第三段 六角告命

「念仏のこころとは、どういうこころでしょうね」
先月の座談会では、出席者から、ふっと、そうしたお言葉が飛び出しました。
 毎日の生活の中で、思わず出てくるお念仏。
 皆さんは、どのようなお気持ちで、「なんまんだぶつ」と、となえていらっしゃいますか? 
 寺は念仏の道場です。
 どうぞ、お誘い合わせ、おいでください。

1999年7月28日(水)

出席者10名


下から上へ。
六角堂で救世観音にであって、有情に説法。
聖徳太子が聖人を拝む。

建仁三年 辛酉 四月五日夜寅時、聖人夢想の告ましましき。

彼の『記』にいわく、六角堂の救世菩薩、顔容端厳の聖僧の形を示現して、白衲の袈裟を着服せしめ、広大の白蓮華に端坐して、善信に告命してのたまわく、

「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」文。

救世菩薩、善信にのたまわく、「此は是我が誓願なり、善信この誓願の旨趣を宣説して、一切群生にきかしむべし」と云々

爾時、夢中にありながら、御堂の正面にして、東方をみれば峨峨たる岳山あり、その高山に数千万億の有情群集せりとみゆ。

そのとき告命のごとく、此の文のこころを、かの山に集まれる有情に対して、説ききかしめおわるとおぼえて、夢悟おわりぬと云々

倩此の記録を披きて彼の夢想を案ずるに、ひとえに真宗繁昌の奇瑞、念仏弘興の表示なり。

しかれば聖人、後の時おおせられてのたまわく、仏教むかし西天より興りて、経論いま唐土に伝わる。

是偏に上宮太子の広徳、山よりもたかく海よりもふかし。

吾朝、欽明天皇の御宇に、これをわたされしによりて、すなわち浄土の正依経論等、此の時に来至す。

儲君もし厚恩をほどこしたまわずは、凡愚いかでか弘誓にあうことを得ん。

救世菩薩はすなわち儲君の本地なれば、垂迹興法の願をあらわさんがために、本地の尊容をしめすところなり。

そもそもまた、大師聖人 源空 もし流刑に処せられたまわずは、われまた在所に赴かんや、もしわれ配所におもむかずは、何によりてか辺鄙の群類を化せん、これ猶師教の恩致なり。

大師聖人すなわち勢至の化身、太子また観音の垂迹なり。

このゆえにわれ二菩薩の引導に順じて如来の本願をひろむるにあり。

真宗茲によって興じ、念仏斯によって煽なり。

是しかしながら聖者の教誨によりて、更に愚昧の今案をかまえず。

かの二大士の重願、ただ一仏名を専念するにたれり。

いまの行者、あやまりて脇士に仕うることなかれ、ただちに本仏をあおぐべしと云々

かるがゆえに聖人 親鸞 かたわらに皇太子を崇めたまう。

蓋斯、仏法弘通の浩なる恩を謝せんがためなり。
 建仁三年(辛酉) 四月五日の夜寅の時 聖人に夢の告げがおありになった。

記録によれば、「六角堂の救世観音菩薩が おごそかな顔立ちの聖僧の形相にて現れましまして、白い袈裟をお着けになって、広大な白蓮華にきちんとお坐りになって、善信にご命じになった。

「行者よ。たとえあなたが宿縁により女犯の罪を犯そうとも 私が美しき女性の身となってその「犯」の罪を被り お前の生涯を讃嘆し 命終わるときに極楽へ導いていこう」。

救世観音菩薩が善信におっしゃるには「これはまさしく、私の誓願である。善信はこの誓願の内容を広く説き、あらゆる民衆にお聞かせなさい」。

そのとき、夢の中でありながら、御堂の正面において、東の方を見るとけわしくそびえたつ山があり、そこに数千万億の人々が群れ集まっているのが見えた。

そのとき御命にしたがって、この文の意味を、その山に集まった人々に対して説き聞かせ終わったと感じて、夢は覚めた」と。

よくよくこの記録をひらいてこの夢を考えると、ひとえに真宗が繁昌し、念仏の教えが広く興ることのめでたき端緒が示されたのである。

よって、聖人は、後におっしゃったのだが、「仏法はその昔インドか ら興って、経典、論釈は今日本に伝わっている。

これはひとへに聖徳太子の広大な恩徳であり、それは山よりも高く海よりも深い。

わが国の欽明天皇の御世にこれらをいただいたことによって、すなわち浄土の教えの正しく依るべき経典、論釈などは今、来りいたったのである。

太子がもし厚き恩を施してくださらなかったならば、愚かな凡夫はどうして弘誓にあうことができただろう。

救世観音菩薩はすなわち太子の本質であるので、太子という仮の姿から、仏法興隆の願いを現わさんがために、本質の菩薩の尊い姿を示されたのである。

そもそもまた、大いなる師である源空上人がもし流刑に処せられなかったならば、私は配所に行くはずがない。もし私が配所に行くことがなかったならば、どうして辺境に群がる人々を教化しえたであろうか。これはなお師の教え,御恩のしからしむところである。

大いなる師、法然上人はすなわち勢至菩薩の化身であり、聖徳太子は観音菩薩の仮の姿である。

だから私は二菩薩の導きにしたがって如来の本願の教えを広めるのである。

真宗はここによって興り、念仏はここによって盛んになったのである。

ただ、しかしながら、聖者の誡めにしたがい、さらに、愚かさをわ きまえよ。

この二菩薩の重い願いは、ただ弥陀一仏の御名をもっぱら称えることに尽きるのである。

今の念仏の行者は、あやまって本尊の脇の菩薩に仕えてはいけない、ただちに阿弥陀仏を仰ぎなさい。」

だからこそ、親鸞聖人はかたわらに皇太子を崇められるのである。

思うにこれは、仏法が広まっていることの大いなる恩に感謝するためである。

1,問題提起

@現代人として、親鸞聖人の「夢告」をどのように受け止めればよいのだろうか。

A弥陀一仏という教えがあるが、私たちの考え方はどうなっているだろうか。

2,座談会

○親鸞聖人の御遠忌に向けて、聖人の正確な生涯が分かっていないのが残念だ。「御伝鈔」のような、荒唐無稽なものを頼りにしているのはおかしい。

○六角堂とは、当時、どのような信仰の場所であったのだろうか。

○聖徳太子とは、門徒にとってどのような位置づけがなされるのか。

○真宗にとって本当に大切なことととは何だろうか。それは、多くの人を救おうとする気持ちではないだろうか

3,感想

 受講者の中にテキストへの不信感が生まれた。やはり「夢告」の意味を現代人としてどう捉えるのか、明確な視座が必要である。

 後日、参加者の一人が「大変な宿題をもらわれましたね。」とおっしゃってくださった。

 みな、それぞれに座談会の内容を、大切に考えてくださっているようだ。

私感

聖人の生涯とはこの段を中心にして展開されたのだと「御伝鈔」は押さえています。
下段に
仏法弘通の本懐ここに成就し、衆生利益の宿念たちまちに満足す。此の時、聖人仰せられて云わく、「救世菩薩の告命を受けし往の夢、既に今と符合せり。」
とあります。 つまりは聖人のご生涯は救世観音の「誓願の旨趣」を説き広めるためにあったということを、御伝鈔は強調している。
 ここに出てくる偈文は「女犯偈」とも言われていて、性欲の問題として押さえられることが多いのですが、 私は、もう少し、仏教そのもの、特に大乗を名告る仏教としての根本の課題が押さえられているように思うのです。

 つまりは、一切衆生の救済を約束しつつも、現実には戒律を人間であることの最低条件としてきた大乗仏教が排除してきた人々、それこそ「数千万億の有情」。その十方の衆生を、現実的にというか、どろどろに押さえたのが女犯偈ではないか。

以下は高田正明伝で有名な、赤山明神のお話です。
建久九年(二十六歳)、範宴は新春の年賀の儀式を終えて、京都の町から比叡山に帰るときのことでした。途中、赤山明神に立ち寄り静かに読経をしていると、垣根の陰から不思議な一人の女性が現れました。柳裏の五衣を着て二重の練貫の衣を打ち被ったその様子には気品が漂い、ちょうど内裏に住んでいる人のようでした。その女性は範宴に近づいて「貴僧はどちらへ行くのでしょう」と訊ねました。お供の相模侍従が「京の町から比叡山へと帰るところです」と答えると、女は

 「私も以前より比叡山への参詣を願っていましたが、やっと今日思い立つことができました。初めてなので道もわかりません。お経にも「一樹の陰、一河の流れ(も他生の縁)」とあるとおり、こうした出会いも何かのご縁でしょう。ぜひとも一緒に連れていって下さい」

と真剣に訴えました。範宴は興ざめして

「貴方は女性だから知らないのでしょうが、比叡山は天台の修行の霊峰です。五障の雲の晴れない人(女人)は登ることが許されません。止観三密の学問は深遠をきわめ、三従の霞に迷う人(女人)には無理だからです。法華経の中にも女人は汚れており、仏法の器でないと説いています。伝教大師がこの山を、結界の地と定められたのも、もっともなことです。「うらやましくも登る華かな」と読んだ和歌をご存じでしょう。残念ですがお帰り下さい」

と言うと、女性は範宴の衣にすがり泣き泣き訴えて

「なんと頼りのない言い方をするのでしょう。伝教大師は智慧すぐれた方であるのに、「一切衆生悉有仏性」の経文をご覧になつていないのでしようか。男女は、人と畜生とに分けることのできないものです。この比叡山には鳥や獣にいたるまで、女というものは棲んでいないのでしょうか。円頓の教えから女人だけを除くならば、本当の円頓ではありません。十界十如の止観も男子に限るならば、十界皆成は成就しないことになリます。「法華経」には女人は仏法の器ではないと説きながら、竜女には成仏を許しています。胎蔵四員の中でも天女を嫌うことなく、三世の仏にも四部の弟子がいます。しかし結界の峰であるのならば、登りたいけれども方法がありません。登ったならば善知識をたずねて、差し上げたいと持ってきたものがあリます。今はしかたがありません。これを貴方に差し上げましょう」

と言うと、袖の中から白絹に包んだものを取リ出して

「これは太陽から火を取る玉です。この世界の中で太陽より尊いものはなく、また土石よリ低く卑しいものはありません。けれども太陽の火がそのままで、地上の灯となることはあリません。卑しい上石の玉に映ってこそ、闇夜を照らす大事な灯となるのです。仏法も高い 峰の頂に漉えられている水のようでは、どうして人々のためになるでしようか。低く卑しい谷に流れ落ちてこそ、一切衆生を潤すことになる力です。貴方は後世、智慧の誉れが高くなられる方です。よもやこの 道埋に迷うこ とはないでしよう。玉と日が相重なることの深い理由を、今はまだご存じないでしょう。千日後には必ず、身の上に思い当たることがあるはずです」

と言い終わると玉を置いたまま、木陰に隠れて姿を消してしまいました。

 その後二十九歳の冬の頃、九条兼実殿下の息女と結婚することになったとき、姫の名前が玉日ということに思い当たり、このことが、太陽の火を清らかな、玉に映して 切衆化の迷の闇を照らす、五障三従の女人をはじめ、すべてを引導せよという教えであったことに、初めて気づかされました。玉を捧げた女人は功徳天女であリ、本地は如意輪観音であリます。

 うまくまとめることはできませんが、衆生を本当に救う仏教とは何か。それが親鸞さんの課題であったことは、感じています。