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2008年07月11日

●公開講座報告(「富山如大地」原稿)

公開講座開催にいたる経過については富山如大地第121号、「真宗」2008年1月号「今月のお寺」を参照していただきたい。

第一回公開講座 3月24日
参加者は100名。まず、実行委員がそれぞれの研究報告をおこなった

「富山東別院創建記念碑について」石川正穂
碑文を記した松任本誓寺住職、松本白華は合寺事件に対応した教団の知識人たちの一人であった。
事件後、彼らは教団の近代化に向けて邁進したが、それは天皇制国家体制確立への追随することにもなった。

「林太仲は仏敵か?」永崎暁
富山藩大参事、林太仲が合寺令を発布した背景には、藩財政の逼迫と、寺院、僧侶が為政者から「無用の長物」とされたという、経済的な要因が強かった。
現代にもつながる経済と仏教との関係について考える必要がある。

「合寺事件の歴史的意義」長真寿
地元寺院、門徒は、表立って権力と戦わなかったが、表面的には随順を守りながらも、実際には団結を固めて信仰を守った。
合寺事件に対する建言、嘆願が廃仏毀釈に傾いていた政府を動かした。

「浦上キリシタン配流事件 弾圧者<加害者>としての真宗寺院」安川潤
真宗寺院はキリシタン弾圧に積極的に協力していたが、合寺令の発布によって同じく信仰を弾圧される側に立たされた。
寺院を合寺事件における被害者であると固定するのは一面的である。

「廃仏毀釈と女性」見義悦子
廃仏毀釈を退けることができたのは、災害と飢饉のなかで貧しい生活を支えていた女性たちが、念仏を必要としたからではないか。
一日一日を地を這うように生きていた人々に、念仏は生きる力を与えていたのではないだろうか。

引き続き 高岡教区 太田浩史氏が「激動の富山仏教 -日本最大の廃仏毀釈が現代に問うもの」と題して講義。水戸藩の廃仏毀釈、明治元年の「神仏判然令」から、富山藩合寺令の廃止を経て、すべての宗教が国家に奉仕する宗教形態が定まるまでの歴史の経緯を紹介された。

第二回公開講座 5月12日 参加者は80名

阿満利麿 明治学院大学名誉教授が「宗教と政治」と題して講演された。
第二次大戦時の梵鐘供出の無念さを忘れないため、巨石を吊り続けている長野県称名寺の鐘楼を紹介。大戦時に再び梵鐘を供出させられた富山の寺院には、無念の思いはなかったのだろうかと問題提起された。政治は暴力を認め、暴力を否定する宗教とは一番遠いところにある。慈悲を旗頭にする仏教の立場を貫けば国家の暴力と対立せざるをえないという現代の課題を、高木顕明の生涯を交えながら話された。

講演後、阿満氏と太田氏が対談し、合寺事件研究をまとめ、参加者からの質問を交えて現代の諸問題について話し合ったことであった。