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2007年01月16日

●法性・プロジェクター

昨夜は常讃寺にて安田理深真仏土巻聴記読書会。
第一講「生命の構造」が終わりました。
最後に往還二廻向が出てきまして。
還相というのは娑婆に還るんだという理解は持っていたつもりなのですが、
さらに「本来の自分にかえること」という言葉が出てきてぶっ飛んでしまいました。

触れる機(自己)を磨けば、仏は映る。自己を忘れて仏を求めるのは、自己の分際を知らぬからである。

田舎で念仏者のじいちゃん、ばあちゃんと出会ってきましたが、自己の愚かさを明るく見つめ、深いやさしさでもって世の中を見ている方々でした。それが往還二廻向の相なのかなと、思いました。

さて今日は、迷いに迷ったのですが、楽天で↓を注文しました。

明後日の組同朋会に間に合うかな?

2006年11月28日

●昨日の日記

昨日で東城での報恩講はおしまい。

お世話になりました。ありがとうございました。


文栄堂から取り寄せたみんなのテキストを持参し、

北陸自動車道を森本で降りて、山側環状線から常讃寺へ。

第二回 真仏土巻聴記 読書会。

今回は六人の参加。富山から永崎さん復活。

個人的には、安田理深が読める、至宝な時間を過ごしました。

内容は、おいおい、ノートをつけることにします。


山側環状線から野々市へと向かう道は、夕方でも車の流れがあるのであるのでイイのですが、

混んでない時間帯ですと、森本から8号線を抜けて野々市へと向かうルートとどちらが近いかな?

まぁ、西金沢まで自動車道を使わなくていいので、往復で飯代ぐらいは節約できてウレシイ。


さて今日は、玉永寺御正忌、ごまんさん。

雨のようですが、どんな一日になるかな。

2006年11月09日

●「第一講 生命の構造」ノート その1

浄土は身と土を一つの構造としてもっている。

「浄土論」では二種荘厳(二種清浄世間荘厳)。
身は衆生世間荘厳、土は器世間荘厳。
「十地経」では器、衆生、正覚の三種荘厳となっている。
「浄土論」では器世間、衆生世間を総合するのが願心荘厳。
仏は主体、国土は客体と考えられてきたが、それは無理。
主体は心であり、身も土も客体である。

身土の環境における関係は「生」。

身は環境、食物を摂取して生命を維持する。
器世間は広い意味で食物にあたる。目には色、鼻には香、耳には声。

環境は広く身体の食物といえる。大切なのはそこに心は入らないこと。
五根は眼耳鼻舌身、意根は入らない。衆生世間は意根を除く。
土は五境(色声香味触)。法境を除く。

五根五境は色法、即ち物質。衆生世間、器世間はともに色法を体とする。

身と土を統合するのが心。我々からは安心。仏よりは願心。

器世間は心から言えば、外の色法(物質)。
衆生世間は心から言えば、内の色法(物質)。

他人の感覚はわからないから不共。外の環境は共同。
環境は土であり共同だが、心は不共。

浄土は仏だけのものであるが、仏が荘厳される(「される」は受身ではなくて丁寧語だと思う)土であるかぎり、共同のものがある。そこに如来の正覚と一如であるという意義が明らかにされてくるのであろう。

教行信証、前四巻は能帰の心を明かし、第五巻、真仏土は帰すべき身土。
帰すべきということは超越性を意味する。安心の対象。


以上、9ページまで。

荘厳を通して仏の心、涅槃が安心の対象として我々に伝わるということなのだろう。