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人は、だれもが「ほとけさま」か・・・
突然、兄が倒れました。新しい事業を始めると言っていた、その矢先でした。
その時、初めて父が声をあげて泣くのを見ました。
そんな父を本当に始めて知りました。
僕は、それまで両親に迷惑ばかりかけていました。
兄の闘病生活のなかで、僕は自分がこれまで何も知らなかったことを反省しています。
そして、これからは、他の人を喜ばせるために生きていこうと思っています。
関西大震災。僕の家は火災を免れたものの、半壊しました。
おじいちゃんは、ショックで仕事が出来なくなりました。
友達や、その兄弟たちが、たくさん亡くなりました。
壊れた家の中で泣いている女の子を火災から助け出すことが出来なかった、友達のおとうさんは今でも泣いてばかりいます。
あの時、死んでいった友達と僕とはどこが違っていたのでしょうか。
ただの偶然だったのでしょうか。
それを、「縁」とは言いたくない。
でも、その答えを知りたくてしょうがない。
時々、ふっと思う。
僕は彼らによって生かされているのではないかと。
でも、よく分からない。
一人暮らしのおばあちゃんが入院され、お見舞いにまいりました。
「おばあちゃん、お見舞いにこられる人もないようですが、さびしくありませんか」
「全然、さびしくありません。
いつでもお念仏を称えられます。
私はいつでもほとけさまに合うことができます。
だから、ちっとも、さびしくありません。」
ある日、わたしは病院から抜け出しました。
とにかく、闘病生活がいやになって、家に帰りたかった、それだけです。
夜中に、薬が切れて背中が死ぬほど痛くなってきました。
なにもかもいやになって、納屋に行って、農薬を飲みました。
孫がそれを見つけ、私を助けてくれました。
そのとき、孫は
「じいちゃん、なんでそんな悲しいことするんや、
死んだら悲しいやないか。
何でそんなことするんや」
と、泣きながら私の喉に指を突っ込んでいました。
うれしかった。
私は子供の頃、戦争の時、満州から命からがら逃げてきました。
私のこめかみには、そのとき中国人から投げられた石でつけられた傷が残っています。
しかし、わたしの母は教えてくれました。
その中国人は、泣きながら石を投げていたと。
私はこれまで死後の世界なんて信じていませんでした。
人は死ねばゴミになる。そんなふうに割り切っているつもりでした。
私の幼い息子が不治の病に犯されました。その時の会話です。
「おとうさん。ボク、死んだらどうなるの」
「・・・・」
「おとうさん。ボク、死んだらどうなるの」
「ほとけさまになるんだよ」(とっさに、この言葉が出ました。ほかにはなにも言えなかった)
「どうやったら、ほとけさまになれるの」
「こうして手を合わせるとなれるんだよ」
「おとうさん。ありがとう。それじゃ、ボク、先に行ってまってるよ」
「・・・・」
そして、息子は亡くなりました。
私は自分の言葉に責任をとるために、聞法することになりました。