第五段 選択付属



黒谷の先徳 源空 在世のむかし、矜哀の余り、ある時は恩許を蒙りて製作を見写し、或時は真筆を降して名字を書き賜わす。

すなわち『顕浄土方便化身土文類』の六に云わく 親鸞聖人選述 「 しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。

元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。

同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。

同じき日、空の真影申し預かりて図画し奉る。

同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘に、真筆をもって「南無阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまう。

また夢の告に依って、綽空の字を改めて、同じき日、御筆をもって名の字を書かしめたまい畢りぬ。

本師聖人、今年は七旬三の御歳なり。

『選択本願念仏集』は、禅定博陸月輪殿兼実・法名円照の教命に依って撰集せしむるところなり。

真宗の簡要、念仏の奥義、これに摂在せり。見る者諭り易し。

誠にこれ、希有最勝の華文、無上甚深の法典なり。

年を渉り日を渉りて、その教誨を蒙るの人、千万といえども、親と云い疎と云い、この見写を獲るの徒、はなはだもって難し。

しかるに既に製作を書写し、真影を図画せり。

これ専念正業の徳なり、これ決定往生の徴なり。

仍って悲喜の涙を抑えて由来を縁を註す。
黒谷にお住まいになっていた親鸞聖人の師 源空上人がおいでになったとき 慈しまれるあまり あるときは温かいお許しをいただいて著作を書写し、あるときは真筆で御名をお書きになったものをいただいた。

このことは「顕浄土方便化身土文類六」このように仰せられている。「しかるに愚禿親鸞は 建仁辛酉の年(元年) 雑行を捨てて本願に帰した。

 元久二年 丑の歳、温かいお許しをいただき「選択集」を書写した。

 同年の四月一四日に「選択本願念仏集」という内題の字と、「南无阿弥陀仏 往生之業、念仏為本」 と「釈綽空」を源空上人は自筆で書いてくだった。

同じ日に上人の御真影を図画させていただいた。

同じ年の七月二九日 御真影の銘に「南無阿弥陀仏、私が仏となる時、世界中の人々が わが名号を十声もしくは一声でも称えて もし往生しないなら私は仏にならない その仏は現在仏となっていらっしゃる まさに知るべきである。本誓重願は虚しくないということを 衆生は念仏を称え、かならず往生をうる」と真筆で書いてくださいました。

また夢の告げにより、綽空を善信にあらためて、同じ日にみずからのお筆で書きそえられた。

大いなる師、法然上人が七十三の御歳のことである。

「選択本願念仏集」は禅定関白(月輪殿兼実 法名円照)の命により 撰集されたものである。

真宗の要義、念仏の奥義は、ここに摂められている。見るものはさとりやすい。

まことにこれは遇いがたく、最もすぐれた名文であり、この上なく深い意味を尽くした宝典である。

長い年月のあいだ、上人の教えをこうむる人は、何千万といたが、親しい人であれそうでない人であれ、書写図画を得たものはまことに少なかった。

それなのに著作を書写させていただけたし、御真影を図画させていただけた。

これは正しき念仏の行に専念したおかげである。これは往生が決定したあかしである。

よって悲しみと喜びの涙をおさえて、由来の因縁を記すのである。」とおおされた。