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2007年05月08日

●本多弘之氏 解説より

先生は「自覚」という言葉を使われて、浄土の門は自覚にあるといわれますが、先生がおっしゃることばにこだわって、自覚ということを人間の自意識のようなものだと理解してはならないのであって、この講義でも自覚とは何であるか、人間の自覚ということはどういうことかを掘り下げておられますから、その辺りもよく理解していただきたいと思います。

親鸞聖人の信心、特に機の深信、罪悪深重の凡夫という深い自覚を如来の光に照らして本当に明らかに信知するということ、ここに浄土教が本当の意味で、人間を根源的に翻す宗教である意味をもっているとする安田先生の立場があります。

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