳と存在の平等が保たれる社会。一人一人の命の尊さ。自我、エゴの尊厳ではない存在の平等。互いに違う存在であることを大事にする。このことを生活の中でどのように受け止めていくか。そこで寺はなぜ存在するのか、なにをする場所なのか。
同朋精神。歎異の精神。廃悪修善 破邪顕正の心は真宗ではない。道徳的良心を押し付けるのも真宗ではない。異なるを歎くとは、慙愧。人間が人間であるために大事なもの。恥ずかしいと思う心。それがなければ人間ではない。畜生と為す。無慚無愧のこの身にて 慙愧していると思っていても、頭が下がらない。下げられるが、下がらない。慙愧にならない。同朋社会、我々の寺がそうなるかならないか。どうすれば聞法求道の場となるか。寺とは、そういう場を賜るということ。

総代の使命 人を生み出す。この場から人を生む出す場が無ければ、教団は存続しない。我々の寺も、本堂は何のためにあるのか。儀式執行の場と同時に、人を生み出す場でなければならない。蓮如上人の働き、講。門徒の自治組織。集い。定められた日に仏法の讃嘆や、談合をする集い。仏法を讃嘆し、確かめ合う。そのために話し合う。御同朋御同行すべての人が一列平等に集う。武士も、百姓も同じ場所に座る。なぜ寄り合い談合なのか。我々が聞きまどうから。素直に受け止めるばかりではないから。意巧に聞く。こころたくみにきく。自分の都合のいいように聞く。得手に聞く。得手勝手に聞く。それを見つめかえず場所が必要。慙愧。反省ならば、反省した自分を甘やかす。反省したふりをしながら、反省していない。慙愧は自我のものさしではできない。経験、体験に縛られ、我を持つ。
仏教は難しい。世間のことではないから。邪見驕慢悪衆生。仏教を自我のものさしで計る自分が難しい。自分の我に合う話。本当の話は自我を突き抜ける。それが仏法。仏法の教えを聞いて、問いを持ち続けることから。寺という場所を使ってやっていく。教えを聞いてもらう場所、その首座に立つ。後ろ姿がないと伝わらない。聖人は阿弥陀仏に手をあわせている。こちらを向いているのではない。諸仏。背中で伝わっている。道しるべは弥陀の方向を向いている人の後ろ姿。
寺、本堂を聞法求道の場にする、人を生み出す場所にする。参る人が仏の方向を見ることで本堂が成り立つ。わが身が欠けている。どんな身であるのかが見えていない。手を合わす場。時間が無ければ手を合わせられない。それほどに我々は弱い存在。こういう場によって、真宗の歴史が生み出されている。そこから念仏する人が生まれてきた。
ゐなかの人々を、とも同行にしていった。その地域社会の門徒が命の拠り処にしてきた。そういう場所がないと手を合わすことができない。どこでもできるか。できはしない。
 帰るところがはっきりしているから安心、ガマンできる。帰るところがはっきりしなければ不安。生きていることが不安になる。命終わったときに浄土にいたる。必ず。仏の願い。仏願の生起本末を聞いて疑心あることなし。願いに照らされていること、わたしのためにと聞く。聞かせてもらう場と時が無ければ。つめてあげるのではなく、仏事のときを用意してくださり、わたしのための、人生の意義を見出す場を用意してくださった。
人生をむなしく過ごすのではない。一人では聞けない。それが門徒としての証。
住職と総代が問題をどのように共有するか。互いに言える場所を作る。社会の問題が縁。私たちは自分から世の中に矢印を向けている。反対である。わたしがどうするというより、そこから私が問われている。この世の中で私たちはどのように生きるのか。お互いが自分に向かって問いかけられている。「弥陀成仏のこのかたは」「法身の光輪」「世の盲冥」奇麗事ではなくて、私に至った仏願。仏の光は既に、私を救うために照らしてくれていた。世の盲冥。それはわたしの闇。闇ときずかなかった。願われていた。私が照らされている。そこそこに生きていける。そこその人生。もう一つむなしい。どうしたら闇が晴れるか。照らされているという実感が無い。光は遮るものがあれば、あることが分かる。遮るとろにしか届かない。邪見驕慢にしか届かない。この世の中の闇に対して、我々はどのように、それをご縁に教えを聞けばいいか。
批判を受ける。泥かぶってほしい。一緒にやってくれませんか。問題を抱える辛抱。勇気。信は願より生ず。願いが清らかならば、生まれる信も清らか。不浄なら、両方不浄。

住職の使命。一番悩んだことは、真宗の教えに生きようとすればするほど、そうでない機構や教学が見えてくる。非違。寺の作り、装束、儀式作法、これがどうしてこうなったのか分からない。教えてもらえない。古い宗門体質の克服。現代社会との接点。真宗門徒の自覚と実践。御同朋御同行、同胞狭い共同体。過去をなかったことにはできない。現在の自分が立っているところが見えない。過去においてなぜ、非違化したか、狭い共同体意識のなかにこもってしまうのか。
聖人は御同朋御同行、念仏の僧伽。覚如上人が、本願寺を作る頃に権威化。御伝鈔、「本願寺聖人」として親鸞を位置づける。10代証如が権僧正になる。門跡。法主。一家衆といわれる寺、八ヶ寺が、朝廷から院家として認められる。一門一家。蓮如に血のつながる寺。九代の実如の仕事。蓮如の血統を本願寺の流れに取り入れた。血統となった。なにを継ぐのか。実如は血統とした。1565、石山本願寺が法衣の制度を定める。1569、本願寺が門跡へと。本末制。本山と末寺。「親鸞は弟子一人も持たず」なのに寺と門徒を分けることに関わる。皇族、摂関家。摂政。関白。貴族が入る寺を門跡。聖人は皇族とのつながりを持とうとしたのではない。宇多天皇897 931没 院政。御室の仁和寺。仁和は年号。真言宗。御座所。仁和寺の補佐する寺が「院家」。現役の天皇に仕えるのが「公家」。蓮如の後、院家、門跡となった。御門、帝であった人が入る寺。親鸞の思想には無い。
宮中に参内するための正装が色衣。教如上人のころ、寺格は九段階に。貴族、権威主義。1991年寺格廃止。
理想で現実を批判するのではない。教団の事実。寺と門徒。キリシタン禁止。宗門改め役。寺請証文がなければキリシタンとみなされ、一族郎党殺された。住職に逆らえなかった。
自分はこんな歴史を聞いていない。もし、このことを知らなかったら、ぞっとする。だれも教えてくれなかった。まじめに生きようとすれば、親鸞の教えに反するものが見えてくる。僧侶として住職としてどういう世界を求めたらいいか分からない。この原因を認識しないと。歴史を受けて我々がいる。根本的な原因は、御同朋御同行といいながら、血のつながりによる仲間意識が縦関係を許す。霊魂がさまよわないようにと、先祖供養をしてしまう。
住職とは何か。仏法住持職。自信教人信。曽我量深、自信教人自信。分かったから教えるでは無い。住職という責任は重い。寺を預かる。代表役員。重い責任を担う。担うという喜びがある。担うものが無ければ生きる力が湧かない。担わせていただく。住職という席を本願力により担わせていただく。自分はどう生きたらいいのか。我々は、願いを持つが、願われている存在なのだ。住職も、願われている。如来に。
願われている存在だと言うと変わる。生きていく自信が無い。自分がどうしたらという以前に、願われている。もういっぺんやろうという気持ちになる。自分が受け止めた仏の教えを自分の言葉で表現された。一人の住職として、自分がご縁をもつ寺に責任を持つ。自分のご縁のある寺に責任を持つ。自分の寺に責任を持たなければ、社会活動ということもない。新しい寺、歴史のある寺。伝承と己証。伝承だけでもダメ。己証だけでもダメ。七高僧が伝承。正信偈が己証。どういう形で自分の寺で具現化していくか。
現代社会との接点というと、そういうことではなくて、親鸞聖人の教えをききたいと言われるかもしれない。。しかし願文には「十方衆生」とある。宇宙の生きとし生けるものに向かって、本願が説かれている。成就したところには「諸有衆生」。我々は常に排除している。関わりは無い。なんとも思わない。差別を受けている人や社会的弱者は私たちの目には入らない。
寺檀関係は抜き差しならない。キリシタンにみなされる。住職に逆らえない。住職には逆らってはならないというのはそういう歴史をもっているから。そこに気づかない。門徒の自覚と実践。どこでそういえるのか。われわれのなかに厳然とある迷信。
しかし、理想に思い描くことで現実を裁いてはならない。社会、寺に起こる問題。批判する力は強いが、人間関係は崩れる。自分が100パーセント正しいとしても、半歩にする。提示する。こう変えたい。総代、門徒がどう答えるかを聞いて進む。人の意見を聞いて、受け止めたところから一歩出る。そのことの持つ意味を思い出してほしい。
「静かに己を悲しむ心より真実の力はうまる」武内了温
「己が」と考えている。己自身を悲しむ心が無ければ、本当に悲しむことにならない。
己で悲しんでいるばかり、己を悲しむ。
なにを視座にして、おかしいことをおかしいというか。どこに心を立てるか。おかしいと言った自分が問われる。私たちは戻っていける世界をもっている。念仏のなかに。それは誇り。信順を因、疑謗を縁に。疑わない、謗らないではない。小手先だけの住職は見透かされる。門徒を侮ってはいけない。共に生きていく。

2007年01月22日

●阿弥陀経1.gif

cu0949179.gif

師匠のアドバイスをいただき、ここで作りました。

2007年01月17日

●阿弥陀経 初回 「高橋メソッド」で

高橋メソッドを使用してみたいけれど、プロジェクターは間に合わないようです。


如是我聞
-
かくのごとき
我聞きたまえき
-
このように
わたしは
聞かせていただいた
-
大乗経典は
釈尊が直接
語られたものではない
-
仏滅後200年から
300年後に
-
経典を生み出した
人々がいた
-
「わたしの仏教とは
こういうものです」
-
「釈尊はこういうことを
おっしゃる人です」
-
経典を生み出した
人々がいた
-
釈尊の言葉そのものが
残っていたとしても
-
それを読む人
実践しようとする人が
いなければ
-
意味がない
-
聞く人
感動する人が
いなければ
-
経典は
眠っているだけ
-
阿弥陀経
-
一心不乱に
お念仏しなさい
-
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
なむあみだぶつ
-
念仏者を
つぎつぎと
生みだしてきた
-
インド
中国
日本
-
国を超えて
時を超えて
-
いま
ここにまで
伝えられてきた
-
如是我聞
-
初めてそこに
仏教が誕生する
-
三宝
仏・法・僧
-
「僧」=教団
-
「仏」を大切にする人々
-
「法」を聞く人々
-
三宝が揃って
はじめて
仏教が成立
-
阿弥陀経
-
「如是我聞」
このようにわたしは
聞かせていただいた
-
「一時」あるとき
-
「舎衛国」
古代インドのコーサラ国
-
「祇樹給孤独園」
略して「祇園」
-
「祇樹」
「太子ジェートゥリの森」
-
「給孤独」
「身寄りのない者に
施しをする」
-
スダッタ長者
-
「祇樹給孤独園」
「祇園精舎にて」
-
今日は
ここまでにしておきましょう
-
ご清聴
ありがとう
ございました

●明日の組同朋会 プレゼンを意識して

如是我聞 かくのごとき、我聞きたまえき このように、わたしは聞かせていただいた
大乗経典は釈尊が直接語られたものではない 経典を生み出した人々がいた
「わたしの仏教とはこういうものです」 「釈尊はこういうことをおっしゃる人です」

阿弥陀経に書いてあることは 「一心不乱にお念仏しなさい」
「なむあみだぶつ なむあみだぶつ」 念仏者をつぎつぎと生みだしてきた
インド 中国 日本 国を超えて 2000年の時を超えて
いま、ここにまで 伝えられてきた

釈尊の言葉そのものが 残っているとしても
それを読む人、実践しようとする人がいなければ 意味がない
聞く人 感動する人がいなければ 経典は眠っているだけ
如是我聞  初めてここに 仏教が誕生する

三宝 仏・法・僧 「僧」とは教団 三宝が揃うことが 大事

初転法輪 初めて釈尊が説法 ガンダーラ美術 

一時 あるとき 舎衛国 古代インドのコーサラ国 釈迦族を滅ぼした大国
祇樹給孤独園 略して「祇園」
「祇樹」「太子ジェートゥリの森」 「給孤独」「身寄りのない者に施しをする」

インドのシュラーヴァスティーにスダッタという、身寄りのない者を憐れんで食事を給していたため、人々から「給孤独者と呼ばれていた富豪がいた。

ある日、スダッタは釈迦の説法を聞いてこれに帰依し、彼に説法のための寺院を寄付しようと思い立った。

そして見つかった土地が、太子ジェートゥリの所有する森林であった。その土地の譲渡を望むスダッタに対してジェートゥリが、必要な土地の表面を金貨で敷き詰めたら譲ってやろうと戯れで言った所、スダッタが本当に金貨を敷き詰め始めたため、ジェートゥリは驚いて、そのまま土地を譲渡し、更に自らも樹木を寄付して、寺院建設を援助した。

これ故、この僧園はジェートゥリ太子と給孤独者スダッタ両者の名を冠して祇樹給孤独園と呼ばれ、そこに建てられた精舎を祇樹給孤独園精舎と称するようになった。

周利槃陀伽

釈迦の弟子である周梨槃特(スリバンドク)が、自分の名前を忘れてしまうため、釈迦が首に名札をかけさせた。しかし名札をかけたことさえも忘れてしまい、とうとう死ぬまで名前をおぼえることができなかった。その後、死んだ周梨槃特の墓にいくと、見慣れない草がはえていた。そこで「彼は自分の名前を荷って苦労してきた」ということで、「名」を「荷う」ことから、この草に茗荷と名付けた。

ビデオ鑑賞 仏典童話「パンタカ二人」

2007年01月14日

●プレゼンかよ!

けんちんさん、murakamiさん、コメントありがとうございます。

それで、前のエントリーには間違いが二点ありまして。

まず、office2007はまだ発売されていません。Vistaと同時に出るらしいです。

そして、愛用のVAIOをよく見てみたら、なにやらそれらしい端子がついてまして。

こいつに外部ディスプレイ出力端子があるなんて、今の今まで知りませんでした(汗

それで、二月二日に教務所で10組門徒会の方々に、教区御遠忌テーマについて話をせよとの要請を受けておりまして。

そして、教務所にはプロジェクターがありますわね。

むーん、こうなってくると、どういう展開になるかというと???


ノートにパワーポイント、インスツール、しちゃいますか。。。

2007年01月12日

●講義を受けて

ここに世尊、阿難に告げて曰わく、「諸天の汝を教えて来して仏に問わしむるか、自ら慧見をもって威顔を問えるか」と。阿難、仏に白さく、「諸天の来りて我を教うる者、あることなけん。自ら所見をもって、この義を問いたてまつるならくのみ」と。仏の言わく、「善いかな阿難、問えるところ甚だ快し。深き智慧、真妙の弁才を発して、衆生を愍念せんとして、この慧義を問えり。

 大経のこの部分、らくりさんと私と、読み方が違いました。
私はこれまで世尊の二つの推測、「諸天の汝を教えて来して仏に問わしむるか、自ら慧見をもって威顔を問えるか」に対して、阿難は後者の方だと。誰からに言われたわけではなく、自分でそう思ったんですと答えているのだと思っていました。
 らくりんさんは「自ら慧見をもって」というのは、啓示のような宗教体験、いわゆる「悟った」から分かったのか?という問いであり、阿難は「そういうわけでは無いけれども、ただそう思ったのです。」と答えたと読まれました。つまり世尊の二つの推測のどちらにも当てはまりません、というわけですね。
 そこで釈尊は「お前は悟ったものでしか起こせない問いを起こしているのだぞ」とおっしゃっている。らくりんさんの解釈は、悟れない、悟っていないとされているものが仏法と出会っていくという問題に貫かれていることです。

 講義のなかでは、後序の法難、選択集の書写についての文章が、それぞれの出来事が起こった同時期に書かれた文脈、そのままになっていることを指摘されました。さらに化身土巻の大集経からの引文が法難を暗喩する内容になっていることも。そこから、かつて吉水教団への弾圧が、不当であること、「法難」であることを示すために、真実の仏教とはいかなるものかを明らかにするというのが、親鸞が教行信証を書いた目的であったとされました。
 教巻における大経からの引文は、世尊と阿難の新たな出会いについて書かれています。そこには、法然と親鸞との出会いが重ねられていると言われています。らくりんさんの教・行・信・証の展開についてのお話をお聞きしていると、法然と親鸞だけではなく、吉水で法然上人がさまざまな人々とどういう出会い方をしていたのかが、経論釈からの引文をとおして表現されているのだと思いました。阿難と重なる人々の仏法との出会い方ですね。晩年、親鸞は「西方指南鈔」という法然の行実を何度も書写しておられますが、吉水教団こそが真実の浄土の教えが実践された場所であったのだと、親鸞はその後の生涯を通して、ずっと考えていたのでしょう。

 講義を聞いたあとで、お世話になった先生方の跡にお参りをしました。教化に勤しまれているお二人と共に、広大な能登の地を巡りました。右も左も分からず、途方に暮れていた私に、お二人がどのように接してくださったのかが、浮かんできました。講義と、もしかしたら、関連があったのかもしれません。

2007年01月11日

●らくりんさんの講義 聞き書き

「教行信証」の名称は「顕浄土真実教行証文類」。名称が「教行証」なのはなぜか。仏教の中で、その仕組み、成り立ちはこの3つで。教えに基づいて実践(行)をして証。信はそのなかに入る必要が無かった。行じていれば信じているはず。行の中に信も含まれている。取り立てて言うことではなかった。信は仏教を確かめる際には元来必要は無かった。3つの要素で仏教は明らかになる。信が入るのは親鸞の独特の発想。入るとすれば「教信行証」。「教行信証」との違いをはっきりさせるのが今回の目標。

信心がはっきりすれば、なんまんだぶつ称える必要は無いのではないのではないか。「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり」念仏しても必ずしも信心があるわけではない。教えを信じて念仏する? 念仏に対する信頼なら「教行信証」? 信心がある人の念仏とない人の念仏は同じか? おなじなら「名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり」と言えないのではないか?

教→行 行→信 信→証 証→行

教が教になるとはどういうことか。あなたは大経がよいと思って読んでいるか? 「それ真実の教を顕せばすなわち大無量寿経これなり。」これは親鸞が顕しているのか? 私はできない。なら親鸞はできるのか?
「顕」は他動詞。顕すではなく、顕される。「賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す」愚禿の心が顕れてきた。「顕れてくるとすれば」と訳す。見定める。

これがあればなにもいらないというものを、どうやって決められるか。決める力は無いけれども、それがほしい。決め方がいい加減だと、途中で迷う。念仏聞いて最初から好きな人がいるか。みな自分の好みで選ぶ。誰でもできることは選ばない。難しいものも選ばない。ちょうどいいもの。しかし、それが自分に合っているか分からない。ではなぜ大経が真実教なのか? 私がそれを信用している仕組み。その最初がはっきりしないと途中で迷う。法然を信用したから? 説法が始まる前、発起序。「なにをもってか、出世の大事なりと知ることをうる。」この人が仏だとどうして分かるか。

阿難。今日は仏様のようですね。阿難は悟っていなかった。それなのに分かった。一般に宗教的経験 啓示というが、阿難は宗教体験をしていなかった。(それを、阿難は拒否した? 悟ったものの問題点を見ていた? by藤元正樹)見る力のないものに見えた。見えたときに釈迦の方が気がつく。我々は真実を見たときに、そっぽを向いてしまうかもしれない。素晴らしいものがあっても、それと分からなかったり、背いてしまうかもしれない。真実はわたしの判断力をさしはさまないところで選ぶしかない。何が説かれているかではなくて、誰に向かって説いているか。わたしのようなものの前に説かれる。素晴らしいと思えないもののために、大経がある。

寺と神社。両方行ってもいいのか。違いはどこにあるのか。神社は煩悩を膨らませる。育てる。煩悩はいいことだとする。寺はその前提を疑い、否定する。大学合格、受かるまではうれしいが、そのあとはもたない。願望は続かない。そこには受かる事はいいことだという前提があった。受かる事はほんとうにいいことなのか? 願望の前提を疑う。←戸惑い、反感。我々は教えを求めるだろうか? 煩悩を否定的に捉えることは迷惑なことなのに。不請の法。それを与えようとするのが普賢。ほしくない。

ではいつ聴きたいという気持ちが起こったのか。誰かからもらったのか。創ったのか。なぜ聴きたいという気持ちになったのか。なぜ阿難に、ああしたことが起こったのか。聴きたいという気持ちなんか無かった。気がついたら聞きたくなっていた。それが大経の説法。なぜ仏法がいいという気持ちが起こったのか。そこ気持ちを与える力を持つものは無い。法蔵菩薩の願心。法蔵菩薩がそうさせた。事実としてそういうことが起こっている。法蔵菩薩の願心がお前に起こった。それが大経の願文、内容。

我々は聞いても喜べないが、喜んだ人が法蔵菩薩。大経の話は、法を求める心が主人公。我々は国王(所有、支配)になりたい。しかし、それを捨てた人が法蔵比丘。嘆仏偈、私もあなたのようになりたい。教えを聴きたいと思ったとき、光顔巍巍。法蔵菩薩と同じことが阿難に起こった。法蔵は発心を自覚している。菩提心。求無上道。どこまでいっても終わらない道。讃嘆。仏をほめたたえる。普通は成功した人をほめる。評価している。評価するときは、他人を。こちらは関係ない。相手のよしあしで、こちらの態度を変える。仏への讃嘆はどうか。仏はいつもと同じなのに、阿難が気がつく。阿難の方が変わった。目の前にいてもその人の本当の価値は知らない。仏を見たときに讃嘆。仏に出会う。如来がいるとしか思えないことが起こる。それを信用するしかない。信じられるからねんぶつ? それは「教信行証」。我々は真実に出会ってもそっぽを向く。わからないものが仏法に出会うやり方は、阿難の方法しかない。私がわかったというものは、本当にそれでいいのか。

龍樹。声聞縁覚は菩薩の死。悟ろうとしたもの。自分が悟ったと思う。他の人がどうでもよくなる。教えてもらって悟ろうとするのが声聞。師につかずに悟ろうとするのが独覚。生死の大海を渡ったものはだれもいないとしても、一人いれば、あらゆる人々を救っていくだろう。それが菩薩。無明は知識や経験が多いと生じやすい。傲慢さ。複雑で念入り。

真実教を決定するものを普通は信という。信じて念仏する。しかし、教えからなぜ行が出てくるか。法蔵から世自在王仏へ教えてください。しかし、「汝自当知」と。自分自身で向き合っていくしかない。手に負えない行を教えてください。

十一願、十二願 光明無量 諸仏の国を見せる(国土を見せる)。観経だと「光台現国」。三十一願、三十二願。摂浄土の願。諸仏世界が照らし見せる。仏に出会う世界。そこに如来の働きがある。なにをもって仏の出世の本願。その働きが阿難に発起序で起こっていた。諸仏を見ていた。その出来事の中に、三十一願、三十二願、諸仏に出会えたのは如来の働き。私たちは諸仏にどこで出会うか。それには気がつかない。仏仏相念(仏)。仏を念じている人。讃嘆している人。念仏者、あるいはその声に仏を見出す。囲まれているのに仏に出会っていない。念仏の声のなかに。光明 見せる 清浄 働き。気がつかない。迷いと同様に、出合ったことに気がつくのは後。

国土の善悪を選択、摂取。それを考えたのが五劫思惟。沈黙。無上殊勝の願を超発。自分が否定されていく。自分を超えた願い。最初は、教えてくれ。やりかたが分からないと思っていた。やるべき事は分かっているつもりだった。なんじみづからしるべし。自分の思いが破られていく。自分の思いを超えたものが願われる。五劫思惟。沈黙。48願として、願いが明らかになる。どうしたらいいかは問題にならなくなる。

我々に呼びかけられている願いは18,19,20。18は 至心 信楽 欲生。善導は称名と受け止めた。法蔵が願いを実現するために、称名をさせようというのが善導。念仏する人が現れるとは、18願が実現した姿。阿弥陀の本願を現行している。念仏者の姿が、本願が実現した姿。教が行となる。教えが具体的姿となって顕れる。これがその通りと受け止めるのが信。信頼する。念仏者の気持ちは問題でなくなる。教えが顕れる。17願成就、諸仏称名之願。18願成就。称える人に仏として出会えるか。それが行を信ずるということ。教が行として実現していると信じる。

いまの教団は、念仏者を敬うことを忘れ、バカにして、信心を植えつけようとしている。敬うことが、諸仏として出会うこと。念仏者が生まれるところに、法蔵菩薩の信心が顕れている。阿難は讃嘆しながら、讃嘆していると気づいていない。釈迦は阿難の中に仏を見ている。仏仏相念。

法難の当事者 親鸞。個人名をださないが、誰が過ちを犯したかをはっきり書く。主上臣下。その根拠は法と義。仏法とはなにか。法とはなんなのか。真実教。本当によるべきものはなにか。大経。承元の法難はなぜおこったのか。法然に出合ったから。出会いが選択集の書写へ印可。出合った、聞いた教えは弾圧された。ならば、あなた方が間違っていると言える教え。法然から聞いた教え。大経が真実と我々は疑わない。大経はわたしのために説かれた教典。何が真実が分からない人を対告衆にしているから。

経典はすべて釈尊の説法ではない。4,500年たっている。しかし、これだけのものをつくった。物語を作った、思想表現。教行信証を書いた人を親鸞と呼ぶ。ニセモノかもしれない。親鸞が誰を龍樹と呼んでいるか。十住毘婆沙を書いた人を龍樹とする。大経を、この説法を説いた人を仏と呼ぶ。大経をとおして出会う。

教が行になる。教の精神はどのような形で我々に現れるのか。法蔵の精神が我々の前に現れる。「大行とは無碍光如来の名を称するなり。」「称することなり」とは書いていない。大行とは称する声となる。声となって顕れて来る。行→信 成就文。称えられた声が聞こえる。行信。17願の願いを成就しているのが念仏者。聞いた喜びを一念とあらわした。その仲間に入れてもらう。聞いたという事は信が成就しているということ。法蔵の願いを受け入れた人、どういう意識をもっているかは問題とならない。 

最初に念仏唱えたのは浄土論における天親。「一心」「願生彼国」。受け止めたときに信が成立し、そのときに教が教となる。法を求める心が起こった。名を称えるという形で起こった。我々も九官鳥といっしょ。自分の意思で称えたわけではない。だれかに教えられたのである。

信証の関係。「念仏を称えてもなにも変わらないのはなぜか」。願いがかなうと願いは消滅する? それでは「満足」するのではない。願いはかなわなかったらいらなくなる? 願ったそのことが、願ったことで満ち足りる。かなうかかなわないかはどうでもいい。願いの尊さ。願っているのが菩薩の姿。自分が喜ぶ以上のこと願う。わたしのためではない。

2007年01月01日

●尾田さんの掲示板にて

先日玉永寺の寺宝を拝見させていただきありがとうございます。砺波市には寺院数が80カ寺ありますが、慶長の年号の持つ絵像はありません。南砺市の瑞泉寺・善徳寺にしかないと思われます。水橋の古さと、真宗の広がりを垣間見る思いがいたしました。 また法蔵菩薩の絵像も、どきどきと拝見しました。法蔵菩薩の石仏や木像が呉東に多くありますが、これは明治中期に造立されています。富山東別院建設と廃仏毀釈との関連を調べています。富山藩の廃仏希釈の大津波は、門徒さんにどのように受け、どうような影響を受けられたか、興味深く感じています。

明治三年に富山藩は仏教寺院を宗派ごとに一カ寺に合併させるという事件が起こった。これは明治政府の神仏分離に呼応するもので、過激な廃仏毀釈であった。また富国強兵のため仏像仏具を鋳つぶし兵器製造を計画もされ、藩内の真宗寺院約二五〇カ寺一二〇〇人余りは畳二四〇畳ほどのところにおしこまれ、仏像仏具も持ち込まれていた。富山藩の仏教界は受難を迎えていた。全国的にも宗教界は混乱を極め、東西本願寺の財政は極度に悪化をしていた。

・門徒と法蔵菩薩
西本願寺では講社の活動を活発化し募金活動が展開され、富山にも多くの講が設立され消息が下付されている。特に法蔵菩薩の石仏の多い「新川地区には質素な日暮の中で法義弘通を行なうことなどを決議され、革新の機運がみなぎっていた。」(『越中念仏者の歩み』)。新川郡は加賀藩ではあるがこんな時期に、真宗門徒も熱狂的に真宗に聞法されて行かれた。報恩感謝つまり、「私のためにご苦労され、やせ細られた法蔵菩薩」に感謝し、恩に報いるための営為で、生かされる喜びに歓喜された証であろう。生きていることに対し、また救ってくださった弥陀に対し御恩報謝の念がやせ仏の法蔵菩薩に向けられ、それがまた庶民である門徒の平生業成の生き方として、法蔵菩薩が道端や野に安置されたのであろう。真宗の門徒にとっては、阿弥陀は家の仏壇に安置されるものであり、野に置くのは憚れたのであろう、

やせ仏の法蔵菩薩に、廃仏毀釈の現状に『歎異抄』後序の「上人の常の仰せには、弥陀の五劫思惟の願を、よくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけさよ」に報恩感謝・感謝報恩の念が、法蔵菩薩を像造させたのかも知れないと思われます。

また石仏は、誰が造立したかといいますと、時の青年たちであり、また本山からの御消息は、その青年たちに贈られたものだと思われます。青年講・若衆報恩講は明治期に草創されています。
廃仏毀釈と大谷派富山教区の門徒の青年たちに、目を向けれると今後の方策が見えるように思われます。法蔵菩薩の調査が、今後の教団の方向性が見えるようです。

明治13年に、消失していた東本願寺の再建が始まり、同じ年に富山に大谷派説教所、後の東別院が設置されます。本山両堂は明治28年に完成しています。世界最大級の木造建築物をぶっ建てたエネルギーは、名も無い人々が地方で小さな石仏をたくさん作られた思いと、重なっているのでしょうか。

本山両堂を再建し、富山別院を開かれた先人たちの苦労に「なんでここまでできたんだろう」と驚くだけでなく、彼(女)らがどういう時代の空気の中にいたのかを、知りたいなと思いました。 

2006年12月20日

●2006年さようならと感謝の集い

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マジックショーはご門徒さん、辻の柳瀬さん。
参加者は50名あまり。たのしかった!!

●正信偈 源信章を終えて

11日、13組若坊守会「華の会」、テキストは正信偈で今回は源信章をお話しました。

善導と法然に挟まれて、どちらかと印象の薄い方だったのですが、親鸞聖人はかなりラディカルに読み込んでいらっしゃると思いました。

「専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土、正しく弁立せり。」の内容は、化身土巻の冒頭に往生要集からの抜粋として展開されていますが、その前に「『観経』の定散九品の文これなり。」という御自釈があり、その後には

「しかればそれ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門の中に、第十八の願は「別願の中の別願」なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえるなり。濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。」
という押さえがあります。

善導は九品のなかで下品下生を重視していると言われますが、実はそれほど明確ではないと思っています。しかし、源信の「専修・雑修」という概念は、念仏にしか救いを見出せない下品下生、極重悪人の行を「専修」とし、それ以外の定散諸機を「雑修」としてバッサリ切り捨てるものです。最下とされてきたものを、最上のものとする、逆転の発想がそこにあります。
「専修」という視点は、化身土巻において第二十願、阿弥陀経の内容を特徴づけるものとして扱われています。「雑修」は観経と関連付けられています。

源信章がおもしろいのは、「専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土、正しく弁立せり。」に続けて、「我また、かの摂取の中にあれども、煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり」とあるところです。弥陀の光明の働きが取り上げられているわけですが、それは人間の努力や環境には基づかない救いのあり方を示しています。わたしを根拠としない救い。
「専修」は「私はここまでやった」という自意識に基づいた救いです。そこには大きな落とし穴(退転)があります。たとえば、自己欺瞞であったり、他人を見下し裁いていく意識であったり。
その意味で、「専修」のあとに、光明による救いありかたを述べるというのは、自力から他力への展開となっていると思うのです。いわゆる三願転入です。
三願転入は親鸞独自の考えだといわれますが、往生要集を読み込むことが、ヒントになったのではないかしら。

「我」という言葉が、正信偈のなかで、この章にだけ、出てきます。この章は「といえり」という言葉で押えられています。「我」とは源信僧都のことです。「ひとえに安養に帰して、一切を勧む。」初めて、ひとえに浄土に帰依する態度表明をされた先人として、親鸞は源信を捉えていたのでしょう。

源信章は、とても重要である、ということを思いました。

●法蔵菩薩像 その2

Kanjoさんのご紹介で、私が把握している法蔵菩薩像が調査されることになりました。
先回、ご紹介したのとは別のもので、魚津市のご門徒さんの御内仏に掛けられているものです。
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2006年12月10日

●正信偈 源信章

源信、広く一代の教を開きて、 ひとえに安養に帰して、一切を勧む。

専雑の執心、浅深を判じて、 報化二土、正しく弁立せり。
極重の悪人は、ただ仏を称すべし。

『往生要集』に云わく、『双巻経』(大経)の三輩の業、浅深ありといえども、しかるに通じてみな「一向専念無量寿仏」と云えり。三つに、四十八願の中に念仏門において、別して一つの願を発して云わく、「乃至十念若不生者不取正覚」と。四つに、『観経』には、「極重の悪人、他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生まるることを得」と。已上(行巻)

 首楞厳院の『要集』に、感禅師(懐感)の『釈』(群疑論)を引きて云わく、「問う、『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方この閻浮提を去ること十二億那由他に懈慢界あり。乃至 意を発せる衆生、阿弥陀仏国に生まれんと欲する者、みな深く懈慢国土に着して、前進んで阿弥陀仏国に生まるることあたわず。億千万の衆、時に一人ありて、よく阿弥陀仏国に生ず」と云云。この経をもって准難するに、生を得べしや。答う、『群疑論』に善導和尚の前の文を引きてこの難を釈して、また自ら助成して云わく、「この『経』の下の文に言わく、「何をもってのゆえに、みな懈慢に由って執心牢固ならず」と。ここに知りぬ、雑修の者は「執心不牢の人」とす。かるがゆえに懈慢国に生ずるなり。もし雑修せずして専らこの業を行ぜば、これすなわち執心牢固せずして、定めて極楽国に生まれん。乃至 また報の浄土に生ずる者は極めて少なし、化の浄土の中に生ずる者は少なからず。かるがゆえに『経』の別説、実に相違せざるなり」と。已上略抄
しかればそれ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門の中に、第十八の願は「別願の中の別願」なりと顕開したまえり。『観経』の定散諸機は「極重悪人唯称弥陀」と勧励したまえるなり。濁世の道俗、善く自ら己が能を思量せよとなり。知るべし。(化身土巻)

我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり

一一の光明遍く十方世界を照らす。念仏の衆生を摂取して捨てたまわず。(観経 真身観)

又彼の一一の光明、遍く十方世界の念仏の衆生を照らして摂取して捨てたまはず。我亦彼の摂取の中に在り。煩悩眼を障へて見たてまつること能はずと雖も、大悲倦むこと無くして、常に我が身を照らしたまふ。(往生要集)

また云わく、我またかの摂取の中にあれども、煩悩眼を障えて見たてまつるにあたわずといえども、大悲惓となくして常に我が身を照らしたまう、と。已上(信巻)

首楞厳院源信和尚の銘文
「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」(往生要集)文
「我亦在彼摂取之中」というは、われまたかの摂取のなかにありとのたまえるなり。「煩悩障眼」というは、われら煩悩にまなこさえらるとなり。「雖不能見」というは、煩悩のまなこにて仏をみたてまつることあたわずといえどもというなり。「大悲無倦」というは、大慈大悲の御めぐみものうきことましまさずともうすなり。「常照我身」というは、常はつねにという。照はてらしたまうという。無碍の光明、信心の人をつねにてらしたまうとなり。つねにてらすというは、つねにまもりたまうとなり。我身は、わがみを大慈大悲ものうきことなくして、つねにまもりたまえとおもえとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらわしたまうなり。「念仏衆生 摂取不捨」のこころを釈したまえるなりとしるべしとなり。(尊号真像銘文)

首楞厳院の源信和尚のたまわく、「我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見 大悲無倦常照我身」(往生要集)と。この文のこころは、われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩まなこをさえて、みたてまつるにあたわずといえども、大悲ものうきことなくして、つねにわがみをてらしたまうと、のたまえるなり。(一念多念文意)

2006年11月21日

●常光寺さま参詣・華の会

ちょとCATVをつけたら布橋潅頂会の映像が流れていて、興味深く拝見。
先日、立山博物館で購入したをパラパラと。布橋と二河白道の関連も述べられていました。この本によると終了後、参加者に配られる護符には「変女転男」の文言が摺りこまれているとの事です。

華の会会場の常光寺さまへ向かう。

朝日インターを降りて、なんとなくローソンによったら、バナナが95円で売られていました。
わたしのために、売っているのだから、しょうがない、購入してパワー充電!

歴史ある本堂と素敵な広間。背景に山並みが壮大、お庭の紅葉もキレイ。
so-shuさんのお部屋に通してくださって、ここであの常光寺ブログが書かれているのか、流星は感激!

華の会は善導の最終回。持参した二河白道絵図を絵解きして、余談に布橋潅頂会の信仰をお話し。白道→清浄願往生心→金剛心の展開と、信心とは道を歩みだそうとする決心であることをおさらい。

続いて、王舎城の悲劇をたどり、韋提の得た「三忍」が、「十信」という修道の一歩目であると善導が読んでいることを信巻で確認(「読み解く」2のp238)。龍樹の初歓喜地を大切にする視点と同じ。白道の歩み出しの重視、親鸞の考えは一貫していると話した。

休憩。座談会はもう一つ盛り上がらない。

続いて、観経における差別発言。あるいは五障三従について話す。

この後も、座談会はもう一つ盛り上がらず。

バナナパワー不発。すごすごと、流星は引き上げたのでした。。。

コーヒーをお土産にいただきました。恐縮しております。

さらに茶道をされているso-shuさんから、只者ではない雰囲気の和菓子もいただいた。

今夜はこれでスコッチを舐めよう。

寒い夜を、暖まろう。

2006年11月19日

●総序の科文

昨日でテキスト「宗祖親鸞聖人」が終わりました。

説明している最中に気がついたのですが、聖典の科文は総序を6つに分けているのですが、テキストの「文意」は3節と4節を区切らず、全体を5つに分けています。

六要鈔、曽我量深、らくりんさんと同じ考え方ですね。
テキスト作成者の意図が窺えて興味深かったです。

2006年11月02日

●女人成仏・火鉢

「宗教民俗研究第10号」掲載、ウミヤマブシさんの文章を読ませていただいています。
研究者としての歴史に対する真摯な姿勢に圧倒されます。

読ませていただいて、不遜ながら面白いなと思ったのは、「往生」と「成仏」は厳密に分けて考えるべきであり、大経第三十五願は「女人成仏」の願であるという指摘でした。

たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界に、それ女人あって、我が名字を聞きて、歓喜信楽し、菩提心を発して、女身を厭悪せん。寿終りての後、また女像とならば、正覚を取らじ。

この願の対象である「女人」は、十八願、十九願、二十願のような「十方衆生」ではなく、「十方無量不可思議の諸仏世界」の存在です。ウミヤマブシさんはこれを、「既に諸仏の世界に往生を遂げている女人」とされています。おそらく大経和讃の「女人成仏ちかいたり」(往生→成仏)が、そう考えられる前提ですよね。ウミヤマブシさんは、親鸞の読み方に沿っていらっしゃるのだなと、感じ入りました。

寒くなりました。
ボクの部屋は北向きで、古い和室です。
とても風通しがよく、夏は冷房いらずなのですが、冬は冷蔵庫のようになります。
元来寒がりなので、つらいんです、冬が。

そこで今年は火鉢を使ってみることにしました。
VFSH0017.jpg
炭をくべるのはなかなか楽しいものです。
こういうのって、なんだか枕草子みたいですね。

一酸化中毒に気をつけつつ、チャレンジしてみます。

2006年10月29日

●立山信仰散策

午前、上市で中陰法要、富山市街で報恩講。
夕方、浜黒崎での報恩講までの合間に「立山博物館」周辺へ行ってきました。


博物館の入り口で子どもが遊んでいました。
企画展の「立山と真宗」が見たくて行きました。展示されていた御絵伝は確かに素晴らしかったのですが、それよりも常設展に紹介されている立山信仰展示には初めて知ることが多かったです。
http://www2.ocn.ne.jp/~tomoya1/index.html
立山の開山縁起に登場する、磔のイエス・キリストのように痛々しい矢疵阿弥陀如来立像に深く感動しました。
また、布橋潅頂会にて女性を救済するものが、「オンバさま(姥尊)」という、実に不思議な存在であることにも強い印象を持ちました。なんだか「千と千尋の物語」を思い出すな。


布橋潅頂会のスタート地点の閻魔堂。すごい怖い顔をした閻魔さんがいました。

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橋の向こう側は、普通に墓地になっていました。


ゴールであった立山中宮寺は廃仏毀釈で破壊され、その跡の隣に立てられた遥望館から見た立山の情景です。橋を渡った女性たちは、このようにして立ち入ることのできない山を拝んだ、という設定です。


「女人禁制」というテーマについて、改めて考えたことでした。

2006年10月27日

●同朋会、おわりました

まーちゃんさん、コメントありがとうございます。

まー、「仏法は、しりそうもなきものがしるぞ」ですからなー。あっはっは。。。

プレッシャーから解放されて、テンション高くてすいません。
さて、座談会で指摘されたのが、「雲の下が明るい」というのは、素直に弥陀の光明の素晴らしさを表現しているのではないかということです。
だから、煩悩の雲霧が消えないということに、それほどこだわらなくてもよいのではと。

確かに、そうも読めますよね。
今回は信巻での論註の問いを重ねて読みましたから、そうなったわけで。

でも、光明の素晴らしさだけを強調すると、光明だけであとは何にもいらなくなる。
名号を大切にする理由が分からなくなります。

煩悩にさえられて光明が見えない。
だから、名号が大切なのであるのだと思います。ここは宿題。

とりあえず、終わってホッとしています。
今回もしんどかった。

さて、明日はどんなお話をしようか。

追記、菜っ葉さんのブログに「五重の義」が記されている。なるほどなと思った。

●玉永寺同朋の会レジメ

あまねく、無量・無辺光、無碍・無対・光炎王、
清浄・歓喜・智慧光、不断・難思・無称光、
超日月光を放って、塵刹を照らす。一切の群生、光照を蒙る。


摂取の心光、常に摂護したまう。

○摂取 おさめとる。
○心光 阿弥陀仏の大慈悲心の光
○摂護 おさめてまもる。
信心を、阿弥陀仏の心の光は、常に照らして護っています。

すでによく無明の闇を破すといえども、
貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。

○無明の闇 生きる方向に迷うことを「闇」に喩える。光が見えない状態。
○貪愛 名聞利養をむさぼり、愛欲に渇き執着する心。
○瞋憎 怒り腹立ち憎むこと。
それによって迷いの闇ははれて終わろうとしています。しかし、むさぼりや憎しみの心は相変わらず、信心の上を覆っています。これはどういうことなのでしょうか?

たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。

それは太陽の光が、雲や霧に覆われて形はかくされても、その雲霧の下は明るくて、闇夜でないのにたとえることができましょう。「煩悩を断ぜずして涅槃を得る」とは、こうした救いのすがたのことです。生きる方向が定まったことを言うのです。

我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照らしたまう、といえり。

●雲の下が明るい? その4

昨日は、午前は魚津、午後は大沢野のほんこはん。


親鸞聖人と、たぶん玉日姫のツーショット。門徒さんのお内仏に飾られています。

夜は野々市で真仏土巻聴記輪読会初回。六名の方が参加されることになりました。ネットで案内をご覧になった方が、一人加わってくださいました。詳しい報告は、落ち着いたら書きます。東へ西へとパッソで走りまくってます。

今夜、同朋会です。

私も正信偈の内容が、教行信証のほかの部分で展開されていると考えているわけではありません。ただまぁ、聖人が同じようなことを考えながら書いていたんじゃないかなという程度です。

それでも正信偈に十二光が述べられ、「一切の群生、光照を蒙る」と続けて、雲の下は明るいという喩えをもってくるというのは、「称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば」という論註の疑問を重なっているんじゃないかと思うんです。

正信偈のこの後の七高僧の話がはじまる前の文言についても、どれも信巻に出てくる言葉ですよね。順序はバラバラだけど。

信を獲れば見て敬い大きに慶喜せん、すなわち横に五悪趣を超截す。 一切善悪の凡夫人、 如来の弘誓願を聞信すれば、 仏、広大勝解の者と言えり。 この人を分陀利華と名づく。 弥陀仏の本願念仏は、 邪見驕慢の悪衆生、 信楽を受持すること、はなはだもって難し。難中の難、これに過ぎたるはなし。

その意味では、信巻の前述の箇所から「雲の下が明るい」を読んでみるのも、そう悪くないんじゃないか。

そうしたことから、一つ目のポイントを、

しかれば、もしは行・もしは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまうところにあらざることあることなし。因なくして他の因のあるにはあらざるなりと。知るべし。p223
を念頭に於いて、「他力回向の信」として「雲の下が明るい」を読もうと思います。

もう一つは、「煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。」の内容を譬喩で示したものとして、「雲の下」を読む。

この二点をポイントとして、レジメ作成に入ります。

ン、明日、光徳寺さんで法話をしなくちゃならないといことに、今気がついたYO! ヤバイ!!

2006年10月25日

●雲の下が明るい? その3

七尾さん、シノさん、コメントありがとうございます。

ガンダムの世界ですと、木星まで行って帰ってくるのが、かなりの荒行になっていまして。
無事に地球圏まで帰ってこれた人は、だいたいニュータイプという、「時が見える人」になってます。。。

まぁ、このへんの話題は、置いといて(汗

教行信証をめくりめくりしているうちに気になってきたのは、信巻の三一問答の前の展開です。

『論の註』に曰わく、「かの如来の名を称し、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲うがゆえに」といえりと。「称彼如来名」とは、いわく無碍光如来の名を称するなり。「如彼如来光明智相」とは、仏の光明はこれ智慧の相なり。この光明、十方世界を照らすに障碍あることなし。よく十方衆生の無明の黒闇を除く。日月珠光のただ室穴の中の闇を破するがごときにはあらざるなり。「如彼名義欲如実修行相応」とは、かの無碍光如来の名号よく衆生の一切の無明を破す、よく衆生の一切の志願を満てたまう、しかるに称名憶念あれども、無明なお存して所願を満てざるはいかんとならば、実のごとく修行せざると、名義と相応せざるに由るなり。(p213)

から始まって、

また云わく、我またかの摂取の中にあれども、煩悩眼を障えて見たてまつるにあたわずといえども、大悲惓となくして常に我が身を照らしたまう、と。已上(p222)

で、つづいて御自釈で終わるとこです。

あと、「貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり」とありますが、これって二河白道じゃないでしょうか? 「貪愛・瞋憎」が一致しているもんネ。んで、二河白道はp219あたりから引用されれてるし。

大はずれかもしれません。先回は証巻から攻めましたが、今回は信巻あたりからぶち当たって、木っ端微塵。

2006年10月24日

●雲の下が明るい? その2

となると、私、凡夫は、一生、弥陀の光明を直に見る事はできないということになる。

ここで、ムラムラと腹が立つ。なんで、オレには見えないのか!

そして、不安になる。この雲の上には、ほんとうに弥陀の光明が存在するのか?
この、おぼろげで心細い世界にいたたまれなくなるのだ。
飛行機に乗って、雲の上まで行けたなら、どんなにすばらしいだろう!
というか、オレにはそれができるんじゃないだろうか!!

この展開になると、以下の本を思い出さざるを得ない。

世親を「浄土を見た菩薩」として、菩薩への信頼を促すらくりんさんの読み方だ。

やはり悔しい。世親は選ばれた人間。浄土が見えた人。オレは見えない人。。。

「光を見たい」という欲望に苛まれるオレに、「雲の下が明るい」という話が、できるんだろうか。

●雲の下が明るい?

27日の玉永寺同朋会のお題は、いよいよ。

摂取の心光、常に摂護したまう。 すでによく無明の闇を破すといえども、貪愛・瞋憎の雲霧、常に真実信心の天に覆えり。 たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。

尊号真像銘文。

「摂取心光常照護」というは、信心をえたる人をば無碍光仏の心光、つねにてらしまもりたまうゆえに、無明のやみはれ、生死のながきよ、すでにあかつきになりぬとしるべしとなり。「已能雖破無明闇」というは、このこころなり。信心をうればあかつきになるがごとしとしるべし。「貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天」というは、われらが貪愛瞋憎をくもきりにたとえて、つねに信心の天におおえるなりとしるべし。「譬如日月覆雲霧 雲霧之下明無闇」というは、日月のくもきりにおおわるれども、やみはれて、くもきりのしたあきらかなるがごとく、貪愛瞋憎のくもきりに信心はおおわるれども、往生にさわりあるべからずとしるべしとなり。


浄土真要鈔

「摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇」といえり。この文のこころは、阿弥陀如来の摂取の心光はつねに行者をてらしまもりて、すでによく無明のやみを破すといえども、貪欲・瞋恚等の悪業、くもきりのごとくして真実信心の天をおおえり。たとえば日のひかりの、くもきりにおおわれたれども、そのしたはあきらかにしてくらきことなきがごとしと、なり。されば信心をうるとき摂取の益にあずかる。摂取の益にあずかるがゆえに正定聚に住す。しかれば、三毒の煩悩は、しばしばおこれども、まことの信心はかれにもさえられず。顛倒の妄念はつねにたえざれども、さらに未来の悪報をばまねかず。かるがゆえに、もしは平生、もしは臨終、ただ信心のおこるときは往生はさだまるぞと、なり。これを「正定聚に住す」ともいい、「不退のくらいにいる」ともなづくるなり。

「正信偈」教学研究所

それは太陽の光が、雲や霧に覆われて形はかくされても、その雲霧の下は明るくて、闇夜でないのにたとえることができましょう。

雲や霧があっても、あたりが暗闇にならないのは、その上に太陽の光が注いでいるから。
卑小な人間には雲霧を退かす力はない。それでも、光の存在を知る事は、できている。
といったかんじでしょうか? ご意見、ご助言をいただけますれば幸いです>all

2006年10月17日

●明日の組同朋会に向けて

昨夜は想定外に長い、二次元アイドルの歴史があることを学んだことであった

組同朋会。とうとう、明日になってしまった。
今日はほんこはん、午前富山中心部、午後は滑川、そしてお通夜がある。

たいへんお世話になった責任役員さんのご葬儀が明日の午前、午後から組同朋会。
先日、ながらく組門徒会の仕事をしてくださった方も亡くなられた。お二人は親友だった。
ぽっかりと、穴があいた感じ。

組同朋会は、先回の「念仏者は無碍の一道」の補足として「念仏は行者のために非行非善」のお話をして、最終章へ入る。聖人が京都へ帰られた理由、教行信証執筆の経緯、入滅についてお話して、時間があれば総序を一度、読み合わせるくらいまでいくことにしよう。

総序の文言について、宮城先生のサブテキストではあまり踏み込んでお話されていない。藤場さんの「読み解く」でも科文について触れられただけの感じ。お話しするなら、腰をすえて、時間をかけて取組むべき文章だということだ。

しかし、いくら私がまったくの力不足とはいえ、このまま、すごすごと通り過ぎていくのもくやしいので、主催者の方には今年いっぱいはこのテキストを使わせてほしいとお願いしている。

それで曽我量深の「行信の道」、やはり私には合わなかった。「有限にして無限」とかもう、それですんなりいける人はいいんだろうけど、私みたいな偏屈者は論理が飛んでしまうことに耐えられないのだ。

今は、安田理深「教行信証総序聴記」をめくり始めている。こちらの方は、いまのところいけている。


 「あたって砕ける身の程知らず カタストロフの業火が見える」 お粗末

2006年10月01日

●二河白道絵図


本日、報恩講をお勤めしてくださった門徒さん宅に飾られているものです。

2006年09月28日

●法蔵菩薩五劫思惟像

同朋会、終わりました。
ただ大事なフレーズを並べてるだけとは思えなかったのが、
正信偈を一つのストーリーのもとに読めたのはとてもよかった。
ただ、次回もこのようにできるのか不安だったりします。

ここで、もしかしたらとても貴重な画像をお見せしましょう。
VFSH0032.JPG
これは、ご門徒さんの脇掛にかけられている掛け軸です。なんなんだろうかと思っていたのですが、

 北陸石仏の会事務局を担当する尾田武雄さん(57)=砺波市太田=が、旧大山町を中 心とした県東部に阿弥陀(あみだ)如来が修行する「法蔵菩薩五劫思惟(ほうぞうぼさつ ごこうしい)像」が21体あることを確認した。全国的にみても県東部に集中し、大半が 明治後期から大正期に造られていた。尾田さんは「県東部に多い理由は分からない。幕末 から明治にかけて浄土真宗の教えが庶民にまで入り込み、像が造られたのではないか」 と推測している。

 「法蔵菩薩」は五劫(劫は無限といえるほどの長い時間の単位)もの長い間考え続け、
阿弥陀になると言われる。21体の内訳は、旧大山町9体、立山町4体、旧富山市2体
(うち1体が木造)、上市町1体、旧婦中町2体、旧山田村1体、旧大沢野町2体(木
造)。

 いずれも下腹部がへこみ、あばら骨が食い込むなどやせ細った姿だった。

 さらに、香川県に2体、福岡県に1体、鹿児島県に2体あることも判明。中でも、鹿児
島県では薩摩藩が真宗を禁教としたが「かくれ念仏」として伝えられてきた。ミュージア
ム知覧(鹿児島県知覧町)の「薩摩のかくれ念仏」に法蔵菩薩が掲載されており、尾田さ
んは「薩摩に密貿易品の昆布を運んだ越中の売薬業者が関係したのではないか」とみる。


http://www.kitanippon.co.jp/backno/200601/18backno.html#sports3

これは暁天講座でおいでくださった太田さんからお聞きしたことだけど、薩摩では阿弥陀仏のご本尊が禁止されたので、法蔵菩薩の像を、釈迦の苦行の姿と騙って本尊としたそうだ。

http://www.town.chiran.kagoshima.jp/cgi-bin/hpViewContents.cgi?pID=20041215120544

この掛け軸は、おそらくそうした歴史を背負ったものであると思う。南無阿弥陀仏。

2006年09月26日

●正信偈と証巻 Ⅱ

なんだか、証巻から正信偈を読み解くという、ミョウな視点を持ってしまいまして。

ところが、「煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。」の確かな典拠である論註の部分に、「よく一念喜愛の心を発すれば」に当たると思われる言葉が見当たりません。なんでないの?

いろいろ考えてみたんですが、往相回向の結び、「清浄願心」がそれに当たるとしか思えないんです。

そう考えると「如来、世に出興したまうゆえは、弥陀本願海を説かんとなり。五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。よく一念喜愛の心を発すれば、」という展開は、釈迦如来の教法が行者に届く、二河白道の展開と同じだと考えたくなりました。

これまでは「不断煩悩得涅槃」は「煩悩即涅槃」と同じで、相反する概念を「即」でつなげて行く中国仏教の特徴として説明してきましたが、以上のように考えてしまいますと、そうもいきませんね。

今回は、正信偈該当部分前後の文脈の流れを確かめるような形でレジメを作ってみるか、というところまで考えといて、とりあえず、今夜は、おやすみなさい。

追伸:明日の同朋会が終わるまで、他の事、考える余裕がないんだわ。つれなくてゴメンね。>まったりさん

●正信偈と証巻

今度は明晩の玉永寺同朋会の予習をしています。

「不断煩悩得涅槃」を読むのでを参考に証巻を学んでいるんですが、ふと、この前後の正信偈の文言が、証巻前半の往相回向の部分と重なると思いました。出てくる順番は違いますけどね。

本願の名号は正定の業なり。至心信楽の願を因とす。
等覚を成り、大涅槃を証することは、必至滅度の願成就なり。

 謹んで真実証を顕さば、すなわちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。すなわちこれ必至滅度の願より出でたり。また証大涅槃の願と名づくるなり。しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萠、往相回向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり。正定聚に住するがゆえに、必ず滅度に至る。(280)

如来、世に出興したまうゆえは、弥陀本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし。

『安楽集』に云わく、しかるに二仏の神力、また斉等なるべし。ただ釈迦如来己が能を申べずして、故にかの長ぜるを顕したまうことは、一切衆生をして斉しく帰せざることなからしめんと欲してなり。このゆえに釈迦、処処に嘆帰せしめたまえり。須らくこの意を知るべしとなり。このゆえに曇鸞法師の正意、西に帰るがゆえに、『大経』に傍えて奉讃して曰わく、「安楽の声聞・菩薩衆・人天、智慧ことごとく洞達せり。身相荘厳殊異なし。ただ他方に順ずるがゆえに名を列ぬ。顔容端政にして比ぶべきなし。精微妙躯にして人天にあらず、虚無の身、無極の体なり。このゆえに平等力を頂礼したてまつる」(讃弥陀偈)と。已上
光明寺の『疏』(玄義分)に云わく、「弘願」と言うは、『大経』の説のごとし。一切善悪の凡夫、生を得るは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて、増上縁とせざるはなしとなり。また仏の密意弘深なれば、教門をして暁りがたし。三賢十聖測りてキ うところにあらず。況や我信外の軽毛なり。あえて旨趣を知らんや。仰ぎて惟みれば、釈迦はこの方にして発遣し、弥陀はすなわちかの国より来迎す。彼に喚ばい此に遣わす。あに去かざるべけんや。ただねんごろに法に奉えて、畢命を期として、この穢身を捨てて、すなわちかの法性の常楽を証すべし、と。
(定善義)また云わく、西方寂静無為の楽には、畢竟逍遥して、有無を離れたり。大悲、心に薫じて法界に遊ぶ。分身して物を利すること、等しくして殊なることなし。あるいは神通を現じて法を説き、あるいは相好を現じて無余に入る。変現の荘厳意に随いて出ず。群生を見る者、罪みな除こる、と。また賛じて云わく、帰去来、魔境に停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、尽くみな径たり。いたるところに余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢えて後、かの涅槃の城に入らん、と。已上
それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。かるがゆえに、もしは因もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし。因浄なるがゆえに、果また浄なり。知るべしとなり。(283)

(往相回向の最後の締めに、二尊教、そして二河白道が使われているのは、念仏者の往相が白い道・清浄願往生心を歩む行者そのものであるということを示しているのだと思う)

よく一念喜愛の心を発すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。

また『論』(論註)に曰わく、「荘厳清浄功徳成就」は、「偈」に「観彼世界相 勝過三界道」のゆえにと言えり。これいかんぞ不思議なるや。凡夫人の煩悩成就せるありて、またかの浄土に生まるることを得れば、三界の繋業畢竟じて牽かず。すなわちこれ煩悩を断ぜずして涅槃分を得、いずくんぞ思議すべきや。已上抄要(282)

凡聖、逆謗、ひとしく回入すれば、 衆水、海に入りて一味なるがごとし。

「荘厳眷属功徳成就」は、「偈」に「如来浄華衆 正覚華化生」のゆえにと言えり。これいかんぞ不思議なるや。おおよそこの雑生の世界には、もしは胎、もしは卵、もしは湿、もしは化、眷属若干なり、苦楽万品なり、雑業をもってのゆえに。かの安楽国土は、これ阿弥陀如来正覚浄華の化生するところにあらざることなし。同一に念仏して別の道なきがゆえに。遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり。眷属無量なり。いずくんぞ思議すべきや。
また言わく、往生を願う者、本はすなわち三三の品なれども、今は一二の殊なし。またシ ジョ食陵の反 の一味なるがごとし。いずくんぞ思議すべきや。(282)

という事は、対応する証巻の部分について話せば、そのまま「不断煩悩得涅槃」あたりについてのお話になるはずですが。。。

レジメ、どうしよう(汗

2006年09月25日

●華の会本番

そろそろと準備してたら、電話がかかってきて、責任も持たないくせに口を出す方の部下の方に、少々苦言を呈した。<意味不明

すこし頭に血が上ったら、あうち、昨日のノートと、寺にある二河白道の掛け軸を持参することを忘れてしまった。

コンビニでバナナを買い食い。昨日の「あるある大辞典Ⅱ」によれば、これで脳がパワーアップするという。

会場で話し始めたら、口が回る回る! これがバナナパワーなのか! これからお話しに行くときは毎回、バナナを持参しなければならないのか。。。

まず、行巻の往生礼讃問答へ遡り、「光明名号」による摂化が弥陀仏の最大の特徴なのだと話し、

引き続きテキストのすてきな二河白道譬喩の意訳を読んで、白道が「清浄願往生心」であり、「金剛の真心」「金剛心」の出典なのだと遡り、行者の発心はだれに言われたのでもなく、自らに起こった出来事であるということ。この道をいこうという本人の決意の重要性を話す。
そして、それは同時に、本願に促されたとしか言いようがない出来事でもある(行者正金剛心)。だからこそ、貪愛瞋恚の河に晒されて、消えそうな白い道でも、ダイヤモンドの如くあるのだと、語ってまいりました。

次回は忘れずに二河白道の掛け軸を持っていって、二尊教について話すことからはじめよう。バナナも食べること。

2006年09月24日

●明日の「華の会」予習

定散と逆悪を矜哀して、光明名号、因縁を顕す。

(往生礼讃)光明寺の和尚の云わく、また『文珠般若』に云うがごとし。「一行三昧を明かさんと欲う。ただ勧めて、ひとり空閑に処してもろもろの乱意を捨て、心を一仏に係けて、相貌を観ぜず、専ら名字を称すれば、すなわち念の中において、かの阿弥陀仏および一切仏等をみたてまつるを得」といえり。問うて曰わく、何がゆえぞ観を作さしめずして、直ちに専ら名字を称せしむるは、何の意かあるや。答えて曰わく、いまし衆生障重くして、境は細なり、心は麁なり、識アガり、神飛びて、観成就しがたきに由ってなり。ここをもって、大聖悲憐して、直ちに勧めて専ら名字を称せしむ。正しく称名、易きに由るがゆえに、相続してすなわち生ずと。問うて曰わく、すでに専ら一仏を称せしむるに、何がゆえぞ境、現ずることすなわち多き。これ、あに邪正あい交わり、一多雑現するにあらずや。答えて曰わく、仏と仏と斉しく証して、形、二の別なし。たとい一を念じて多を見ること、何の大道理にか乖かんや。また『観経』に云うがごとし。「勧めて座観・礼念等を行ぜしむ。みなすべからく面を西方に向かうは最勝なるべし。」樹の先より傾けるが倒るるに、必ず曲がれるに随うがごとし。かるがゆえに、必ず事の碍ありて西方に向かうに及ばずは、ただ西に向かう想を作すに、また得たり。問うて曰わく、一切諸仏、三身おなじく証し、悲智果円にして、また無二なるべし。方に随いて一仏を礼念し課称せんに、また生まるることを得べし。何がゆえぞ、ひとえに西方を嘆じて専ら礼念等を勧むる、何の義があるや。答えて曰わく、諸仏の所証は平等にしてこれ一なれども、もし願行をもって来し取るに、因縁なきにあらず。しかるに弥陀世尊、もと深重の誓願を発して、光明名号をもって十方を摂化したまう。ただ信心をして求念せむれば、上一形を尽くし、下十声・一声等に至るまで、仏願力をもって往生を得易し。このゆえに釈迦および諸仏、勧めて西方に向うるを別異と為ならくのみと。またこれ余仏を称念して、障を除き罪を滅することあたわざるにはあらざるなりと、知るべし。もしよく上のごとく念念相続して、畢命を期とする者は、十即十生、百即百生なり。何をもってのゆえに。外の雑縁なし、正念を得たるがゆえに、仏の本願と相応を得たるがゆえに、教に違せざるがゆえに、仏語に随順するがゆえなり、と。已上(聖典173)

良に知りぬ。徳号の慈父ましまさずは能生の因闕けなん。光明の悲母ましまさずは所生の縁乖きなん。能所の因縁、和合すべしといえども、信心の業識にあらずは光明土に到ることなし。真実信の業識、これすなわち内因とす。光明名の父母、これすなわち外縁とす。内外の因縁和合して、報土の真身を得証す。かるがゆえに宗師は、「光明名号をもって十方を摂化したまう。ただ信心をして求念せしむ」(礼讃)と言えり。また「念仏成仏これ真宗」(五会法事讃)と云えり。また「真宗遇いがたし」(散善義)と云えるをや、知るべし、と(聖典190)

本願の大智海に開入すれば、行者、正しく金剛心を受けしめ、

また一切往生人等に白さく、今更に行者のために、一つの譬喩を説きて信心を守護して、もって外邪異見の難を防がん。何者かこれや。譬えば、人ありて西に向かいて行かんと欲するに百千の里ならん、忽然として中路に二つの河あり。一つにはこれ火の河、南にあり。二つにはこれ水の河、北にあり。二河おのおの闊さ百歩、おのおの深くして底なし、南北辺なし、正しく水火の中間に、一つの白道あり、闊さ四五寸許なるべし。この道、東の岸より西の岸に至るに、また長さ百歩、その水の波浪交わり過ぎて道を湿す。その火焔また来りて道を焼く。水火あい交わりて常にして休息なけん。この人すでに空曠のケイなる処に至るに、さらに人物なし。多く群賊悪獣ありて、この人の単独なるを見て、競い来りてこの人を殺さんと欲す。死を怖れて直ちに走りて西に向かうに、忽然としてこの大河を見て、すなわち自ら念言すらく、「この河、南北辺畔を見ず、中間に一つの白道を見る、きわめてこれ狭少なり、二つの岸、あい去ること近しといえども、何に由ってか行くべき。今日定んで死せんこと疑わず。正しく到り回らんと欲すれば、群賊悪獣漸漸に来り逼む。正しく南北に避り走らんと欲すれば、悪獣毒虫競い来りて我に向かう。正しく西に向かいて道を尋ねて去かんと欲すれば、また恐らくはこの水火の二河に堕せんことを。」時に当たりて惶怖すること、また言うべからず。すなわち自ら思念すらく、「我今回らばまた死せん、住まらばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。すでにこの道あり。必ず度すべし」と。この念を作す時、東の岸にたちまちに人の勧むる声を聞く。「仁者ただ決定してこの道を尋ねて行け、必ず死の難なけん。もし住まらばすなわち死せん」と。また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、「汝一心に正念して直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。このひとすでに此に遣わし彼に喚うを聞きて、すなわち自ら正しく身心に当たりて、決定して道を尋ねて直ちに進みて、疑怯退心を生ぜずして、あるいは行くこと一分二分するに、東の岸の群賊等喚うて言わく、「仁者回り来れ。この道嶮悪なり。過ぐることを得じ。必ず死せんこと疑わず。我等すべて悪心あってあい向うことなし」と。この人、喚う声を聞くといえどもまた回顧ず。一心に直ちに進みて道を念じて行けば、須臾にすなわち西の岸に到りて永く諸難を離る。善友あい見て慶楽すること已むことなからんがごとし。
これはこれ喩なり。次に喩を合せば、「東岸」というは、すなわちこの娑婆の火宅に喩うるなり。「西岸」というは、すなわち極楽宝国に喩うるなり。「群賊悪獣詐り親む」というは、すなわち衆生の六根・六識・六塵・五陰・四大に喩うるなり。「無人空ケイの沢」というは、すなわち常に悪友に随いて、真の善知識に値わざるに喩うるなり。「水火二河」というは、すなわち衆生の貪愛の水のごとし、瞋憎は火のごとしと喩うるなり。「中間の白道四五寸」というは、すなわち衆生の貪瞋煩悩の中に、よく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩うるなり。いまし貪瞋強きによるがゆえに、すなわち水火のごとしと喩う。善心微なるがゆえに、白道のごとしと喩う。また「水波常に道を湿す」とは、すなわち愛心常に起こりてよく善心を染汚するに喩うるなり。また「火焔常に道を焼く」とは、すなわち瞋嫌の心よく功徳の法財を焼くに喩うるなり。「人、道の上を行いて直ちに西に向かう」というは、すなわちもろもろの行業を回して直ちに西方に向かうに喩うるなり。「東の岸に人の声勧め遣わすを聞きて、道を尋ねて直ちに西に進む」というは、すなわち釈迦すでに滅したまいて後の人、見たてまつらず、なお教法ありて尋ぬべきに喩う、すなわちこれを声のごとしと喩うるなり。「あるいは行くこと一分二分するに、群賊等喚び回す」というは、すなわち別解・別行・悪見の人等、妄に説くに見解をもって、迭いにあい惑乱し、および自ら罪を造りて退失すと喩うなり。「西の岸の上に人ありて喚う」というは、すなわち弥陀の願意に喩うるなり。「須臾に西の岸に到りて善友あい見て喜ぶ」というは、すなわち衆生久しく生死に沈みて、曠劫より輪廻し迷倒して、自ら纏うて解脱に由なし、仰いで釈迦発遣して指えて西方に向かえたまうことを蒙り、また弥陀の悲心招喚したまうに籍って、今二尊の意に信順して、水火二河を顧みず、念念に遺るることなく、かの願力の道に乗じて、捨命已後かの国に生まるることを得て、仏とあい見て慶喜すること何ぞ極まらんと喩うるなり。(聖典219)

(散善義)光明寺の和尚の云わく、また回向発願して生まるる者は、必ず決定真実心の中に回向したまえる願を須いて、得生の想を作せ。この心深く信ぜること、金剛のごとくなるに由って、一切の異見・異学・別解・別行の人等のために動乱破壊せられず。ただこれ決定して一心に捉って、正直に進みて、かの人の語を聞くことを得ざれ。すなわち進退の心ありて怯弱を生じ、回顧すれば、道に落ちてすなわち往生の大益を失するなり、と。已上
真に知りぬ。二河の譬喩の中に、「白道四五寸」と言うは、「白道」とは、「白」の言は黒に対するなり。「白」は、すなわちこれ選択摂取の白業、往相回向の浄業なり。「黒」は、すなわちこれ無明煩悩の黒業、二乗・人天の雑善なり。「道」の言は、路に対せるなり。「道」は、すなわちこれ本願一実の直道、大般涅槃無上の大道なり。「路」は、すなわちこれ二乗・三乗・万善諸行の小路なり。「四五寸」と言うは、衆生の四大・五陰に喩うるなり。「能生清浄願心」と言うは、金剛の真心を獲得するなり。本願力回向の大信心海なるがゆえに、破壊すべからず。これを「金剛のごとし」と喩うるなり。(聖典234)

2006年09月13日

●玉光順正「差別と靖国」ノート

乱雑な講義ノートです。文責は流星にあります。

 靖国問題を取り上げるときによく言われる言葉。靖国へ行って、賛成派の人の声を聞こう。死刑廃止問題でも同様。死刑制度を賛成する、必要とする人の意見を聞こう。賛成もあれば、反対もある。相手の意見を聴きたい。一見、そうかなと思うが、じつはそこに問題がある。私たちはどこでそれを課題にするのか。両方の意見を聞いて、裁いていくことではないだろう。そこに自分はどういう立場に立つのか。親鸞の思想の中から考える。
 靖国問題がなぜ浄土真宗の課題なのか。部落問題がなぜ浄土真宗の課題なのか。政治問題、社会問題は信心の問題ではないと、教団の内部から外からも言われる。坊主が政治、社会に口を出すな。そういうものなのか?
 逆に、靖国問題、部落問題に関わらないと真宗ではないのか? そうではない。浄土真宗にきちっと、真向かいになれば、当然、部落靖国が見えてくる。見せてくれる。その課題が見えてくる。政治問題、社会問題を宗教的課題と捉える。
 賛成か反対かならば、賛成の凡夫が一人が増えるか、反対の凡夫が一人増えるだけ。それでは宗教的課題とならない。どこまでも分裂する。かみ合わない。賛成か反対ということではない。二元論ではない。どういう立場、どこに立つのか。常に浄土真宗と真向かいになる。そこから様々なことを学んでいく。教団の課題として。そして私自身はどう思うのか。
 真宗文化革命論。意識革命。真宗文化創造論。差別問題は、われわれの持つ文化の問題。文化が問題を作り上げた。真宗の文化はそれとは同じものではない。文化大革命。当時、文化大革命は評価されていた。今は失敗といわれている。しかし、そこに考えられていた理念。道理があった。この革命は人々の魂に触れる革命。私たちがやるべきことは永遠革命。永久革命。継続革命。不断革命。毛沢東は国家の理念を革命に見た。常に変わり続ける。国家はしっかりしたものだろうか。個人的に往生浄土の歩みは留まるものではなく、われわれが変わり続けること。解放され続けること。それが往生浄土。
 真宗同朋会運動。家の宗教から個の自覚へ。しかしながら、「個」ということを言ってこなかった。3,4年前、辺見庸への質問。「私たちは今なにをしなければならないのか?」答えは「個の自覚です。」。私たちが40年来使ってきた言葉だが私たちが言った「自覚」と迫力が違う。組織は解散しろ。宗教も解散しろ。バラバラにならなければならない。一人にならなければ。靖国問題に学ぶ。それはなぜやっているのか。仕事の上で研究するのか。坊主だからということで関わっているのか。一人でもやるのか。個の自覚。個というものがわたしの中にあるのか。世間体でやっているのか。それが個の自覚。
 親鸞の宗教は一人になることのできる教え。一人になることのできる宗教。徒党を組む宗教ではない。個の自覚。それがまったく言えてなかった。スローガンとしてあるけど誰も言わない。
 阿部謹也 世間とは何か。世間論。日本人の歴史意識。世間は排除差別するもの。人間関係の枠組み。「世間」「出世間」は仏教からの言葉。世間には外国の人は入らない。靖国は世間。アジア諸国はわれわれと関係ない。

「世間」の特徴。
贈与互酬。葬式。お中元。返すということが大事。お土産。
共通の時間意識。「先日は」「今後とも」お礼の後払いと先払い。
排他的差別。学会。教団。他の宗派との付き合いが少ない。対話はほとんどしていない。派閥、同窓会。部落差別。世間が違う。愛生園「社会からお客さんがこられた。」自分たちは社会外に追いやられている。外国人差別。隣の国からなにを言われても関係ない、靖国。
 世間をわれわれは気にして生きている。「自分は無実だが、世間を騒がして申し訳ない。」本当に無実なら徹底して戦うだろう。個ではなくて、世間の中でしか生きていない。連座制。親の顔が見たい。家全部が排除される。世間がそれを作っている。それを越えたのは、日本では親鸞だけである。親鸞の宗教だけである。
縦社会←非僧非俗
縦社会←横超
 浄土真宗の文化の基本。こうした言葉を基本にして真宗文化を創造するのが真宗同朋会運動。縦社会の世間を克服。交流する。歴史文化を学ぶ。中国、韓国、アジア諸国への蔑視は明治以来130年の歴史の中でできた。それまでは敬意を持っていた。脱亜入欧政策。アメリカに媚を売る。そういう意識を変革する。文化の危機。靖国はこの5年間で変わってきた。若い人が靖国を見に行く。行くことによって、自分はどこに立てるのか、国のためにとなる。
 国のためと言うものが、浄土とは言わない。あくまで日本。日本人。錯覚。国のため。われわれに国家を相対化する視点がないと保守化する。浄土の思想が待たれている。
 念仏者が世間とどうかかわるのか。どこまでも世間に迎合しない。自分の個人的な願いを越えたもの。本願、志願をもって生きる。個人的なものではなく、エゴイズムとナショナリズムを越える。志願の意味。時代、教団。こうしたことではなく、世間に迎合して、全体がそうなってきている。自分たちを守る姿勢。守れば小さくなる。
 第四願。形色不同。無有好醜。悉皆金色。生き生きとした色。好醜差別。差別は人間の意識、制度がする。そのことに価値を与えるところに差別が起こる。意識が差別を生み出す。それがない世。一人になることのできる宗教。親鸞は非僧非俗。一人である宣言。国家から排除された。排除した国家を拒否したのが非俗。一人になった宣言。非僧非俗。あらゆる人と、違いをそのままになお、水平にその人と出会うことのできる一人になる。それが真宗における帰依僧の意味。仲間の中に入ることではない。一人からはじまる教団。帰依僧。普通は枠に入る。そうではなくて、枠を取っ払う。一人になった人がつながっていく。違いを認める。バラバラで一緒。個の自覚。それぞれの人の自覚に頼る。そういう姿勢がそれぞれの人の自覚を促す。つながっている。

浄土真宗の1,2,3

一人になることのできる宗教
二種深信
機の深信。人間はどうしようもない。法の深信。どうしようもないことが恥ずかしい。
たいしたことのない、かげがいのない私を生きる。
三は三極構造⇔二元論 勝負 正邪 自由テロ 損得 生死 プラスかマイナス 賛成か反対。
念仏者は混沌。矛盾。対立。それをエネルギーとするのが念仏。念仏者は生きる力、問う力、耐える力。三極構造を生きる。