●とある紙面に
富山でのお待ち受け法要の写真が載って
どこかで見たことのある坊さんが写っていました

富山でのお待ち受け法要の写真が載って
どこかで見たことのある坊さんが写っていました

前住職の法話があります

それほど違和感はないです 使い勝手はこれから
滑川市安田 正楽寺の法要にご縁をいただきました
「私たちの釈尊」をお話しました
内容は 誕生から初転法輪 王舎城の悲劇 アジャセの救い 入滅
多磨全生園 真宗報恩会で伝えられている「しんらんさまはなつかしい」を紹介し
全生園の様子をプロジェクターで紹介
親鸞聖人の生涯を 同じくプロジェクターを使ってたずねる法話をしました
仏教讃歌の第一人者である前住職 飛鳥 寛栗さんに
「しんらんさまはなつかしい」を聞いていただきました
聞いたことがない歌 布教師の方が独自に作られた歌ではないかということでした
ハンセン病療養所で伝えられてきた まさに民衆のなかで伝承された歌
メロディが長調で明るい 素晴らしい喜びの歌ですとおっしゃってくださったのが印象的でした
昨日に続き、若院さんからお西の声明について いろいろなことを教えてもらいました
善興寺独自の勤行本 僧俗共に経典を読誦する取り組みに またまた感銘を受けました
学ぶことの多い二日間でした 貴重なご縁に感謝しています
6月11日11時1分配信 時事通信
全国13カ所の国立ハンセン病療養所を地域に開放することなどを盛り込んだ「ハンセン病問題解決促進法」(ハンセン病問題基本法)が11日、参院本会議で可決、成立した。来年4月から施行される。
同法は超党派議員による議員立法。十分な医療水準維持のため医師らの確保を国の責務とし、生活援助のため国が入所者らに支給している「給与金」も明文化した。また地域住民が療養所を一般の医療機関と同様に利用できるようにする。
同法施行に伴い、1996年に制定された「らい予防法廃止法」は廃止される。
全国13カ所の国立ハンセン病療養所にある医療施設の地域開放や公共施設の併設を可能にする「ハンセン病問題基本法案」が、超党派の議員により6日衆議院に提出され、可決される見通しとなった。同日参院に送られ、今国会で成立する予定だ。
入所者らは新法制定をハンセン病問題の「総決算」と位置づけ、80万人以上の署名を集めて要望していた。
法案は、基本理念で、元患者らの被害の原因を「国の隔離政策のため」と明記し、国は被害回復のために施策を行うとした。療養所の入所者らを社会から孤立させず、差別を受けないよう対策をとることも求める。
国立療養所の入所者数は約2700人とピーク時の4分の1。平均年齢は79.5歳で、年約200人が亡くなる。
空洞化を懸念する入所者らは、療養所ごとに将来のあり方を検討。敷地内の土地や施設を地域に開放することで、住民との交流や施設の活性化を図る。(立松真文)
http://www.asahi.com/politics/update/0606/TKY200806050296.html?ref=rss
初日のお昼は 本山のお斎をいただきます
まだ若干名 募集中です ごいっしょしませんか?


明日から始まる教区御遠忌法要のための準備手伝いに行ってきました
五色幕を吊っているところです いよいよ ですね
昨夜 富山東別院で御遠忌讃仰事業の一環として開催されました

1人芝居「赤いブクブクー」北島角子さん
慶良間で起きた集団自決を、生き残りの女性が娘に語って聞かせる芝居。
「赤いブクブクー」は、自決の際、切られた首から流れた血を表現したもの。
北島さんの芝居はあおさんのお寺で以前 見たことがあった。
聴衆はうなずき、涙を流していた。しかし、北島さん 歳を重ねられたなと思った。

夕食のおときを準備するスタッフ ソーキ汁が美味しかった 本当におつかれさまでした

もうフィナーレに近い場面 島尻ひさみさん 上里初枝さんを中心とする沖縄舞踊
舞いも音楽も衣装も これこそが芸術 素晴らしかった
私もカチャーシーを踊りたかったが ステップがわからんのでしり込み 手だけはやってましたけど・・・

エンディング 別院本堂が沖縄でした 楽しませていただきました スタッフの皆様に感謝
日本の社会保障が危機に瀕している。財源不足に加え、これまで制度の基盤となってきた「企業による福祉」や「家族の支え合い」が弱体化し、セーフティーネットの網からこぼれ落ちる人が激増している。リストラや非正規化によって健康保険の保険料が払えなくなり、医療を受けられずに死にいたった会社員。介護保険のサービス縮小によって一人暮らしが立ち行かなくなった高齢者。生活保護から抜け出そうと働き先を探すが、仕事がなく再び生活保護に頼らざるを得ないシングルマザー。
企業福祉からはじき出される非正規社員や、一人で暮らす高齢者・独身の男女、いわゆる「おひとりさま」の急増など、日本全体が大きな社会構造の変化に見舞われるなかで、社会保障を立て直すためにはどうすればいいのか。崩壊寸前の社会保障の現状を検証し、危機の原因と解決に向けた課題を探る。
録っておいた番組を見ました
厚生保険等の負担を減らすために 企業が正社員を減らす
それが国民健康保険への加入者を増やし しわ寄せが行っている
介護保険 生活保護が社会変化の実情にあっていない
自立を強制するようにして 自立を妨げている
日本の社会保障の立ち遅れが顕著になってきている
企業、政府の立場を代表するコメンテーターでさえも
現状の問題点を認め、改善を目指すと発言する
それほど現状は厳しいということですね
今日の研修会で「下から世界を見れば 本当に大切なものが見えてくる」
という趣旨のものがあったことを思い出しました

15日~16日 福井教区当番 すかっとランド九頭龍
テーマ「共生する世界を求めてー民族差別の歴史と問題」
講師は李清一(在日韓国基督教会館館長)
在日韓国・朝鮮人の歴史、現状、差別の実態と撤廃への取り組み、現在の課題について学びました
もう1人の講師は高橋法信(大阪教区) 地元である生野区での活動、体験などを伺いました
富山別院に帰ってきたら 明日の沖縄フェスティバルに向けて 仕込みの真っ最中でした

90人近くの方が参加してくださいました
阿満利麿さんの講演をはじめて聞きました
迫力に圧倒されました
御遠忌事業が終わってホッとするのではなく
限りない、終わることのない課題をいただいたことでした
あおさんの感想

親鸞聖人750 回御遠忌に向けて真宗本廟(東本願寺)に参拝し、
御影堂修復現場を視察します。また、聖人とともに法難に遭い、
刑に処せられた住蓮・安楽ゆかりの寺を訪ねます。
みなさまぜひ、ご参加ください。
1.期日 2008 年6月14 日(土)・15 日(日)の1泊2日
2.宿泊 ホテル東山閣(京都市東山区)
3.参加費 4万円(変更あり)
4.申し込み 4月下旬までに玉永寺または地区委員まで
5.集合場所 玉永寺・立山インター
6.持参品 念珠、常備薬など
日程
14 日
玉永寺――立山IC――東本願寺(昼食・修復視察・帰敬式・本山納骨)――ホテル東山閣
15 日
ホテル東山閣――法然院拝・住蓮山安楽寺参拝――南禅寺周辺散策――昼食(順正)
―井筒八橋おたべ工場――玉永寺(都合により日程が変更されることがあります)
○ 本山須弥壇収骨を希望される方は、先にご連絡してください。
○ 参拝団は30 名で締め切る予定です。お申し込みはお早めに。
○集合時間、解散時間は、後程ご連絡します。

3人卒業 1人転出 3人入会
今年から卒業生には仏典童話
入会の子には祖父江文宏さんの「ててて」を贈ることにしました
今年も 毎月の子ども会 始まります

第1部 江川紹子さんの記念講演の様子です
昨日のダライ・ラマ記者会見に立ち会った話
チベット、ミャンマーの事件に日本人がそれほど反応を示していないこと
オウム真理教事件に既成教団が 全体的にはあまり関わろうとしなかったことから
私たちはもっと他者の事柄、社会的問題に関心を持つべき
イラク情勢にふれ、違いを超えて分かり合う世界を見つけようと話されました
映画『靖国 YASUKUNI』上映中止についても触れられ
ジャーナリズム、表現の自由の危機についても話されました
第2部は富山教区混声合唱団と二胡奏者ジャン・ショウイェンさんのコンサートでした
新川文化ホールがほぼ満席 850人の来場がありました
無事に終わってほっとしています

湯浅成幸さんの講演
今回も80人は参加がありました
聖人の御流罪の意義の他
薩摩藩のかくれ念仏と廃仏毀釈 憲法9条についてのお話が興味深かったです
湯浅さんは同朋会館でなんどかお会いしていて
ご高齢になられましたが お元気そうで
お会いできて 本当に久しぶりにお話が聞けて うれしかったです

30人あまりの方々が
参詣してくださいました
東本願寺出版部の「おしゃかさまのおはなし」を使って
読み聞かせ法話のようなものに挑戦しました
ひめゆり学徒隊の生存者が命の大切さ語る
第二次世界大戦末期の昭和20年、日本で唯一の地上戦となった沖縄で、負傷兵の看護などにあたった「ひめゆり学徒隊」の生存者が、26日、富山市で当時の悲惨な戦争体験を通して命の大切さを語りました。
富山東別院で当時の体験を語ったのは、16歳という若さで負傷兵の看護などにあたったひめゆり学徒隊の生存者で宮城喜久子さん(79歳)です。
主催者の(ひとり)石川玄雄さんによりますと「5月に行う沖縄フェスティバルに先立って、事前に沖縄の歴史を知ってもらおう」とこの講演を企画したということです。
沖縄フェスティバルは真宗大谷派富山教区・富山別院の御遠忌の記念行事として5月17日(土)に富山東別院で行われます。 (KNBニュース 一部補足)

以下は講義ノートの一部 文責は流星
---------------------------------------------------
土地に行ったらしっかり感じることがある。
観光地というイメージだけでなく、本土とわれわれが様々な温度差をもっている。
それがなにかを知り、生かしてほしい。
わたしは16歳でひめゆり学徒隊 沖縄戦はこれまでどこにもなかった戦争 小さな島で3ヶ月戦った17万という住民が引きずり込まれた もうこれまでもなかったし、これからないような戦争 戦場のなかでは逃げることもできない 日本の国のために勝つまでがんばれと 教育によって追い詰められた 二十万の人が死んでから自分たちの愚かさに気づく 楽しい学園生活 国際通りは ひめゆりの通学路だった 静かな通りは観光地になってしまった
雑踏の中を通りながら、本屋や首里城へ遊びに行ったことが思い浮かぶ それは10代でみな亡くなったから 心の傷 わたしが16歳ですべてを失った まだまだ引きずっている亡くなった211名の学友 辛くて悲しくて ひめゆりの塔にも行かなかった いまは悲しいのではない 悔しい 時代の流れ わたしは戦争のなかで育ったのが みなさんとの違い 友達はどんなに悔しい思いで死んでいったか 悲しいのではなく悔しい 戦争勝つまでがんばろう 陸軍病院へ行けと夜中近くに言われる これまで受けた教育では日本は神の国で、絶対に負けることはない 日本軍を友軍と呼んでいた 信頼していた ほとんどが死ぬとは夢にも思わなかった
227名の死をわたしは戦場のなかで遭遇した そこで戦争を知った
人間生きることは当たり前だと思っていた 生きられることがどんなに大事なのか 幸せなのか 大事な人を失ってはじめて気がついた。35年間教師をしたが、ひめゆりのことを話さなかった。悲しさだけに取り付かれていた。40年たって わたしの周りで戦争はなくなったか。二十万という人々が亡くなった。人間、金も物もいらない。収容所からテント小屋へ。これからは少しは人間らしく生活できると思った。砲弾の音も聞かずに生きられると思った、そして朝鮮戦争が起こった。沖縄の基地から。戦争と無縁で生きられると思ったときだった。三ヶ月間、血まみれで逃げ惑っていたことが思い浮かんだ。
皮肉にも戦争のおかげで日本は再生した。そして、ベトナム戦争、10年。核爆弾を搭載できる爆撃機が沖縄から出撃。小学校教師をしていた。朝鮮半島の人が、沖縄の人が憎いと言っていることが新聞に載った。なぜまた戦争をするのかという質問に答えられなかった。
27年間沖縄は軍政下にあった。本土復帰。日本の教科書を使っていた。民主主義、平和憲法。国民全体の総意の国へ。希望があった。5月15日。本土の51%の基地が無くなるという夢を見ていた。しかし自衛隊が来て、基地も存続。75%へと増える一方。40年過ぎた。戦争の映像を見ると、あのときのことが思い浮かぶ。トラウマ。ひめゆりの塔の第1外科壕から出された。うめき声、叫び声。友達を壕に残したこと。33年忌にやっとそこまで行けた。しかし足が震えた。姉を残した友達。お姉さんごめんなさい。40年ぶりに中に入り、遺骨、遺品を拾った。整理されていると思っていたが、遺骨がたくさんあった。山になっていた。別世界に行ったような感じ。沖縄戦のことを、本土の人は知らない。事実を知らない。戦争の風化に気がついた。思い知らされた。
ひめゆり資料館を作ろう。観光地になっている。間違った証言を払拭する。しっかりと伝えて、平和、亡くなった人たちへの供養。ひめゆりの心を忘れないで
25名の証言者が 今は15名。戦争がいかに愚かか。人間の努力によって平和を築く。日本の国が平和なら平和?
13歳で入学。先生志望。寮生活。友達がいっしょ。英語は使えなくなる。16才、勉強なし。基地を作る。アメリカのことは知るな。アメリカの力は分からない。竹槍。アメリカは全部知っていた。国策。世の中を見つめる目が必要。
4回の大空襲 3月23日 炸裂弾。それから3ヶ月。病院へ行け。看護の手伝いをする。その前、両親に戦場動員の許可をもらいにいく。父も教師だった。がんばって来いとは言わなかった。お前を16歳まで育てたのは、そんなことをさせるためではない。女は戦争に行かなくてもいい。山へ逃げろ。私は「非国民と言われるよ。」と答えた。立派な日本人になれという教育を受けた。方言、歌をやめた。今も方言が使えない。母が泣いてしがみついた。3月23日戦場へ行った。半分以上が亡くなった。そういう教師。いかなる教師であるべきか。他の女子学徒隊は卒業者のみ戦場へいった。ひめゆりだけは在校生。それを誇りと思っていたが、18名の教師がついていた。そのために、悲劇が起こったのかもしれない。それが悔しい。恩師であるが、二度と教師に過ちを犯してほしくない。
陸軍病院に空襲。壕に入れない。なぜ病院に爆弾が落ちるのか。教師も分からない。これが戦争。ルール無視。
先生は「心配するな。爆弾が落ちない後方で看護するのだ。」と言っていたが、そうではなかった。
砲弾の中の卒業式。この世界のなかで稀なこと。戦場での卒業式。悔しかった。「別れの歌」、鎮魂歌。
4月1日 米軍上陸 70代の男性まで負傷者を運ばされた。すべての学校からも動員。21の学校。戦場の学徒隊。学生は通信兵をした。有線。工業高校の生徒。100名、14、5歳。80名が亡くなった。上級生は爆弾を背負って戦車に体当たり、訓練を受けていた。火薬を体に巻く。生徒に手榴弾を渡し、敵の後方から使え、最後の一つで自決せよ。生徒、住民に手榴弾を渡す。軍と関係がないはずがない。
血まみれな人を見て呆然とした。戦場だ甘ったれるな。座り込んだり、震えたりしてはいけない。どんどん負傷者が増えていく。3000名。病院がいっぱい。糸数壕へ1000名移す。ガーゼで水を与える。血と膿の悪臭。空き缶で小便を取る。
何もいわない人。喉に穴が開いていた。蛆が這い上がっていた。蛆が傷口を食べる音が聞こえる。うめき声が聞こえる。やせこけた兵隊とコロコロ太った蛆。
有事法制によって戦争に行かされる。法律によって行かされた。国家総動員法。
血まみれの手足を運ぶ。病院の回りにできた穴に投げ込む。最初は泣いた。泣きもしなくなった。そうしないと任務が出来ない。人間の感覚が無くなる。すべて人間ではなくなる。青酸カリのミルクが配られる。軍人だけではない、住民も追い詰められて死んでいく。ピンポン玉のおにぎり。病気になり、眼が見えなくなった子がいた。今は物があふれている。そのときはどうすることも出来なかった。それが戦場。何も出来ない。
4ヶ月前に書いた手紙。普通の女の子。そういう子が戦場へ行き、死んだ。
井戸をアメリカ軍は狙い撃ちした。血のにおいのする水を飲んだ。
第一外科。8人友人たちが血まみれ。教頭先生が蝋燭をともす。6月18日 学徒隊を解散します。出て行けといわれる。連れて行けなかった。
国際法は通じない。学生にガス弾。火炎放射器。6月20日、解散命令。もう一度お母さんに会いたい。6月21日、日本兵が投降して、日本人に殺された。ピンを抜けなかった。「金城さん手榴弾置いて」友達が声をかけた。他の人々が手榴弾で死んでいた。アメリカ兵が手当てをしていた。
収容所 7ヶ月ぶりに母に会う。「生きていた。」死んだ方がよかったと思っていたが、母に謝った。
人間の基本はいのちである。生きられる幸せに気づいてほしい。平和でないと生きられない。平和を作る。大事なときには、その言葉を思い出してほしい。沖縄フェス。いのちについてしっかり考えてほしい。いのちがどんなに大事か。戦争がいかに愚かなことか。
午後から組の研修会で教区御遠忌テーマについて話しました
「差異 つながり そして、いのち ー孤独の闇から響きあう世界へー」
前半は御遠忌事業の宣伝 そして、「いのち」をめぐる社会状況について
後半は釈尊伝を中心に つながりを大切にしたのが仏教であると話しました

100人を越える方々が集まってくださいました 大盛況!
研究報告
1、富山東別院創建記念碑について 石川正穂
2、林太仲は仏敵か? 永崎 暁
3、合寺事件の歴史的意義 長 真寿
4、浦上キリシタン配流事件
弾圧者<加害者>としての真宗寺院
安川 潤
5、廃仏毀釈と女性 見義悦子
5人の研究報告は廃仏毀釈を多元的に捉えることになり 内容を深めるものになりました
そして太田浩史さんから 廃仏毀釈にいたる歴史的背景についての講義がありましたが
太田さん 私たちに ちょっと圧倒されたかな?
これからテープ起こしなど 第二回(5月12日)に向けての作業に入ります
いよいよ明日となりました どうぞぜひご参加ください
太田氏の講義の前に5人の実行委員が それぞれの研究について話します
私も以下のようなことを話そうと思っています
http://www.gyokueiji.net/namu/2008/03/post_32.html
みなさん ぜひいらしてください
新しいメンバーを迎え 12人の方が集まってくださいました
正信偈 天親章の1回目
本尊、そして「横超」ということを中心にお話して
和気あいあいとおしゃべり、座談を行いました
毎月第4土曜 午後2時~4時
なかなか 楽しい会になりそうです

尾田さんの本が桂書房から出版されました
このブログのことも取り上げられています
『富山の石仏たち』


「廃仏毀釈を知っていますか?」。富山市内で、道行く人にこのような質問を投げかけても、ほとんどの人は首をかしげるだろう。富山空襲の記憶すら風化しつつある今日、それは致し方のないことかもしれない。
しかし、仏教徒が人口の大半を占めるこの地は、今から138年前、もっとも激しい仏教弾圧が行われた場所であった。なかでも、大多数の門徒を擁した真宗寺院に対する迫害は、ひときわ蛾烈を極めた。
明治3(1870)年閏10月27日、富山藩は突如として「藩内すべての寺を、一宗一寺に合併する」との合寺令を発布した。封建時代の安逸をむさぽってきた寺院と仏教徒にとっては、まさに晴天の霹靂であった。収奪された法具や梵鐘は、門徒らの目前で鋳潰され、藩の軍備拡張のため、砲弾や銃弾に改鋳されていった。
この時期、廃仏毀釈は、菊間藩や薩摩藩など各藩でも散発的に行われたが、ここまで徹底した激しいやり方は、全国に例がない。
総曲輪に建っている東西本願寺別院は、そうした過酷な試練にさらされた人々が、地道な努力の末に、ついに信教の自由を勝ち取った抵抗のモニュメントなのである。